goo blog サービス終了のお知らせ 

麻生平安名の変な喫茶店 その時俺様が動いた

ここは公権力の不正を放置せず、「悪いことは悪い」との批判を失わず、判断能力を常に持つことを呼びかける喫茶店(日記)です。

組み体操の事故と読売の嫌らしさを知ろう

2016年03月25日 | 報道/社会

この記事見て「ん?」と思った方幾人いるんだろね。

◆組み体操で国が通知…69年度以降、9人死亡(読売新聞) - goo ニュース

(引用)
全国の小中高校で年間8000件超の事故が起きている組み体操について、スポーツ庁は25日、安全が確保できない場合の中止などを各教育委員会に通知した。

学習指導要領に記載のない組み体操で、国が通知を行うのは初めて。事故事例が確認できる1969年度以降、組み体操中に9人が死亡したことも初めて明らかになったが、高さ制限などには踏み込まなかった。

通知では、〈1〉狙いを明確にして全教職員で理解を図る〈2〉児童生徒の習熟状況を把握し、事故後は速やかに原因を究明する〈3〉安全にできない場合は実施しない〈4〉児童の体格差の大きい小学校は技を慎重に選ぶ〈5〉事故事例などを現場の教員に徹底する――ことを求め、四つんばいで重なるピラミッドや肩に乗るタワーなどの演目や段数の判断は学校に委ねた。

69年度以降の事故では死亡9件(突然死2件含む)、障害が残ったのが92件。ピラミッドやタワーでは総段数が3段の事故が最も多く、数人で組む倒立や肩車も2014年度には年間400人以上が骨折していた。スポーツ庁学校体育室は「どの状況でも事故は起こる。各学校の責任で創意工夫することが大切」とし、国が規制を設けるのは「難しい」とした。
(引用終わり)

自分は組み体操を好意的に思ってはいない。
が、スポーツ庁学校体育室の意見を全否定もしない。

自分が嫌悪したはこの記事の「手法」です。

事故の中身はスカスカで「こんなに事故あるよ」。対策は学校にお任せよっ。難しいです…で締めですか。
これって「情報遮断」の手法から「中止しろ」と矛先誘導してない?事実それにつられて踊らされている意見をネットで拝見しました。まぁこの記事を鵜呑みにして賛同する方はきっと包丁を触らないし、こんにゃくゼリーも食わないのでしょう、恐らくは。

参考までに下記に関連記事をまとめ、私見を追加しました。各社のイロが良く見えて面白いです。

◆組み体操 46年間で9人死亡 92人に障害(NHKニュース&スポーツ) - goo ニュース
→統計と結果のみ。上記の読売より手抜き。

◆「一層の緊張感を」=馳文科相、組み体操通知で(時事通信) - goo ニュース
→どちらかといえば、まとも?スポーツ庁学校体育室寄りな馳浩文部科学相の見解中心記事ではあるが。ただ、読売の手法の嫌らしさは見受けられない。

◆<組み体操事故>スポーツ庁「安全確認ない時は見合わせを」(毎日新聞) - goo ニュース
→かなりの高評価。組み体操の内容や形、事故の結果等深く踏み込んでいる。

◆組み体操のピラミッド、都立学校で「原則休止」へ(朝日新聞) - goo ニュース
→原則禁止から入るはいかにも朝日(笑)。斜め上に進んでいるので多くを語る必要もないな。

珍しく一日営業(ブログアップ)してみました。当喫茶店に訪れた方に何かを得ていただけましたら幸いです。御訪問有難うございました~。


在特会の街宣活動が「人種差別」にあたり違法との判決について

2013年10月08日 | 報道/社会

少なくとも自分は、歴史を歪曲して日本を敵国と教育している教育機関を庇うつもりはまずない。
在特会を自分は快くは思ってはいないが、少なくとも日本の在りようについて問題提起しているところはありましょう。ですが、手段が悪すぎたと言わざるをえません。結局は反日軍が喜ぶ結果になった。そんな意味においては「余計なことをしでかしてくれたな」と思う。

◆「街宣禁止がうれしい」原告ら会見 在特会幹部は「主張認められず残念」(産経新聞) - goo ニュース

(引用)
在特会の街宣活動が人種差別にあたり違法と判断した7日の京都地裁の判決を受け、学校法人京都朝鮮学園の孫智正理事長や保護者らが会見した。

塚本誠一弁護団長は「ヘイトスピーチの悪質性が認められた」と判決を評価。

保護者の1人は「街宣活動は昨日のことのように思い出される。街宣禁止が認められたことがうれしい」とほっとした表情をみせた。別の保護者は「街宣以降、子供が『日本人が怖い』と言うようになるなど日常が一変した。堂々と生きてほしいと子供には伝えたい」と話した。

一方、被告の在特会側も判決後に取材に応じ、被告の1人でもある在特会の八木康洋副会長は、「一部に不適切な発言があったことは事実だが、大部分の正当な主張を認められず残念」と述べた。

代理人弁護士は「表現の自由を封じることがあってはならないが、被告の言い分をことごとく棄却しており、敗訴と認めざるを得ない」と述べた。
(引用終わり)

いやはや。「ヘイトスピーチ(憎悪表現)の悪質性」云々語る側。その判定を下した側。それを嬉々として取り上げる側。実に反吐が出ますな。学校の子供たちのことも考えているならば、事実を語れよと思うよ。偏向捏造歪曲語りの反日軍が「人種差別」を語ることからして既におかしいのだが、その切欠作りに在特会は見事貢献したことになった。とても誉められるものではない。日本の国益に反する所業といえましょうな。

