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麻生平安名の変な喫茶店 その時俺様が動いた

ここは公権力の不正を放置せず、「悪いことは悪い」との批判を失わず、判断能力を常に持つことを呼びかける喫茶店(日記)です。

免許センターで学んだこと

2011年08月29日 | 日記

政治関連がくだらない人事ネタが多く、献金問題にしても的外れに思うので日記で取り上げる気力がおきない。なので、一昨日に自身が学んだことでも記録に残そうと思う。

一昨日のことですが、免許センターに行って免許の更新をしてきました。その一週間前には財布をなくして一度再交付しに来ていましたが…俺様はタダでは転ばぬ。せっかくなので今回の更新は「顔写真の持ち込み」を試みてみました。
運転免許証がいつも前科顔になってしまうのが実に気に入らなく、更新の度にカミさんにせせら笑われていたが、今回はそうはいかない!免許を提示することが必要な場所において、その度にカミさんの思い出し笑いを見るのも。免許更新の時に味わう屈辱の日を思い出すのも、もう終わりだ!
しかし、この更新は結構面倒臭いことが多いです。これは自分が体験した一例ですが、予約は更新一週間前で予約ですら時間も決まっている。顔写真も3X2.4とサイズが決まっていて当然に履歴書で用いるような顔写真でなければならない。免許の受け取りも更新当日ではなく、二週間は最低かかる。受け取りに関しても、センターに直接出向くか郵送になる(ちなみに郵送は別途800円必要)。後は講習内容によるのだが、講習時間帯の二時間前に来て、書類の手続きをやらねばならない(自分の場合は違反講習※だったので13:00受付前の11:00に来なければならなかった)。

※自分の違反した実績について知りたい方は過去日記、万年青免許を御覧下さい。

しかし、当然に特典もある。免許での写真に関しては述べるまでもないですが、手続きにおいて混み合うことがまずない。列に並んで手続き作業するといったことが発生しない(この時の手続きしたは、自分一人だったのであっさり手続きは終わった)。そして皆が手続きしている間に部屋に案内されるから、一番早くに入室し、一番早くに帰れる。面倒かけた分は取り戻せる仕様にはなっていると思います。ちなみに自分は空きの時間を献血しての読書に費やしてまったく無問題だった。
運転免許更新の際に写真を持ち込みたい。或いは更新に際しての写真撮影の一発勝負を避けたい方は、更新に際しては免許センターに聞いてみてはどうでしょう?他県は知らないが、埼玉(免許センター)は今年の七月頃から実施しはじめたそうです。ま、こんなサービスも一応にあるということで紹介してみました。

さて。免許センターにて学んだは上記だけのことではありません。自分は万年青免許なので、この度違反講習を受講したわけですが…改めて学ばさせてもらいました。この講習が警視庁の偏向情報が染み付いている講習でもあるということを。
例えば交通事故の発生について。当然ながら警察の看板たる「交通安全」は皮肉にも確実に成果をあげているのだが、その自慢は決してしません。今回の講習において、教官は事故発生件数を軽く流していました。「事故件数は確実に減っているが、無視して下さい」とね。それは警察にとって都合が悪い情報なのだ。その真意は「ドライバーの安全意識は向上している証拠」でもあるからだ。それが表沙汰になるは困る。警察の"活動"にも"天下り先"等にも影響するからだ。
というわけで、「それは本当か?」といった疑問に応えたく、警察の統計を用いて下記に出します。平成22年のデータですが、これを見て多少なりとも警察の掲げる「交通安全」に疑問にもっていただけたら幸いです。

交通事故に限らず、悲惨な交通事故については相変わらずに呼びかける。それはある意味間違ってはいないのですが、自分は警察の活動に疑問を持つ者故に「何の為に?」といった疑問はぬぐえない。「警察にとって都合のよい情報」でもあることを自分は知っているからだ。たまに地上波で放送する警察を美化するドキュメント番組が良い例で、あれからしてシナリオはいつも決まっている。あの番組構成を深く掘り下げれば、何を隠して何を吹き込もうとしているかはわかりましょう。
少なくとも、警察を"信頼し過ぎる・頼りきる"といった思想は自身の自立心の芽を失う危うさを秘めており、「交通安全に関しては警察に任せればいい」といった思想ならば、「ぬるい!」と自分は断言する。そんな思想では警察の不正にロクに目が行き届きはしないだろう。何よりも警察のタメにもならない。自身で自身の判断力を鈍らせて「菅直人は良い人ですね」と言っているに等しきこと。偏向情報に釣られる予備軍のお一人になることは疑いない。

