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麻生平安名の変な喫茶店 その時俺様が動いた

ここは公権力の不正を放置せず、「悪いことは悪い」との批判を失わず、判断能力を常に持つことを呼びかける喫茶店(日記)です。

続・光の国からパチンコの国へ

2013年11月11日 | 報道/その他(ライフ・ビジネス)

おいおいふざけんなよ。
パチンコ・パチスロメーカーのフィールズが筆頭株主であることを無視して、第二位株主バンダイの宣伝謳って平和だの日本貢献だのと戯言をほざくんじゃねぇよ。

◆いまだ健在の「ウルトラマン」人気 平和に加えて、日本経済活性化にも貢献(gooニュース×MONEYzine) - goo ニュース

(引用)
身長40メートル、体重3万5千トン、M78星雲からやってくる「ウルトラマン」。職業はウルトラヒーローで、地球の平和を守るために、悪さをする宇宙人や怪獣を倒すことが任務だ。しかし、最近のウルトラマンの仕事は、それだけにとどまらない。

今年で会社設立50年を迎えた円谷プロダクション(東京都渋谷区)がウルトラマンを世に送り出したのは1966年。以来47年間に、親類縁者も多数誕生し、9月には「最も派生テレビシリーズが作られたテレビ番組」として、ギネスワールドレコーズから世界記録に認定された。そして、いまや世代を超越して愛されるウルトラマンは、その抜群の知名度や人気度で、日本の経済の活性化にも貢献中だ。

4月からは仲間を従えて、高速道路の売上促進に乗り出した。東日本高速道路(本社:東京都渋谷区)が管理・運営する関越自動車道の高坂サービスエリア(埼玉県東松山市)の上下線に設置されたのが「ウルトラマン・ウルトラマンゼロ自動販売機」だ。同自動販売機は、ビルを背にした高さ4メートルのウルトラマンとウルトラマンゼロが各1体と、4台の自動販売機で構成されており、飲み物などを購入すると、発光やウルトラマンならおなじみの「シュワッチ」といった声を発するなど、つい買ってみたくなる仕掛けが満載となっている。

また、町おこしにもウルトラマンは欠かせない。福島県の中央部に位置する須賀川市は、特撮の神様と称される円谷プロダクションの創設者、円谷英二氏の生まれ故郷だ。そんな縁もあり、同市では今年5月に「M78星雲 光の国」と姉妹都市提携を結び、ウルトラマンらとともに、地域の魅力のアピールを開始した。現在インターネット上にも、仮想都市「すかがわ市M78光の町」が開設され、市内の見どころや自慢の味の紹介や、無料の仮想住民登録も行っている。ちなみに2013年11月1日時点で仮想住民登録の数は1,615人。

そして、10月にはウルトラマンの貴重な資料も発見された。これは、よろめくウルトラマンや、火のついた怪獣をスタッフが慌てて消火するシーンなど、いわゆるNG場面を収めたフィルムで、特撮の黎明期を知る貴重な映像集だ。この映像集は、来年1月29日に発売予定の「ウルトラマン blu-ray BOX(1万8,900円/販売元はバンダイビジュアル)」の特典となる。

NG画像で、年明け早々から話題沸騰必至のウルトラマン。登場から48年目となる2014年も、忙しい日々となりそうだ。
(引用終わり)

昔の日記、光の国からパチンコの国へで既に述べていること改めて述べますが、ウルトラマンは玩具とパチンコに染まっているのです。それが平和だの日本貢献だのぬかすは虫唾が走ります。