さて。朝鮮学校は北朝鮮の教育機関であり、日本の教育機関ではありません。独裁国家である北朝鮮を支える朝鮮総連の幹部を養成や総連社会を維持していくための学校であります。朝鮮総連が日本にとっていかに有害無益な組織であるかは過去の歴史が証明している。売国奴首相菅直人の置き土産はこの学校の無償化であった。日本にとってこの学校は無害ではなく、間違いなく有害に属するといってよい。そもそも日本の税金で賄う朝鮮の民族教育といったことからして「はぁ?」と考えるべきではないか。

困ったことに手を差し伸べるにしても、馬鹿正直に手を差し伸べるは考えもの。「庇護」も相手によっては「庇"誤"」になるのです。自分は日本の一国民です。そして地球人であっても地球市民ではない。だから大いに述べるぞ。自分は反日軍なんぞ庇護しない!そして庇護する奴らもまた許せない!
差別だの人権語るならば、まずは日本から税金をもらうことを是非やめていただきたく思う。なにが「街宣禁止が嬉しい」だよ。違うだろ。「反日軍にとって都合の悪いことが含まれる内容が拡散されること」の一部が禁止になるから嬉しいんだろうがと。

朝鮮学校がどういう学校であるのか。日本の国民ならば是非知っていただきたく思いますね。そして何故に在特会が「ヘイトスピーチ(憎悪表現兵)」をしていたかなど興味を持っていただけたら幸いです(反日軍は自分らの都合のよいことしか述べていませんから)。

情報収集したところ、そもそもこの件は「京都の勧進橋児童公園を朝鮮学校が不法占拠」したこと絡んでいたようだ。在特会は付近の住民から相談を受けて、何度かの下見をして市役所に事情を伺ったところ、50年も前から公園を不法占拠していることが発覚。付近の子供達が公園で遊んでいると、朝鮮学校から大人が出てきて子供を追い払うことが日常化していたらしい。さらには公園をグラウンドとして勝手に利用して、運動会時には無許可でビールなどの酒類を販売していたとのこと。
はてさて。この内容はどう受け止めるべきでしょうな…(遠い目)。事実ならば日本国民としてとても許せないわな。

冒頭でも述べましたが、自分は歴史を歪曲して日本を敵国と教育している教育機関を庇うつもりはありません。自分は日本の将来を憂い、反日軍の喜ぶことを快く思わない日本国民ですから。


「自転車一方通行道路標識新設」の目的と手段を探る

2011年07月22日 | 報道/社会

◆「自転車の一方通行」導入へ…専用道指定を期待(読売新聞) - goo ニュース

自転車マナーにかこつけて警察お得意の「違反は違反」を通す…か(遠い目)。

(引用)
 警察庁は21日、自転車専用道などの安全を確保するため、「自転車一方通行」の道路標識を新設することを決めた。

 標識標示令を改正し、年内にも導入する。

 適用されるのは、縁石や柵で分離された自転車専用道と、歩道に明示された自転車通行帯。現在は原則、相互通行となっているが、すれ違いざまの事故を防ぐため、一方通行も導入。逆走すれば、車と同様に道路交通法違反で、3月以下の懲役か5万円以下の罰金となる。

 昨年の自転車事故は約15万件に上り、全交通事故の約2割を占めた。歩行者や車との事故が目立つため、同庁は専用道設置を道路管理者の自治体に勧めているが、全道路の0・1%の計1300キロにとどまっている。同庁は一方通行の導入で事故の懸念が少なくなれば、専用道指定に踏み切る自治体が増えると期待している。
(引用終わり)

自分からすれば、末文は導入に対して有無を言わせない口実を並べたてている内容にしか感じられないな。
自転車マナーが悪い。そう言われれば、「そうだ」と同意する意見も多いだろうと推測する。しかしこれが仮に自転車ではなく、自動車と指摘したとしたら…やはり同様に「マナーは悪い」となるのではなかろうか(遠い目)。
そもそも多くの国民は「マナーが悪い」の根源まで理解しようとは思っていない傾向に思う。理解していれば、こんな馬鹿げた警察の所業に対し好意的には捉えず、また警察の不可思議さを理解したならば、言い知れぬ怒りが募り、司法や行政に対しても関心を持ってしかるべき。だが残念ながら、そこまでの考えに至っているとは到底思えない。
自分はこの件から教育なり躾に関心を持っていただきたく思いますが…ね。

まずもって、この「自転車一方通行」の道路標識を新設の目的は「自転車専用道などの安全を確保」である。
さて。政官業の癒着がまかり通るお約束がこの内容に含まれていると感じる方は幾人いましょうや?実はこの"など"が落とし穴なのです。
わかりますか?安全を確保するならば、別に自転車専用道路でなくても警察が「安全を確保する」と解釈できるものであれば"何でも対象"になるということが。自転車専用道路はあくまで口実に過ぎないのです。
細かなことは明確に規定せずしてお上の裁量幅を大きく持たす。そしてそれを口実に国民に対して鉈を振るう。日本無責任システムにして政官業の癒着の根源がこの手法なわけです。
いやはや。自転車一方通行の道路標識を新設にして車と同様に道路交通法違反を適用して3月以下の懲役か5万円以下の罰金とは。なかなか警察にとって愉快なことではありませんか。特例から通例になるという現実を踏まえても、自分はとても歓迎すべき内容には思えない。目的と手段が逆になっているとしか思えん。