講習では教材ビデオでドライバーの安全運転向上意識をもたすべく「思いやり運転」を盛んに取り上げていました。それはそれで自分は評価はしています。しかし、思いやるにも分別は必要であり、教材ビデオの中身をそのまま鵜呑みにしては警察の思うつぼです。「獅子の子落とし」ではないですけど、躾の悪い犬には蹴飛ばすことだって時には必要であり、偏向を偏向、不正を不正だと述べてあげるのも大事です。これもまた思いやりです(苦笑)。


さて。散々に免許更新に関して警察を批判をしてきましたが、教官から良いことも学びましたのでこちらについても取り上げたい。下記は講習で教官が述べていた「自動車運転で大切なことについての三要素」なのですが、これは自動車を運転する人に限らず、多くの人に学んでほしいことに思います。

一、認知(見る・聞く)
二、判断(決める)
三、操作(動かす)

つまるところ、皮肉にも免許センターでも「自己の能力を高め、見識を深めること」や「どれを取り入れて何を捨てるかといった判断力を高めること」といった学問のススメに通じることは教えているのである(笑)。
ここは公権力の不正を放置せず、「悪いことは悪い」との批判を失わず、判断能力を常に持つことを呼びかける喫茶店(日記)です。

自分で判断することの大切さをしっかり学び、自身を高めましょう。それこそが我が望み。


財布を無くした一日間

2011年08月20日 | 日記

昨日は散々な一日であった。せっかくの貴重な休みをささいな行動から潰してしまった。普段やるべきことをやらずしてやらないからこんな落とし穴に落ちるのだぞ、と思い知らされた一日であった。

誠に情けないことなのだが、財布を無くした…のである。

現金こそそんなに入っていなかったが、免許証やクレジットカード、店の会員証等の損害がでか過ぎた。ある会員証のポイントは七年間ひたすらにここぞという時の為にため続けたものもあり、またある会員証は万単位に匹敵するポイントのものもあったのだ。財布もそうだが、大事なものを一時の別の行動から無くした。これは激しく悔やまれる。普段ならば無くすことからしてありえないのだが、この時の財布の管理は至極問題だったと言わざるを得ない。明らかに自分のミスである。
無論、心当たりを捜索したが見つからずじまい。後の届けからのことから予想するに、中身抜き取りポイ捨ての可能性が高そうである。

財布の中身が中身だけに、警察や銀行、カード会社等に連絡。最低限の被害拡大防止に努め、その後免許証を再交付しに免許センターに行くことにする。幸いにギリギリ受付に間に合って免許証をもらえることは出来た。センター帰りに家族に迷惑も多大な迷惑を掛けたことから埼玉では有名な「十万石饅頭」をお土産に購入し、自身は気晴らしに古本屋を巡って帰る。自宅へ帰ってからは一時間不貞寝をし(苦笑)、スカパーを鑑賞して一日が終了。


この件で思い知らされた格言。
「自ら反りみて縮くんば、千万人と雖も吾往かん」(孟子)


物を大切にすることを考える

2011年08月06日 | 日記

最近、山口県のキャラクター「エコハちゃん」がピカチュウに似てると話題になっていたそうですが、今回は私的にピカチュウに関連したグッズについて取り上げたいと思う。

2004年頃だったと思うが、赤十字の献血キャンペーンから自分はピカチュウウォッチを入手した。当時はお気に入りの腕時計が壊れたばかりだったこともあり、年齢を考えるに戸惑いつつもこれを愛用(笑)。外出の際には必ず身につけるお気に入りの一つと化していました。
が、昨日いつの間にか知らないがとうとう壊れてしまった※。電池交換して間もないというに…