自分はスカパーで歴代のウルトラマンシリーズをまれに見ていました。スカパーでは一話から最終話までしっかり放送していました。地上波でもまれに歴代のウルトラマンを紹介し、また放送してはいるようですが、スカパーのように最終話まで放送することはまずないだろう。いや…自分は出来ないと思っている。
なぜか。それは反日軍にとって不都合な話がウルトラマンに含まれているからだ。例えでウルトラマン80を紹介する。何故に80なのかはわかりやすいからです。
まずウルトラマン80の人間での職業が中学校の先生という設定。当時の学園モノを匂わせてか斬新な設定と思ったが、平成でこんな教師がいたらウルトラマンは日教組に屠られて平和うんぬんどころではないのではないかと勘ぐってしまう(苦笑)。最終話ではUGM(地球人)がウルトラマンに頼らずに怪獣に立ち向かうことを選択しています。我ながら大風呂敷広げていると自覚しているが、この話は日本国憲法のように「誰かが何とかしてくれるだろう」という他人任せを否定し、自立を促している節がある。この話のみならず、歴代のウルトラマンのシリーズにはウルトラマンに依存すること必ずしも是としておらず、自らが(日本の)平和の為に戦うという意図が少なくとも含まれてはいます。そう自分は思っている。
さて。こんな思想を今の、平成のマスメディア(反日軍)が許すだろうか?許すわけが無い。日教組は自立を促す思想は絶対に許さないだろう。奴らは教師は平和のみ謳えば良いと思っている。そして他人任せの平和を肯定しても、戦うことを好まない。怪獣だって話せばわかるのではと戯言を言いかねない(苦笑)。だから地上波で放送は出来ないと思うし、再放送することすら叶わないと述べているのだ。
昔の仮面ライダーや戦隊モノもそうだ。シリーズが続くヒーローものの大半は地球の平和を謳うことはする。しかし仮面ライダーストロンガーの歌詞のように、「日本の平和を守る!」と胸を張って謳うヒーローはいるだろうか。今では皆無ではないのか。少なくとも自分は知りません。
バンダイ都合なのか、一人が忙しく色々な変身をするヒーローが増えている。歴代のヒーローが登場することもめずらしくなくなりつつある。そんな意味において、リサイクル(?)も盛んのようにも思える。今のヒーローものは悲しいかなその多くのヒーローには自分が知るいわゆる「昭和臭さ」といったものがまるで感じられない。時代の流れから致し方ないところはあるだろう。面白くないとは流石に言いませんが、胡散臭さがまず目に付いてならないのだ。

自分は島本和彦先生の漫画のヒーローの正義の定義を議論する話に感化されていて(笑)、昔に比べるとウルトラマンに対しての見方がかなり変わっている。ウルトラマンのジャミラの話は内容が濃くて好きになったほどだ。今回の記事がウルトラマンの宣伝をただ単にするだけならば、眉をしかめつつも自分はスルーしただろう。しかしそれが叶わなかったは記事に嘘があったからです。だからこそ自分は今回日記にて取り上げたのだ。

ウルトラマンを材料としてたイノベーション(物事の「新結合」「新機軸」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」を創造する行為のこと)の話題は面白いとは思う。しかし、日本の平和や経済発展が絡むと話は別である。
つまりは記事の冒頭にある「ウルトラマンの任務・仕事」に自分は疑問を持ってほしいのだ。この日記を見ている方に。パチンコ・バチスロは日本に害をもたらす。その先兵にウルトラマンは存在する。平和を守るを謳うウルトラマンは日本を守る為には存在はしていない。パチンコ・バチスロを守る側にいるのだ。その事実を語らずして日本の経済発展?勘弁してくれよと。本当に日本の発展を考えるならば、ウルトラマンが好きならば、自分はウルトラマンの立ち位置を見ていただきたく思う。

最後にウルトラ5つの誓いを紹介します。この誓いから日常の平和やウルトラマン等について何かを考え、また得て頂けたら幸いです。

一つ、腹ぺこのまま学校に行かぬこと!
一つ、天気のいい日に布団を干すこと!
一つ、道を歩くときにはクルマに気をつけること!
一つ、他人の力を頼りにしないこと!
一つ、土の上を裸足で走り回って遊ぶこと!




猫の幸せを考える

2011年08月16日 | 報道/その他(ライフ・ビジネス)

自分は犬猫を担いで人間心理を利する輩が大嫌いなので、あえて批判側に立ちましょう。
そもそも猫の幸せを問う前に、猫のことをまず理解してほしいなと。

◆教えて!ウォッチャー…野良猫と飼い猫はどっちが幸せ?(教えて!ウォッチャー) - goo ニュース

(引用)
外を散歩するのが気持ちいい季節。ウチの猫たちもベランダに出て外を眺めている時間が長くなった。2匹とも捨て猫出身。本当は自由に外を走り回りたいのかなーと思うと、ちょっと切なくなる。教えて!gooにもこんなQ&Aがあった。