最後にこの記事を見て率直に思った感想を述べて締めとします。警察が嫌いな意見が多分に含まれていますが、その点は御了承願います。

「警察庁が自転車専用道などの"安全を確保"?嘘はいかんよな、嘘は」


交通安全を掲げる政府の「詭弁」

2011年05月25日 | 報道/社会

◆自転車は原則車道通行…知らない人4割に(読売新聞) - goo ニュース

知らない人以前の問題ではないのか。

教育が必要なのはむしろ訴える側の方に自分は思う。警察が掲げる「交通安全」という大義名分が如何に説得力がないか。
自分からすれば「自転車利用者にルールやマナー違反が多く、交通安全教育の充実が必要」と強調すること自体「詭弁」としか感じられない。

(引用)
政府は24日の閣議で、2011年版「交通安全白書」を決定した。

 15年までに事故死者を3000人以下とする目標を掲げた「第9次交通安全基本計画」を特集し、自転車対策の重要性などについて言及した。

 警察庁によると、昨年の自転車と歩行者の衝突事故は2760件で、10年前より5割増えた。昨年11月に内閣府が自転車利用者1500人に行った調査では、自転車が原則、車道通行であることを知らない人が4割に上った。白書ではこうした実態に触れ、「自転車利用者にルールやマナー違反が多く、交通安全教育の充実が必要」と強調した
(引用終わり)

さて。「交通安全」という大義名分が如何に説得力がないか。それを自分は不快な経験を通じて学んだ。内閣府が如何に「糞なこと」をしているか自分は知っているから「詭弁」と言えるのだ。

では何故に詭弁なのか。その一つを挙げるとして下記のHPを挙げます。興味ある方は御覧下さい。
交通安全は「共生社会」実現に向けた取組の。交通安全よりも「定住外国人施策の推進」が先に紹介されて「その他」に該当された取組の一つに過ぎないことに刮目。

◆内閣府政策統括官(共生社会政策担当)とは

正直、この組織について調査ないし知っている国民は幾人いましょうや。ではその組織について次に御紹介。これらの名前にピンときたら、多くを語る必要もないと思う。

・内閣府特命担当大臣
蓮舫(れんほう)
・内閣府副大臣
末松 義規(すえまつよしのり)
・内閣府大臣政務官
園田 康博(そのだやすひろ)

…。

最低だな。


今日は自分が警察を嫌悪することになった特別の日です。2006年の当日。あの日に起こった屈辱を自分は決して忘れない。この時を境に自分は良い意味で変わることが出来たが、その出来事に感謝はしていません。

公権力の不正を放置することがいかなる結果を迎えるか。それを身をもって体験したのがこの5/25。その出来事を刻む意味でここに記録を残します。ここは公権力の不正を放置せず、「悪いことは悪い」との批判を失わず、判断能力を常に持つことを呼びかける喫茶店(日記)なのだから。
そんな意味では、この記事はまさにうってつけでした。教育者が手本を示さない教育なんぞは教わらないよりタチが悪いもの。自分が大好きな「特捜最前線」において自分が名台詞と思う一つに「警察官は警察官に対しても警察官であるべきだ!」という台詞がある。「果たして警察は警察に対しても警察なのか」と自分はこの件を通じて問いたい。

「教育に携わる者が論理・道徳を説いているのに、自らは実践しないといったことなどあってはならない。教育者は自らの生き方の手本を示すべきである」
(言志四録 より)


タイトルからして称賛できる記事

2011年04月05日 | 報道/社会

◆明治の教訓、15m堤防・水門が村守る…岩手(読売新聞) - goo ニュース

明治の教訓。ここからして歴史を顧みない国民に投げかけるに十分な良記事です。この件をして明治の教訓に着目することを自分は切に望む。
一つ残念で心苦しいは、この話題が震災絡みであり結果論ということだ。

(引用)
津波で壊滅的な被害を受けた三陸沿岸の中で、岩手県北部にある普代(ふだい)村を高さ15メートルを超える防潮堤と水門が守った。

村内での死者数はゼロ(3日現在)。計画時に「高すぎる」と批判を浴びたが、当時の村長が「15メートル以上」と譲らなかった。

「これがなかったら、みんなの命もなかった」。太田名部(おおたなべ)漁港で飲食店を営む太田定治さん(63)は高さ15・5
メートル、全長155メートルの太田名部防潮堤を見上げながら話した。

津波が襲った先月11日、店にいた太田さんは防潮堤に駆け上った。ほどなく巨大な波が港のすべてをのみ込んだが、防潮堤が食い止めてくれた。堤の上には太田さんら港内で働く約100人が避難したが、足もとがぬれることもなかった。

村は、昆布やワカメの養殖が主な産業の漁村で、人口約3000人は県内の自治体で最も少ない。海に近く狭あいな普代、太田名部両地区に約1500人が暮らし、残る村人は高台で生活している。普代地区でも高さ15・5メートル、全長205メートルの普代水門が津波をはね返した。

防潮堤は1967年に県が5800万円をかけ、水門も84年にやはり35億円を投じて完成した。既に一部が完成し60年にチリ地震津波を防ぎ、「万里の長城」と呼ばれた同県宮古市田老(たろう)地区の防潮堤(高さ10メートル)を大きく上回る計画は当初、批判を浴びた。