※壊れたピカチュウウォッチ サイドにヒビが入り、表面ガラスが外れた…



自分は結構、気に入ったものはとことん大事にする方である。お出かけで使用しているバックは13年経っても未だに現役。携帯で使っているでんこちゃんストラップは髪の塗装が剥げているけどそのまま使ってもう8年経つ。帽子も大分くたびれてきたけど3年は愛用している。
携帯も壊れるまで平気で使い続ける。使用するに堪えられない不具合が生じて止む無く機種変更しに店へ行った時の店員の態度は未だに忘れられない。「コレ何時の携帯ですか?」と言わんばかりの驚きっぷりでした。4年近く経つ携帯を差し出されれば驚くのも当然なのかもしれない。
しかし、それを超える出来事が昨日自分にありました。カミさんの母から子供にとゲームウォッチ(ドンキーコング)をもらったのだ。かつて自分が子供の頃に遊んでいた物であり、未だ現役なのに驚いた。調べたらもう30年前も経つ代物でした。「物を大事にするとはこういうことだ」と義母から改めて思い知らされましたわ(苦笑)。

物を大切にする気持ちを持つ。そんな心を自分の子供にも受け継いでもらいたいなと思う。
とはいっても壊れるものは壊れるものです。「形あるものはいつかは壊れる」ともいう。大事にしていたグッズが壊れたことは誠に残念ではあるが、壊れた事実は揺るがない。
昔大事にしていたものが壊れた時に、カミさんからこんなことを言われたことがある。「大事にしていたものが壊れたり無くなったりするということは、自分の身代わりになってくれたということなんだよ」と。壊れたものにクヨクヨするより、前向きな思考で考えるは良いことに思う。

自分はこれからも物を大事にする心を忘れない人間でありたい。しかし、大事にし過ぎるとゴミの山を築くことになりかねないから注意が必要だ。今度は整理・整頓・清掃しないとな…。物を大事にするのは良いことだが、大事にするだけでは駄目なんですよね。食生活もそうだけど、バランスも大事なんだよな…はぁ(ため息)。頭ではわかっているのだけれども、もっと自分の持てる自由な時間が欲しいです。無論、単なるワガママではありますが…ね。

さて。壊れたとはいえ、長年愛用してきたピカチュウウォッチ。よくぞ7年も持ってくれた。山口県のキャラクターのエコハちゃんがピカチュウに似てるそうだが、献血キャラクターのけんけつちゃんもポケモンのピチューに似てなくもないぞ。自分はそんなに気にしないけど(苦笑)。

7年間持ち堪えてくれてありがとう。さらばピカチュウウォッチ。ありがとうピカチュウウォッチ。

 

追記。
これは後でカミさんから聞いたことですが…次女(3歳)が祖母からもらったゲームウォッチを見て開口一番「ペンはどこ?」と発言したそうです。二画面だからDSと勘違いしたらしい(苦笑)。時の流れを感じさせる出来事に思いました。


万年青免許

2011年06月06日 | 日記

昨日は仕事休みということもあり、張り切って自宅の大掃除をしました。布団も洗濯しました。最後にコインランドリーで毛布を乾かそうと車を運転しているその時…

警察が現れた!

警察官がこちらに向かってくる。警官の説明を聞くに、どうやら標識を見落として一時停止を無視してしまったとのこと。

流石に逃げても「しかしまわりこまれてしまった」となるのは必定であるし、この違反に関しては自分が悪いこと"だけ"は否めない。大人しく警察の言うことに従い、しっかり交通違反2点と反則金7000円切符をいただきました。今後は安全運転を心掛けたいと思います。

…。



…。



…。

 

嘘です。今回は素直に自分に非があることは認めます。しかし、流石に聞きたくもない台詞を聞かされれば腹も立ちます。

「違反は違反」

自分はこの台詞が凄く嫌いである。この台詞こそが警察の警察たる所以であることを証明している。過去日記の自分と高速機動隊と交通ルールでも書いたことですが、この台詞には『警察の取り締まりで捕まるは"警察の前で違反"したから捕まったからであり、逆に言えば"警察の前でなければ違反をしてもよい"』という意味が含まれているのです。警察のルールなんてそんなもんです。交通取締りの目的は「道路における危険を防止し、交通の円滑を図り、道路の交通に起因する障害を排除すること」なのだが、この目的が本当に適っているならば自分は「警察官は警察官に対しても警察官であるべきだ!」という台詞を紹介などしない。適っていないからこそ自分は警察が嫌いなのだ。目的と手段を明らかに履き違えているのだからな。

自分はこの「違反は違反」については決して甘受はしない。自分が罰金を払うは"マナー"を守らなかったからである。警察のルールに従わなかったからではない!