「猫にとって幸せなのはどっち?」

「野良猫と飼い猫の幸せ」

子猫の兄弟を保護したという質問者。家で飼い続けるためには避妊・去勢が必要になるけれど、「猫にとっては、痛い避妊もされず、生き生きと猫らしく外で自 由に生きることが幸せなのでは?」と悩んでいるという。もう1人の質問者も子猫の里親になったものの、「もしかしたら、本当のお母さん猫と一緒に居た方が 幸せだったのかなあ」と考えてしまい、「野良猫より飼い猫が幸せだと思うのは人間のエゴなんでしょうか」と問い掛ける。

回答者はそんな悩みに共感しつつ、野良猫の境遇に心を痛めている人が多かった。

「メス猫は、年に2回出産出来ます。1回の出産で2匹~6匹が生まれてきます。外で生まれて、どれくらいの子が生き延びられるのでしょうか。生き延びられたとしても、天寿をまっとう出来る子は、ほとんど居ないのではないでしょうか?」(hisukeさん)

「『人間の勝手な思いで』沢山の猫達が捨てられています。『猫の気持ちも分からないのに』勝手に捨てています。避妊をしないことが猫の気持ちを分かることとは、私は思えません」(non5さん)

地域猫活動をしている人によると、野良猫の寿命は3~4年程度とか。20歳を超す長寿も珍しくなくなった飼い猫と比べると極端に短い。病気になったり車にひかれたり人間に虐待されたりする危険とは常に隣り合わせ。

とはいえ、その境遇を猫たちが「不幸」と感じているかどうかは誰にも分からない。

「猫は人間と違って、その時その時で嬉しい、楽しいと思ったり、あるいは、不快に思ったりするだけで、過去を振り返って『幸せだなあ』なんてことは考えたりしませんからね」(pk7743さん)

「野良猫とは、縄張りが恵まれているかどうかだけの差があるだけで、猫はそれぞれの縄張りで、それぞれ猫であるかのごとくに暮らしているのです。そ う言う意味では、野良猫と飼い猫の差なんてそんなに大きなものではないのです」(sinobu_wednesdayさん)

では人間にできることとは?縁があって飼うことになった猫に最期まで責任を持って愛情を注ぐこと――というのが一致した意見だった。

「大事なのは愛情を沢山与えてあげること。それが出来る環境にあるのなら、それはきっと猫ちゃんたちにも通じます。家の中でおなかを上にして、安心して眠ることが出来るのです。その姿こそ、答えです」(前出のnon5さん)

猫だってきっと、それぞれ性格も考え方も違うので、寿命なんか短くたってオレは野良だぜ!というヤツもきっといそう。どっちが幸せかなんて人間からは、い や人間自身だって分からないけれど。ウチも猫たちには狭い部屋での共同生活を我慢してもらっている。なので朝5時から運動会が始まったり、こうして原稿を 書いている最中にマウスを何度もはたき落されることくらい、我慢しなきゃいけないかな(汗)
(引用終わり)


今回は今まで猫に対して述べてきた意見を大いに取りげたいと思う。
まず、人間にできることについて「縁があって飼うことになった猫に最期まで責任を持って愛情を注ぐこと――というのが一致した意見」との記事内容。自分はここからして異論を唱える。この「責任を持つこと」と「愛情を注ぐ」は個人差が生じるわけでして、責任を持って愛情を注ぐだけでは"単なるエゴ"としか自分には思えない。

「野良猫を責任を持って自宅で飼い、飼いネコが周りに迷惑をかけないことまで考えて猫に愛情を注ぐ」ならばわかります。しかし世の中には、猫に餌を与えることを自らの責任とし、野放しすることを愛情であると勘違いする動物愛"誤"者もいるのです。飼うにも最低限、猫に対する知識は必要であり、ただ「飼えばそれでいい」ではあまりにも無責任。
過去に自分が相手をした輩は皮肉な意味で、責任感もあって猫に対する愛情は十分に満たしていました。ただし、その対象の猫が周りに対して迷惑行為を引き起こしているという自覚に欠けていた。そして責任や愛情は猫に向けられており、飼い猫のいない子猫を増やす手助けをしているとの自覚もなかった。猫を取り巻く社会のことなどお構いなし。注いでいるであろう、愛情と責任からして歪んでいた。しかもこれでも「縁があって飼うことになった猫に最期まで責任を持って愛情を注ぐこと」には当てはまる。果たして人間としてこれは許されるべき行動といえるものであろうか。自分には到底思えない。