村は1896年の明治三陸津波と1933年の昭和三陸津波で計439人の犠牲者を出した。当時の和村幸得村長(故人)が「15メートル以上」を主張した。「明治に15メートルの波が来た」という言い伝えが、村長の頭から離れなかったのだという。

今回の津波で、宮古市田老地区は防潮堤が波にのまれ、数百人の死者・不明者を出した。岩手県全体で死者・行方不明者は8000人を超えた。

普代村も防潮堤の外にある6か所の漁港は壊滅状態となり、船の様子を見に行った男性1人が行方不明になっている。深渡宏村長(70)は「先人の津波防災にかける熱意が村民を救った。まず村の完全復旧を急ぎ、沿岸に救いの手を伸ばす」と語った。
(引用終わり)

わかりきっていることわざわざ述べますが、明治の教訓はこれだけではない。なにも防波堤だけが明治の教訓ではない。
あえてここでは自分は「教育勅語の十二の徳目」を紹介する。これだって明治の立派な教訓だ。この教訓は戦後GHQによって廃止されている。これが廃止される内容なのかしかと刮目してほしい。

・孝行(こうこう)
親に孝養をつくしましょう
・友愛(ゆうあい)
兄弟・姉妹は仲良くしましょう
・夫婦(ふうふ)ノ(の)和(わ)
夫婦はいつも仲むつまじくしましょう
・朋友(ほうゆう)ノ(の)信(しん)
友だちはお互いに信じあって付き合いましょう
・謙遜(けんそん)
自分の言動をつつしみましょう
・博愛(はくあい)
広く全ての人に愛の手をさしのべましょう
・修学(しゅうがく)習業(しゅうぎょう)
勉学に励み職業を身につけましょう
・智能(ちのう)啓発(けいはつ)
知識を養い才能を伸ばしましょう
・徳器(とくき)成就(じょうじゅ)
人格の向上につとめましょう
・公益(こうえき)世務(せいむ)
広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう
・遵法(じゅんぽう)
法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう
・義勇(ぎゆう)
正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう

さて。これら明治の教訓を生かすも生かすも殺すも今後の国民次第。自分は教訓を生かすこと望みますが、現在の日本は過去を顧みず、過ちを繰り返している。英霊の方々に感謝すらせず罵る国民もいる始末だ。生かすことからして難しいと言わざるを得ない。このままでは日本は危ない!

英霊が守ってくれた日本。今度は自分達が守るべきです。この素晴らしい日本を。

もう時間がありません。戦いましょう。明治の教訓を顧みず、英霊に対して感謝もしない日本を売り飛ばそうとする売国奴と。私利私欲に走る不届きな公僕と。今こそ草莽の力を見せるときです。

 ※YouTube - もう時間がない。戦おう!


「大丈夫」という言葉について考える

2011年03月28日 | 報道/社会

◆「大丈夫」の一言が特効薬=前向きな被災者に感銘―「陸の孤島」で診察・NGO医師(時事通信) - goo ニュース

解釈によっては良くも悪くも捉えられましょう。「大丈夫」という言葉は特にね。
そして、発言者によっても捉え方は変わる。例えば…国会議員の平沼赳夫氏と菅直人があることに対して「大丈夫」と言ったとする。どちらが信用かつ安心できますか?つまりはそういうことです。

(引用)
東日本震災で孤立した石巻市の雄勝半島。医師がいない状態が続いたこの地域に、国際医療支援に取り組むNGO「ジャパンハート」(東京都台東区)の医師石田健太郎さん(28)が入り、避難所で診察に当たった。「大丈夫の一言が何よりの薬」。こう振り返る石田さんは、前向きに生きようとする被災者の姿に感銘を受けたという。

雄勝半島は津波により通じる道路が崩れ、インフラも途絶した「陸の孤島」となった。ヘリコプターなどで医療物資は届いたが、人が出入りできるのは干潮時のみ。長時間診療する医師はおらず、医師が来る前に避難所で亡くなった高齢者もいたという。

石田さんが駐在した大須小学校の避難者は約600人。みな不安な表情で、診察が始まるなり100人以上が殺到した。石田さんは安心させようと、診断を告げる前にまず「大丈夫だよ」と声を掛けた。症状はさまざまだったが、その一言で、みんな生き返ったように表情が和らいだという。

声をかけ続けた結果、翌日以降は混乱も収束。石田さんは「薬よりも安心できる一言が大事なんです」と強調した。

服薬記録や検査器具が全て失われた中での診療は困難の連続。患者との会話だけで必要な薬や体調を推し量る手探りの診療で、神経はすり減った。それでも、「こんな若い医師でも必要としてくれると実感できてうれしかった」と振り返る。

避難所で過ごす中で感銘を受けたのは、悲しみに下を向かず、役割分担しながら復興について話し合う被災者の姿だった。石田さんは「支えられるだけではなく、強く前向きに生きようとする人ばかりだった」と感慨深げに話し、「これからも人のために頑張りたい」と、目を輝かせた。
 
(引用終わり)

自分は捻くれ者ですから「大丈夫」という言葉を特効薬とは思わない。この記事の現場の状況(以下下記)を見ると、必要なのは特効薬より本物の薬じゃないのかとも思わなくもない。
それは自分は「大丈夫」よりも「最善を尽くす」と言う柄だし、そう言われた方がいいと思うタイプだからなのかもしれません。