追記。
この件で、自分はまた次の免許更新にて青免許になること確定した。残り3か月位にして黄金免許の道のりは断たれました。自分は警察が嫌いだが、今回に関しては警察だけが悪いわけではない。認めるとこは認めよう。潔く。自分は張景子のような不届き者と同列に並びたくないからな。


我が友

2011年05月27日 | 日記

先ほど、東日本大震災において消息が不明だった親友が亡くなったことを知った…。

知ったのは警視庁の情報から。住所年齢からして間違いない。彼の家は海岸に近く、震災時の情報では船で海に出ていたとの記録があり、後に消息が知れず安否を気遣っていた。ただ、まれに遠出する癖もあったから「もしかして」といった期待もしていたのだが、皮肉にもこんな形で彼の消息を知ることになろうとは思わなんだ。

彼とは27年前にボーイスカウトを通じて知り合い、胸襟を開いて語り合う仲になった。学び舎が同じなだけでなく、塾やサークル、果てには職場まで一緒になったことがあるほど付き合いは長い。住まいが離れても、ちょちょく連絡を取り合っていた。2008年3月3日に祖母が亡くなった時に帰郷しての再会。それが彼と会った最後となった。
自分にとって親友であり、悪友でもあり、サークル仲間でもあり、会社の同僚でもあり、同級生だった男。彼は間違いなく自分にとって同じ時を過ごした中で最も誇れる「友」"だった"。過去形で述べなければならないこと非常に忌々しい!

昔。こんな言葉を聞いたことがある。「良い奴ほど早く死に。悪い奴ほど長生きする」と。俺らは長生きする側だろうなと互いに笑いながら語り合っていたものだ。ところがどうだ。自分は生きていて、彼は亡くなった。こんな馬鹿な話があろうか。何故に亡くなったのだ。奴は良い奴では断じてないぞ。おかしいだろう。俺様の方がいい奴な筈なのに!

…。

正直かなり辛い。だが親友が亡くなった現実は揺るがない。かくなるは彼の分まで生きるとしよう。「いい加減にくたばれ」と周りから言われるくらいにな(苦笑)。

 


我が友に心より哀悼の意を表します。


四季の歌 秋を愛する人は態度のデカイ人?

2011年05月17日 | 日記

今回は菅直人のツラのような辛気臭い話題(?)から一転して、私的な話題を書こうと思います。

仕事が終わり、カミさんと薬局に買い物に行く時のこと。季節の話から「四季の歌」の話になり、「春を愛する人は 心清き人♪、だけど、秋の歌詞ってどんなんだっけ?」とカミさんに問うた。
するとカミさん曰く「態度のデカイ人」と回答が。で、自分は素直に口ずさんでみた。
「秋を愛する人は 態度のデカイ人♪」…

…。

オイコラ。

カミさんは大笑いしていました。どうやら自分が秋が好きなことを知って騙したらしい。正しくは「心深き人」でした。まぁ、自分四季の中では秋が好きだし、心も不快もとい深いと思う。恩は忘れず、仇は数十倍に返すほど自分の心は底が知れないからな(苦笑)。

さて。戯れはここまでとして…話題のもととなった「四季の歌」を最後に紹介し、締めといたします。当たっているかいないかはもかくとして、良い歌詞かつ歌に思います。この日記を見ている方はどの季節が好きですか?
もうすぐ夏です。季節の変わり目は体調を崩しやすい傾向にあるようです。当喫茶店に訪れたお客様も体調管理に気を付けてお過ごしくださいませ。

喫茶店マスター麻生平安名でした。



春を愛する人は心清き人 すみれの花のような僕の友だち
夏を愛する人は心強き人 岩を くだく波のような僕の父親
秋を愛する人は心深き人 愛を語るハイネのような僕の恋人
冬を愛する人は心広き人 根雪をとかす大地のような僕の母親