野良猫に餌を与えて猫を救ったと自己満足気どりしている人間。このテの人間は決して「最後まで責任は取らない」。そして「自分達の都合よい部分しか見ない」し「自分達こそが正しい」と思っている。この考え方は限りなく「カルト」に近い。
愛情を注ぐ。結構です。責任を持つ。結構です。しかしそれだけでは駄目に思う。自分は猫を取り巻く社会も考えてほしいのです。本当に猫が好きならば…ね。自分は嫌いですが(正しくは嫌いになった)。
ちなみに、もし野良猫に興味を抱いて餌付けした方がいるとすれば、その方は立派に「動物愛"誤"者予備軍」と言えます。餌付けをすれば、その猫はその地域に居座る率は高くなり、人間の所有する財産に何かしらの被害を及ぼしましょう。もし被害を受けた相手から餌付けの証拠を突き付けられたならば、「知らぬ存ぜぬ」は通用はしません。些細な興味から猫に関わった加害者になることは十分にありえるわけです。実際にそんな事例は存在します。
県や市によって内容は異なりますが、動物に関する条例はどの県にもあるようで、条例をもってすれば「知りませんでした」では済まされません。罰則もしっかりと存在しますから、加害者の立場となれば当然報いは受けることになります。


下記に示すは、過去にもらった山梨県の動物愛護協会からの資料です。これこそが正論です。

「餌をあげるだけの飼い方は、飼い主のいない子猫を増やす手助けをしているようなものです。病気の予防、ケア、トイレのしつけ、人社会の中で猫と暮らすためのマナーを守り、愛情と責任を持って飼いましょう」


追記すると資料にはこうも書いてある。「猫は餌が充分に与えられていれば、特に広い生活空間は必要としない」と。資料は室内飼育を勧めている。交通事情や住宅事情を考えれば外に出すことなどはとんでもないことであり、猫の出産のことまで親切に説明しています。
本当に猫を可愛がり、また大切にする動物愛護者は愛情と責任を持つことは如何なることかを理解しているもの。愛"誤"者は理解しないか、勝手に解釈しているに過ぎません。
自分は猫の幸せなど理解する意識から欠如している。しかし、少なくとも動物愛"誤"者よりも遥かに猫のことは考えている。自分は中途半端に猫に関わることはしないし、また関わることが如何に周りに迷惑をかけることかを警鐘している。自分には猫の幸せが如何なるものか回答する立場にないのかもしれない…が、これだけは言いたい。

猫に対する幸せを想い過ぎれば猫は確実に社会から憎まれます。日本の歴史でも「生類憐みの令」の一例があります。想う気持ちはほどほどに願いします。


30代女性が「女子」と自称する理由を考える

2011年06月01日 | 報道/その他(ライフ・ビジネス)

今回はコラムに乗じて常々思うことを述べたい。

◆30歳を過ぎても「女子」ですか? - 教えて!ウォッチャー - 教えて!goo

自分は四捨五入すれば40代となる男性ですが、30代の女性に向かって「女子」と言うは失礼に思いますね。
記事曰く「私は『女性』という言葉の方が好きですね。大人っぽさが漂ってますし、気品も感じられます」と述べたmmaa1103さんの意見に自分は近い。

逆の立場で考えれば…自分は30代だが「男子」と呼ばれたかねぇ。流行言葉の○○男子の部類に当てはめられているようで、仮に呼ばれたら相当に不快に感じるだろうな。

(引用)
30代女子というけど…
この5、6年で急速に広まっているのが「女子」という呼称。「オトナ女子」「森ガール」など、さまざまなバリエーションとともにすっかり定着しています。恋と仕事のキャリアカフェでも「働き女子」という言葉をよく使っています。

ところが、教えて!gooでこんな質問を見つけました。

「30代女性は“女子(じょし)”ですか?」


■違和感を感じる声が多数

質問者は「10代の女の子は“女子(じょし)”と言って差しつかえはないですが、果たして30代は…」と、大人の女性を女子と呼ぶ傾向に違和感があるようす。回答としては

「『女子』と呼ぶのは十代まで、呼んでも大学生まで、ですね…」(noname#122647さん)

「私は『女性』という言葉の方が好きですね。大人っぽさが漂ってますし、気品も感じられます」(mmaa1103さん)