・服薬記録や検査器具が全て失われた中での診療は困難の連続
・患者との会話だけで必要な薬や体調を推し量る手探りの診療

被災者へ「大丈夫」が特効薬。人によってはそうかもしれないし、そうでもないかもしれない。大事なのは、この記事でも述べられているが「前向きに強く生きること」であろう?「何故にそれをタイトルにしないのだ」と自分は感じました。
この記事タイトルは"「大丈夫」の一言が特効薬"である。万人向けの処方箋とは思えない。ネットを見るに「特効薬」ではなく「劇薬」と感じる方もいるのだから。

さて。前向きに強く生きることについてだが、これは実に良い指摘に思います。自分もそうありたく生きている。
そんな意味では言葉は無縁ではありません。自分自身、言葉の大切さを今一度見直したく思う故、下記に自分が感銘を受けた二つの諺を残して最後の締めといたします。


一つの言葉でケンカして
一つの言葉で仲直り
一つの言葉で頭が下がり
一つの言葉で笑い合い
一つの言葉で泣かされる
一つの言葉でなごみ合い
一つの言葉できずなを作る
一つの言葉はそれぞれに
一つの心を持っている
きれいな言葉にはきれいな心
やさしい言葉にはやさしい心
一つの言葉を大切に
一つの言葉を美しく
言葉は心の鏡なり


自分を見つめなおすには、時すでに遅し
思考に気をつけなさい それはいつか言葉になるから
言葉に気をつけなさい それはいつか行動になるから
行動に気をつけなさい それはいつか習慣になるから
習慣に気をつけなさい それはいつか性格になるから
性格に気をつけなさい それはいつか運命になるから


悪夢の東北地方太平洋沖地震

2011年03月12日 | 報道/社会

◆M8.8、死者300人超=行方不明540人以上―大津波10m・宮城で震度7(時事通信) - goo ニュース

宮城県は地元でしかも両親の住んでいる場所はモロに海岸寄り。津波のことを考慮するに、とても心配である。中継の放送を見ると、自分がよく知りうる地元の場所が津波に呑まれただの地震で倒壊しただのと"被災地"として中継されている。胸がとても痛む。女川原発すら自分は無縁でなく、かつては働いたことがある場所である。

もう「悪夢」としか言い様がない。

(引用)
11日午後2時46分、三陸沖を震源とする地震が起き、宮城県北部で震度7を観測した。気象庁によると、マグニチュード(M)は国内観測史上最大の8.8(暫定値)を記録。同3時15分にもM7.3の余震があり、茨城県南部などで震度6弱を観測した。仙台新港に高さ10メートルの津波が到来したほか、同50分に福島県相馬市で同7.3メートル以上の津波を確認するなど、北海道から沖縄県まで広い範囲に津波が押し寄せた。宮城県警によると、仙台市若林区荒浜で溺死したとみられる200~300人の遺体を発見した。警察庁などによると、12日午前1時現在、この他に確認された死者は157人。不明者も547人に上っている。

気象庁は岩手県から茨城県に至る南北400キロ、東西200キロの断層帯が破壊された可能性が高いことを明らかにした。

総務省消防庁などによると、岩手県の太平洋側地域や宮城県気仙沼市では大規模な火災が発生、青森から静岡までの12都県で少なくとも計150件の火災が確認された。宮城県では多賀城市のガス関連工場が炎上、南三陸町で約800人が孤立した施設に火の手が迫っている。仙台市では液化石油ガスタンクが爆発し、千葉県でもコンビナート火災が3件起きた。

福島県によると、自動停止した福島第1原発2号機の原子炉内の水位が低下。このまま低下し続けると、燃料棒が露出して放射能が漏れる可能性があるとして、政府は原子力緊急事態宣言を出し、原子力災害対策特措法に基づき、同原発半径3キロ以内の住民に避難指示を出した。
(引用終わり)

現在、2011/3/12/4:30。自分らは未だ私服のまま自宅待機している状態で、とても眠れる状況にない。しかし自分ら家族の周りはまったく無問題だ。幸いに自分は職場が休みで子供と自宅にいたし、妻も無事であった。自分は宮城県沖地震を経験しているし、一度津波に呑まれかけた経験もある故地震の怖さは良く知っている。部屋の物配置からして地震を意識した工夫をしていて、逃げ口も常に確保しているから自宅の被害はまったくなく、ライフラインもまた無事である。カミさんは地震直後に郵便局にいて、パニックになる郵便局員や客に向かってドアを開けろだの電線から離れろだの指示を出して被害拡大を防ぎ、かなり感謝されたらしい。周りが騒ぐと意外と冷静に対応できるものである。

自分らは大事に至らず、食料を買い込んだり職場と支所の連絡が途絶えた中継を受け持ったりする余裕すらあった。生活苦ながらも今では両親を迎える準備はできているし、仮に自宅へ地震が来ても逃げる準備は万端だ。ただ…不安がまったく消えない!本当ならば今すぐにでも宮城に戻りたいのだが…動ける状況にないのが実に歯がゆくて仕方がない!