安堵と不安と決意

2011年03月17日 | 日記

…奇跡的にようやく両親と連絡取れた。

無事が確認できたことで肩の重荷が随分下りた気がします。とかく、良かったと。

向こうの状況はTVやネットで知っていたが以前芳しくなく、両親のこれからどうするかを聞いたところ「残る」と言っていました。衣食住すらままならない状況なのに…。
一時的にも避難するよう説得したのですが、父親曰く「商売道具が気になる」と聞いたら不思議と笑うしかなかった。正直、無理しているな。と受け取れましたが、まずもって「迷惑をかけたない気持ちもあるのだろうな」と。こんな時くらい頼ってくれよとも思ったが、向こうは向こうで頑張ると言うのだからもう自分は多くを語るまいと。幸いに、車を使って携帯電話は充電できる環境はあるようなので、回線は繋がりにくくても連絡手段がとれることは確認でき、まずは安堵した。

余談だが、母親は災害当日、津波警報を聞いて慌てて通帳と印鑑をもって逃げたという。父親は母親と合流してホームセンター屋上に避難しつつも、都度食料調達して飢えを凌いだと言っていた。…我が両親ながらその行動力には頭が下がる。流石は誇れる我が親だなと感心。
最後に自分は「困ったら素直に助けを呼んでくれ」と。「まだ親孝行してないから親不幸なことはするな」と言っておいた。そうなのだ。自分はまだ孝行できる環境すら整えていないのだ。これは実に恥ずべきことである。
恥ずべきこととわかっていれば自ずとやることは決まる。これから復旧する必要がある。自分自身を復旧し、自分を高めなくてはならない。自分の為にも、自分を必要とする誰かの為にも。

その為にはやらなくてはいけないことがある。まずは…寝る!


2011年の建国記念の日の過ごし方

2011年02月11日 | 日記

今日は建国記念の日です。その名の通り、日本の建国を祝う日であり、初代天皇である神武天皇の即位を祝う祝日といわれる日でもあります。

去年は静かに日本史を読みふけり、国民の祝日かつ日本の建国を祝ったが、今回はお仕事だ(嘆息)。読書する余裕なんぞありゃしない。休みだったら建国記念にふさわしい行事に参加したかったのだがなぁ…。

今日は心の中で祝いつつ国旗を掲げようぞ。

自分は日本人として生まれてよかった。


2010年を振り返って

2010年12月31日 | 日記
いらっしゃいませ。当喫茶店にご訪問くださいましてありがとうございます。マスターの麻生平安名です。
今月上旬から営業(日記更新)が完全に停止してしまい、ご訪問くださったお客様には多大なご迷惑をおかけいたしまして大変申し訳なく思っております。

今年を振り返るに…「試練の年」だったように思います。自分の意思なり信念を試された年だったかなと。
政治面から見るに、内憂たる民主党や外患たる中国が猛威をふるいましたが、尖閣ビデオ流出や渋谷でのデモ行進等、日本を憂うる国民の頑張り如何によって日本は変われることが出来る・希望の芽があるのだと認識できた年ではなかったでしょうか。
私的には今月から大きくつまづき、地固めするまで営業を停止することに至りましたが、地固めが出来ましたらまた通常営業いたしたく思います。いつになるかは本人もわかりませんが…必ず戻ってきたい思っております。

御来店なさった皆様がお元気で新春をお迎えになられますよう心よりお祈り申し上げます。
またのご来店をお待ちしております。


喫茶店マスター 麻生 平安名

教育勅語を書いてみました

2010年12月27日 | 日記
今年(平成22年)もあとわずかです。今年は「教育に関する勅語」が渙発されて120年にあたります。今更ながらですが、明治天皇がお示しになった「たいせつなこと」にふれる意味で、教育勅語を書いてみました※。

※参考HPはこちら
◆明治神宮-教育勅語を書いてみましょう-

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」はビスマルクの言らしいですが、日本人もそろそろ真面目に"歴史"を学んで欲しいなと思う。歴史を学ぶにも"過ちの歴史"を繰り返すはいい加減に止めてもらいたいと。そのように思います。