「20代でも女子はねぇだろうよ(笑)、といつも思っています」(wakowellさん)

「女子という単語の流行がむしろ嫌いです。というのも、私は女史という単語が好きだから」(masato3816さん)

「成熟期に入った世代が“女子”と言われるのは、なんか違和感を感じてしまいますね」(noname#130870さん)

「三十路過ぎの女性が使うのは痛々しい」(ok5181103さん)

「『ガール』という単語にも違和感があります」(milch_milkさん)

と、否定的な意見が目白押し。性別・年齢問わず、多くの人が違和感を感じているようです。

もちろん、「30歳女です。心の中では女子と思っています(笑) 思ってるだけで若々しく居られる気がするので…」(noname#122721さん)

という賛成意見もあって、30代女性のmarun_2008さんは、

「最近の『女子』という単語の使い方は新しい意味づけでの使い方だと思います。…“女性です!”というと多少堅苦しい場面かなと思いますが、“女子です!”だと元気さ、フランクさを感じますね。『男子』という言葉がありますが、これは男児という意味だけではなく『男子の本懐』という言葉があるように一人前の男という意味もあります。『女子』にもそういう2つめの意味が少し変わった方向で強くできてきたのでしょうね」

と的確な分析を見せています。


■気持ちのアンチエイジング

とかく「若いこと=いいこと」とされる日本社会。アンチエイジングへの意識・関心は世界でもトップクラスで、女性たちは若さを保とうと一生懸命です。

ところが、なにかとオス化・オッサン化が強要されるシゴト社会の中で、「若さ」「女性らしさ」を保つのは至難の業。「女子会」を開いたり「女子力アップ」を目標にしたりして、自分の中の「女の子」を確認するのは「気持ちのアンチエイジング」と言えるでしょう。

ストレスフルな毎日を生き抜くための、いわば「自衛手段」。この言葉のおかげで救われている女性も多いはずです。

「女子」のみなさんの健闘を祈ります!
(引用終わり)

女性の方が男性よりも「若くありたい想い」が強い傾向にあると思う。昔から自分はそう感じている。気持ちは「女子」でありたい。それはそれで良いと思いますが、ただ母親の立場である女性が「女子」と言うは物凄く違和感を感じますね。まるで「母親」という立場を受け入れてないように感じますから…。

自分は自分の年齢を素直に受け入れる。仮に自分が女性の立場ならばそう思うし、そうありたい。どうせ女子と呼ばれるならは同じジョシでも「女史」と呼ばれることを目標としていただきたいですね。
無論、男性も然り。女性から尊重し、認められるような男性になるよう努めるべきです。自分は努めてはいる。ただし自分は「レディファースト」という思想だけはない。


追記。
自分が「女子」を述べるは…トイレくらいですかね。自分は「女子トイレ」と言っても女性トイレとは言わないですから(笑)。


中国政府のまわしもののコラムを紹介するダイヤモンド・オンラインの見識

2010年10月01日 | 報道/その他(ライフ・ビジネス)
◆中国人船長の釈放は正しい決断だった 日中双方が真摯に反省すべき点とは(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース

タイトルからして呆れ、また記事内容からして売国的内容が盛り沢山。いつもは感想を述べるにあたって記事を紹介しているのですが、今回は余りにも目に余って紹介する気にもならない。

まずもって「中国人船長の釈放は正しい決断だった」「日中双方が真摯に反省すべき」。この見識からして怒りが募りますが、もっとも酷いは記事の中身です。
自分が要約するに…
「日中関係を壊せば中国以上に苦しい立場になる(と脅している)」。
そして「波風に耐えうる強固な両国関係の構築は緊急課題となっている」と述べて、「日中両国の政府も民間もともに行動し、互いに信頼できる新時代にふさわしい交流関係を作らなければならない」と(中国側の自己都合的な勝手な関係を日本に)押し付けている。
しかも記事内容には中国ヨイショが多分に含まれ、一番呆れたは「この漁船接触の件を「早く解決できてよかった」と勝手に締めていることです。

ふざけるのも大概にしろ(怒)!