自分に出来ることを成すのみ。今は辛いが時を待って成り行きを見守るしかない。両親、親族・友人の無事であること切に望む。


夫婦別姓を求める訴訟から見るおぞましき思想

2011年02月15日 | 報道/社会

◆夫婦別姓巡り初の違憲訴訟、男女5人提訴(読売新聞) - goo ニュース

まず読売含むこの件に関連する記事のほとんどが"肝心な部分を隠している"偏向記事であることを指摘しておく。
たしかに夫婦別姓を求める訴訟は初めてだろうが、法律婚をした元高校教諭塚本協子氏についての詳細が見事に抜け落ちている。この女性がいかにおぞましい思想を掲げているか※をまず見てほしい。

※参考資料
◆痛いニュース(ノ∀`) 【夫婦別姓】 女性「なんで、相手の名前で私死ななきゃならないの。夫の名前で呼ばれるのが本当に辛い」 - ライブドアブログ

(引用)
「夫婦が同じ姓にしなければ婚姻届が受理されない現在の法律は、婚姻の自由などを保障する憲法に違反している」などとして、今月14日、富山県や東京都などの男女5人が国家賠償を求めて東京地方裁判所に提訴します。夫婦別姓を認めるよう求めた裁判は日本では初めてです。

提訴を前に、原告の1人である富山市の女性に話を聞きました
「私塚本協子なのに、なんで戸籍の、相手の名前で私死ななきゃならないのか」


夫婦別姓を求める訴訟の原告の1人、富山市の塚本協子さん(75)です。
戸籍上は、夫の姓である「小島」となっています。75歳となり、年齢による衰えを感じたとき、「塚本協子の名前で死にたい」と強く思うようになりました。

「政治にどっだけ期待しても、いっつも、出て廃案になるとか、継続審議になるとか、そうでしょ。」「こんな自由で民主主義の国なのに、なんで、個人の意思が通らないのか、ほんとうに難しいもんだなと思いました。」

「どうせすぐ夫の名前に慣れるから、と自分で暗示かけて」「仕方なしに夫の名前で
呼ばれるようになったんですよね。それが辛くて辛くて、本当に辛かったです」

高校の教師をしていた塚本さん。学校で「小島先生」と呼ばれるたびに襲う、喪失感。当時は通称使用という選択肢も無く、職員室の机の下で泣いたこともあったそうです。

親の介護などをきっかけに50歳で仕事をやめた塚本さんは、さらに名前への違和感を強めていきます。

「医者行くでしょ。そしたらあたしの身分証明は健康保険証なんですよね。」
「通称使用では出来ないものがいっぱいあるんですよね。そのたんびに、ちくりちくりと、まんで体から血出るような思いしなきゃならないんですよね」
(引用終わり)

自分はまず驚愕したは、「こんな女が教師であったという恐るべき事実」だ。人間としても自立していないことが証明されている。発言からして日教組臭がプンプンするのである。

原告曰く「こんな自由で民主主義の国なのに、なんで、個人の意思が通らないのか、ほんとうに難しいもんだなと思いました。」
いやはや…呆れます。何が個人の意思でしょうか?貴方の述べるような意思が通る民主主義の国だったらとうに滅亡の道を歩むでしょうよ。国など尊重もせず、"自分しか見ていない"のだからな。

日本解体法案(夫婦別姓含む)を掲げる人間は、まずもって基本的人権を掲げて日本の国家や国政を蔑ろにしている傾向にあります。基本的人権を棚に上げ、「道徳」を軽視しているのだ。紹介した記事を見ればよくわかろう。単なるワガママの駄文でしかないことに。この方の掲げる基本的人権とは「欲望の赴くままに行動しろ」と言っているに等しく、民主主義の国を述べるわりには国のことなどまるで考えていない。
原告の思想基本は「国家・政府<個の人権」である。これは実に恐ろしい内容と言える。この内容からして既に「国家の否定」「自分さえよければ他人はどうなってもいい」「好き勝手し放題」という思想である。また「外国人地方参政権」だの「個人保護法案」だの、国を転覆させかねない悲劇を産んでいる産物でもある。今回の「夫婦別姓」も当然ながら含まれる。

基本的人権の上には「道徳」がなければならないと自分は考える。正しき教えがない故に、人は都合よく勘違いをする。その結果が個人主義人間を次々に産みだしていると言える。原告の様な思想は、自分個人を敬っても、相手の個人まで考えることはあるまいな。"自分が大事"なのだから。

結婚からして自分が家族の一員として自覚を持つべきであろうこと。原告の結婚感は家族としての自覚も感じられない。本当に性を変えたくなければ、変えなければいいのに「変わったことを受け入れてなお不平を述べる」。しかし「権利は主張する」と…誠に度しがたい。

基本的人権の尊重は「自分さえよければ他人はどうなってもいい」「好き勝手し放題」という思想ではなく、「 国政の担い手としての自覚」と「国家の健全な運営に自ら責任を担う」意味も含まれている。冒頭にしっかり"国民は~"と明記されているのがその証拠。国を考えてこそ人権を言えるのだ。これは自分の解釈ですがね。
「なんとかの自由」は、「道徳律に従ってこその自由」であり、「好き勝手していい自由」ではない。「自由」とは「不自由」があってこそ「自由」であると、自分は思っている。人は余程の例外を除いて一人では生きていけない。「人権尊重・個の尊重」を全てに優先させることはかえって人権を蹂躙し、個人の尊厳性を奪うのだ。

さて。原告のワガママがまかり通ったら「国家や家族・家庭は人権の敵だ」と自分は解釈できるのだが…はたしてどんな結末を迎えるのだろうな。注目したい。


他人を思いやるということ。思いやるにも程があるということ

2011年01月09日 | 報道/社会

◆増えるモンスター 他人を思いやる美意識欠如(産経新聞) - goo ニュース

この記事タイトルに惹かれ、今年初めて取り上げてみました。
末文曰く「相手の立場に立って思いやる。当たり前と思われるこの美意識の欠如が、モンスター化する境界の底流にある」そうですが…思い過ぎても駄目なんですよね。

(引用)
「病気が治らず、仕事を辞めた。医者のせいだ」。平成22年3月上旬、東京慈恵医大病院に元患者を名乗る女が電話をかけてきた。

「仕事を辞めなければいけなくなった。補償金として100万円支払え」「患者を殺しに行こうと思う」

電話を受けた女性職員は「次回までに院内で協議する」と伝え、指定した日時に電話をかけるよう依頼。電話を切るとすぐ、「院内交番」と呼ばれる渉外室に報告した。同病院は増加する理不尽なクレームなどに対応するため、16年から警察OBを採用し、現在は4人が対応に当たっている。

報告を受けた渉外室顧問の横内昭光(66)は即座に警察に通報。指定日時に電話をかけてきた埼玉県内の40代の女が恐喝未遂容疑で逮捕されたが通院していたのは17年も前のことだった。

いつでも医者は病気を診てくれる、いつでも病気を治してくれる-。そんな期待が裏切られたと思った瞬間、患者は“モンスター”へと変貌する。

「待ち時間が長い」「大部屋の隣のベッドの患者がうるさい」。患者からのこうしたクレームに加え、見舞客が酒に酔ってトラブルを起こすこともある。「大きなトラブルにならなければいいが…」。現場に向かうたび、足取りが重くなるという横内は語る。

「相手を思いやる気持ちが足りず、ちょっとした信頼関係すら築けずにトラブルになるケースが多い。本来なら自分たちが必要とされなくなるのが理想だが」

◆逆ギレ

22年11月15日、千葉県船橋市内を走行していた船橋新京成バスの車内で、携帯電話の使用を注意された会社員の女(34)が、事件を起こした。

女はバスが出発した途端に大声で電話を始め、乗務員の警告も無視。複数の乗客が注意して女は通話をやめたが、「何で私ばかり注意するの!」などと“逆ギレ”し、約15分間にわたって怒鳴り散らしたという。

たまりかねた乗務員が乗車拒否を宣告。女に途中で降りてもらおうとしたが、女は「金を払っているから乗車する権利がある」などと拒絶。男性客の一人が再度「いい加減にしろ」と一喝すると、催涙スプレーをまき散らした。車内が白く煙り、慌てた乗務員が前後のドアを開放すると女は走って逃げた。

「こんなトラブルの対応まで想定しないといけないのか…」。バス会社の男性社員は頭を抱えた。

女は傷害容疑で逮捕後、処分保留で釈放されたが、調べに対し「注意した方が悪い」などと供述。逮捕されたことに最後まで納得いかない様子だったという。

◆言った者勝ち

日本学校教育相談学会事務局長で東京都立川市立立川第一中校長、嶋崎政男(59)の元には毎年、“モンスターペアレント”と呼ばれる保護者についての多くの相談が寄せられる。

「修学旅行の記念写真で娘の写真写りが悪い」とクレームをつける▽子供の非行のことで呼び出すと「休業補償」として金銭を要求する▽夜中に何時間も電話をして担任教諭を精神的に追い詰める…。

かつては保護者から信頼され、児童・生徒らの指導を任されていた学校を取り巻く環境は、ここ10年あまりで大きく変化した。

嶋崎は保護者が“モンスター化”する原因について「自己中心的な親が増え、『言った者勝ち』の風潮が蔓延(まんえん)し、モラルのないクレーム時代が始まっている」と分析する。

一方で別の見方もある。大阪大で12月4日に開かれた研究会。大学教授など有識者が集まる中で、娘が部活中に倒れ、意識不明となった兵庫県内の公務員の男性(48)が講演した。

「学校が原因や責任、再発防止策を明らかにしないので尋ねると、モンスターペアレント扱いされた。学校という場所は閉鎖的で、当たり前のことを指摘しただけで白い目で見られる」

学校の対応に納得できなかった男性は結局、22年4月に事実究明と損害賠償を求めて提訴した。

研究会の代表も務める大阪大大学院人間科学研究科教授の小野田正利(55)は言う。

「明らかにおかしい学校の論理を保護者に押し付けているケースもある。学校側の初期対応のまずさが保護者の要望を苦情に、苦情をいちゃもんにアップさせる場合もある」

相手の立場に立って思いやる-。当たり前と思われるこの美意識の欠如が、モンスター化する境界の底流にある。=敬称略
(引用終わり)

失笑を禁じえない記事内容に思います。

まず例1。「病気が治らず、仕事を辞めた。医者のせいだ」と述べた患者のケース。
この方は病気でなくても心は既に病気ですね。「自分にも問題がある」とはまるで思っていないのでは?根本は「自分は悪くない」で、そもそも「病気を治すつもりからしてない」でしょうからね。
こんな奴ほど自分の言っていることからして理解しえないもの。こんな人物と関わるならば、「鏡を見せてやる」のがいいでしょうね。自分のしていることから諭してあげましょう。
「病気が治らず、仕事を辞めた。医者のせいだ」。この言葉を医者側から皮肉で返すならばこうなります。「病気を治せないは貴方が理想の患者でないせいだ」と。もし患者がこの回答に怒るならば、自分自身に怒るに同じです。言っている根本は同じなのだから。