挙句には日中双方に反省しろだとな?「中国が真摯に反省する御国かよ!」と突っ込みをいれたくなります。日本と中国が互いに尊重し合える信頼関係など作れる筈がないのに、(また中国側からして拒否しているのにその現実を見ていない)そんな妄想を抱いている傾向にあるこの筆者はいったい何者なのか。
調べて見れば、このコラムを書いたは"莫邦富(モー・バンフ、ばく ほうふ)"なる中華人民共和国出身の経済ジャーナリスト・作家であった。これで経済ジャーナリストとよくも名乗れるものだ。"中国政府のまわしもの"の間違いではないのかね。

さて。ダイヤモンド・オンライン(DOL)について、戯れで少し調べてみたが、ダイヤモンド・オンラインは「出版社のダイヤモンド社が提供する、ビジネス情報サイト」であり、「雑誌『週刊ダイヤモンド』編集部発の最新記事をはじめ、経済・時事・経営戦略・ビジネスライフ・キャリア・マネー・IT・暮らし・オフタイム情報まで、幅広く質の高い情報コンテンツであらゆるビジネスパーソンのオンとオフをサポートします」と謳っている。
いやはや。「大した情報だな」と皮肉たっぷりに自分は反論したい。こんな売国的内容の記事を堂々と「経営・戦略(企業の最新動向、経営戦略、経営者の声が、ビジネスの役に立つ))」として掲載するのだから。

ダイヤモンド・オンラインこそ自分は真摯に反省すべきと思います。ダイヤモンド社は果たして社是たる「正確な情報の提供」と「ダイヤモンドに象徴される自覚と誇り」を自覚しているでしょうか。売国奴の片棒を担ぐが如くの情報を提供することが社是に適っているというならば、日本にとってこれほど有害なことはありません。看板を書き換えるべきです。「中華人民・オンライン」と。


「子ども手当」容認は脱日本の試金石?

2010年07月19日 | 報道/その他(ライフ・ビジネス)

◆「子ども手当」は脱官僚の試金石【山崎元コラム】(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース

タイトルはこのコラムを書いた山崎元氏へのあてつけです。そう思わせる内容がこのコラムに含まれてあるのだから。

(引用)
昨年の総選挙では、民主党の目玉政策の一つだった「子ども手当」だが、その後に大切に扱われているとは言い難い。

公平に見るなら、小沢一郎前民主党幹事長が「公約は守るべきだ」という主旨で菅首相を批判している意見が「子ども手当」に対して擁護的なのを見落とすべきではないが、満額実施を訴える意見で目立つのはこれくらいのものだ。

それ以外には、単に「バラマキ」と決めつけて批判する意見も含めて「子ども手当」に対する評判は宜しくない。

しかし、筆者には「子ども手当」がそれほど悪いとは思えない。個々の子ども手当への攻撃を、子ども手当の背後にある思想と対比して見ると、子ども手当を攻撃している人たちの立ち位置がよく分かるように思える。参議院選挙の投票が間近に迫っていることもあり、個々の政党や候補者に言及し辛いが、「子ども手当」をいわば一つの試金石として、彼らの政策に対する姿勢を評価することができるのではないか。

「子ども手当」が本来持っている思想とは、

(1)子供の人数と年齢以外に条件を付けずに人を平等に扱う(単純で平等)、
(2)負担と合わせて考えると低所得者に相対的に厚い富の再配分(貧者に優しい)、
(3)官僚が権限や裁量を発揮したり、官製の事業に予算を使いOBを喰わせたりする余地がない(脱官僚)、
(4)使途は自由で政府は国民生活に介入しない(生活への不介入)、
といったことだ。

これらの何に反対しているのかを見ると、反対者の立場や思想が分かる。
(引用終わり)

まずは、引用ここまで。

子ども手当ヨイショするにしても、随分と都合のよい戯言を並べたものだと思った。
この方は、子ども手当に関する民主党の政権公約の中身や外国人が役所に殺到したことについては蓋をして、富の再配分と官僚への攻撃をやたらに強調している。まるで「今がよければそれでよし」と言わんばかりです。
そもそも山崎元という人物は、民主党の存在自体が日本解体を推進しているという事実を見ているように思えないし、文面から日本に対する愛国心もまるで感じられない。後々に引用しますが、パチンコを容認し「なんら問題ない」と片付け、官僚のゴルフと同一視扱いしていることからしてもう話にもならない。