例2。船橋新京成バスの車内で、携帯電話の使用を注意された会社員の女のケース。
まずもってこの女は「携帯電話の使用したことに対する行為」への反省する心からしてありません。逆にそんな心があったならば、事件からして発生はしていないのです。この女はそれすらも理解してはいないようで(呆)。理解しえないならば、理解するまでこの女は同様の事件を引き起こすであろう。痛い目を見ないかぎり。反省しないかぎり、永遠に。

さて、例3の日本学校教育相談学会事務局長の“モンスターペアレント”と呼ばれる保護者についての多くの相談のケースだが…
もう呆れてコメントする気力すら失せる。そもそもモンスターを生んでいる根本は何よ。「教育」そのものにも問題あること明白でないか。憲法からして権利を強調して、義務や道徳が軽視されている。教育勅語からして悪の象徴のような扱いだ。おかしいことすらおかしいと言ってもまともに届きやしないぞ!
(もっとも、自分はそれで「ハイ終わり」とはしないが)

仮に他人を思いやる心が日本に芽生えたとしても、その中身が前首相の黒鳩山のようになるようでは話にならないし、相手を思いやるにもそれは相手によりけりに思う。相手の立場に立って思いやるは結構だが、少なくとも自分は"会話する相手"を選びたいですね。

「仁に過ぐるは弱くなる。義に過ぐるは固くなる。礼に過ぐるは諂いになる。智に過ぐるは嘘をつく。信に過ぐるは損をする」
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」

上記は自分が好きな伊達正宗と夏目漱石の句です。つまりは自分は"中庸"が大事ではないかと。そう思うのです。自分はSFCのドラゴンクエストⅢの性格テストで「石にけつまずいて転びました。転んだのは、石のせいではなくて、 自分のせいだと思えますか?」で"自分のせい"と答えます。ただ、自分"だけ"が悪いとは思いませんよ。"石のせい"ともまた思いますから(苦笑)。


離婚式の意味を考える

2010年12月05日 | 報道/社会

◆結婚指輪つぶし最後の共同作業…「離婚式」人気(読売新聞) - goo ニュース

久し振りに休日に目に余る記事を見つけたので急遽営業することにいたしました。

さて。結婚指輪潰しの"離婚式"ですか。これが記事の述べるとおり誠に"人気"ならば、たいしたものだと思う。記事を見て私的に「これほどくだらないことはない」と思いますから。

(引用)
厚生労働省によると、昨年の離婚件数は25万3353組で、2分4秒に1組が別れている計算だ。

東京では昨今、「離婚式」が人気を集めているという。離婚式を再出発のための区切りにしたいということらしい。

8月下旬、東京・浅草。2台の人力車に別々に揺られた男女が到着したのは「離婚屋敷」だった。参列者は20~30代ぐらいの15人。正装の人や「御終儀」と大書された祝儀袋を持つ人も。ここで離婚式が始まるのだ。

会場は古い民家のガレージを転用した。冒頭、友人代表の女性(28)が「正直どう言っていいか悩みましたが、離婚しても友達でいてください」とあいさつ。しんみりムードが漂う中、夫婦は目の前に置かれた結婚指輪を見つめ、一緒にハンマーを握った。式を主催する千葉県浦安市の寺井広樹さん(30)が厳かに言う。

「二人で行う最後の共同作業ということになります」

次の瞬間、夫婦はハンマーを振り下ろした。ぐにゃり。指輪は折れ曲がった。

その指輪をカエルの形をしたモニュメントに入れ、式は終了。友人代表であいさつした女性は、「お葬式とも違う悲しみがありますね」と戸惑い気味に語った。

夫婦は2003年10月に結婚。6歳の長男がいる。

会社員の夫(34)と、居酒屋で働いていた妻(32)は生活がすれ違い、夫の浮気も発覚。約1年前から離婚に向けた話し合いを続けてきたという。式後、夫は、「指輪をつぶすことでスッキリした」と笑顔を見せた。

元派遣会社社員の寺井さんが離婚式を個人で始めたのは昨年4月。評判は広がり、今年3月からは旅行会社と組んで「離婚式ツアー」を始めた。これまで計54組が式を挙げ、来月下旬まで予約が埋まっているという。

都内のパート女性(41)は昨年12月、離婚から10年の節目に式を挙げた。「2人の息子を育ててきた自分への区切りだと思って申し込んだ。次の人生のステップになった気がします」と振り返る。

寺井さんは、「式を挙げたことで友人たちから励まされ、逆に離婚を思いとどまるご夫婦も1割程度いるんですよ」と話す。
(引用終わり)

ま、離婚をビジネスにすることからして自分は好意的に感じません。
つまりは離婚式をする側は、多くの夫婦の離婚を望んでいることに繋がる。でないとビジネスにはならないのですから。それがどんな意味を持つのか式に参加した人間は果たして理解しているのだろうか?

日本国民の家族の崩壊の手助けに加担するような連中に踊らされ、「スッキリした」だの「次のステップ」だのに繋がると思うならば、相当に「おめでたい」としか思えない。離婚をビジネスにすることからして浅ましいと感じずに、こんな離婚ツアーだの式に参加する人間も同様だ。
自分はこんな式に関わる人間には関わり合いたくはないですね。自分は「木を見て森を見ず」な人間になることは望みませんから。