(引用)
子供のいる家計にとって教育費は重要な支出だが、常に「最重要」とは限らない。借金の返済が大事な場合もあるだろうし、子供も親も栄養のある美味しいものを食べたい場合もあるだろう。「子ども手当」の教育クーポン化は、子育てを狭く捉えた「意地悪」だ。それに、敢えて付け加えると、親が、合法的なストレス解消であるパチンコをすることに何ら問題はあるまい。自費でやる限り、官僚がゴルフをやっても問題ないのと一緒だ。
(中略)
 「子ども手当」は、概ねフェアで、制度としてシンプルで、資源配分上の効率性を歪めない、「優しくて、自由な」制度だ。しかし、そうであるがゆえに方々で不人気なのだ。「子ども手当」のどこを嫌っているかを見ていると、政党や候補者、さらには各種の論者の立ち位置がよく分かる。
(引用終わり)


この方は民主党に優しくて、自分に対して自由であるようだ。
自分は「自由とは不自由あってこその自由である」と思っているので、山崎元の自由論は理解しがたい。そして山崎元が民主党寄りの立ち位置にいることがこのコラムの内容からよくわかるので、話の論点をすり替える偏向振りにはいい気分はしません。

自分は官僚に問題があることは認めるし、否定もしない。しかし、子ども手当を語るに脱官僚を持ち出して「フェア」だの「資源配分上の効率性を歪めない」と述べるはスジが違う気がいたします。
子ども手当の財源は、扶養控除・配偶者控除・配偶者特別控除の廃止。仮に30歳で子供に恵まれたとしても恩恵を受けるのは45歳まででと言われています。それからの残り数十年の人生に大きな負担がのしかかる仕組みです。これが本当にフェアと言えるのでしょうか、山崎元さんよっ(怒)!

山崎元が立ち位置をやたらに強調するのであえて述べますが、自分の立ち位置は"日本"です。自分は日本国民であり、日本を尊重する者です。中韓寄りでは断じてありません。だから貴方を自分は批判します。貴方とは違うんです!


未だにくすぶる米国産輸入問題

2010年04月09日 | 報道/その他(ライフ・ビジネス)
◆米産牛輸入、協議再開で合意…米は「緩和」要求(読売新聞) - goo ニュース

少なくとも協議すること自体は問題ない。が、日本の食の安全をアメリカに合わせる必要など何処にもない。
緩和を要求するならば、それなりの情報開示と責任と権限を明らかにするよう要求し返せばよいだけだろう。もっとも日本側もそれは同様だがな。

(引用)
赤松農相は8日、来日中のビルサック米農務長官と農林水産省で会談し、米国産牛肉の輸入制限問題についての政府間協議を再開することで合意した。

ただ、制限緩和を求める米国に対し、日本側は現状維持を主張し、議論は平行線に終わった。米国は中間選挙をにらんだ雇用対策などから輸出拡大の方針を打ち出しており、今後、日米間の摩擦が激しくなる懸念もある。

会談後に記者会見した赤松農相によると、ビルサック長官は「米国はこれまでの姿勢を改め、柔軟な対応をしたいと考えている」と述べたという。

米政府はこれまで、日本が米国産牛肉の輸入を「生後20か月以下」に限定している制限の撤廃を求めていた。今回は、撤廃ではなく「30か月以下」への制限緩和を求め、態度を軟化させた。これに対し赤松農相は、制限緩和に慎重姿勢を崩さなかった。

一方、ビルサック長官は会談後、「米国の目的は国際的な基準に沿った科学的な枠組みにすることにある。双方が納得できる枠組みに向け対話を続けたい」との声明を発表した。

米国が態度を軟化させた背景には、オバマ米大統領が、5年間で輸出倍増を目指す「国家輸出構想」を1月に打ち出した影響がある。日本の米国産牛肉の輸入量は制限前(02年度)の約24万トンから、08年度は約5万トンに減った。米政府は、輸出拡大のため、「制限撤廃」から「制限緩和」という現実路線にシフトしたといえる。また、今年11月の米中間選挙に向け、肉牛の生産地である中西部での票固めを目指す狙いもありそうだ。

だが、米議会では輸入制限の即時撤廃を求める対日決議案が提出されるなど、対日圧力が強まっている。このため、今後の交渉では米国側が、改めて制限撤廃を求める可能性もある。

◆米国産牛肉の輸入制限=米国で2003年にBSE(牛海綿状脳症)に感染した牛が発見されたことから、日本は米国産牛肉の輸入を一時禁止した。05年に危険物質が蓄積しやすい脊柱(せきちゅう)などの特定危険部位を除去した月齢20か月以下の牛は安全だとして、輸入を再開した。だが、米国は「日本による月齢制限は、科学的根拠に基づいていない。ほとんどの消費国では採用されていない制度だ」などと批判していた。
(引用終わり)

この件については過去日記でも取り上げてきたが、とかく問題に対しての改善が未だなされている印象がまったく感じられない。

※過去日記
◆いい加減な農水省と厚生労働省の置き土産
◆いい加減な農水省と厚生労働省の置き土産 その2

特にこの記事でのアメリカの主張は舐めているにも程がある!
過去にBSE危険部位付きの牛肉を提供した時も「それがどうかしましたか?」と言わんばかりな対応だったではないか!
少なくとも、
オバマの選挙の為に日本の食の安全が侵されては堪ったものではない!ましてや、他国と食の安全性を同一視して科学的根拠とぬかして検査の緩和を求めるはあまりにも自分勝手である。

今回の件から、自分は「平成22年度輸入食品監視指導計画(案)」に関する意見募集結果(計画本文反映)なるものを初めて見てみた。
それによると、BSE対策についての意見は「米国産牛肉の輸入については、これまで対日輸出条件違反の例では、目視でわかるものもあるが、月齢違反等目視ではわからないと説明されている。消費者が信頼できる米国産牛肉のBSE対策を強化すべきである。」とあるのに、厚生労働省は以下のように回答している。

「米国から輸入される牛肉等の安全性確保については、対日輸出プログラムを通じた米国側による対日輸出基準の遵守と、日本側によるその検証を適切に行うことが重要と考えています。計画案の序文に記載しているとおり、今後とも、米国側による対日輸出基準の遵守状況については、定期的な現地査察の実施や輸入時の検査等により検証していくこととしています。」

…厚生労働省の言い様を見るに、検査の強化は必要なく、現行のままでよいとの回答しているように思われる。自分は当然なからこの回答に納得はしないが、これだけは申しておく。
その検証から米国農務省・農林水産省の検査をすり抜けてBSE牛肉が吉野家の工場で発見された事実が一昨年にあったことはくれぐれもお忘れなきよう!


光の国からパチンコの国へ

2010年03月18日 | 報道/その他(ライフ・ビジネス)

◆「ウルトラマン」の円谷プロ、パチンコ会社の子会社に(朝日新聞) - goo ニュース

いやはや。ウルトラマンがパチンコの走狗に成り下がった時には正直嘆息したものだが、これでもうウルトラマンは正義の味方を名乗る"偽善者"に成り下がることになる。そう捉えてもよかろうな…(嘆息)

(引用)
パチンコ・パチスロ機の企画・販売を手がけるフィールズ(東京)は17日、「ウルトラマン」シリーズで知られる円谷プロダクション(東京)を4月に子会社化すると発表した。「日本の宝というべき知的財産を積極活用する」とし、ウルトラマンのパチンコ機の企画などを検討する。

映像制作会社ティー・ワイ・オー(TYO)が保有する円谷プロ株(発行済み株式の51%)をすべて買い取る。購入額は未定。フィールズはアニメ「エヴァンゲリオン」のパチンコ機で知られ、TYO側から「中核の広告制作に集中したい」と円谷プロ株の売却を持ちかけられたという。

円谷プロは2007年10月にTYOの傘下に入った。残る49%の株は、玩具大手のバンダイが所有している。
(引用終わり)


自分はウルトラマンを見て育った世代だ。最近の人数増加やパチンコの走狗に成り下がっても、自分は眉をしかめつつも沈黙を守ってきた。
しかしながら、そのウルトラマンが玩具とパチンコに染まることになろうとは思ってもみなかったわ。


ウルトラマンは、中国の温家宝が「私の孫はウルトラマンばかり見ているが、中国のアニメを見るべきだ」と叩いたほどの作品だった。しかしこれではウルトラマンの方から日本人を叩くことになりはしないかなと思う。冗談抜きで。
なんせパチンコ屋の経営者のほとんどが在日朝鮮人と言われているのですからね。

残念なことだが、これで"ウルトラマン"は子供に勧められる作品でなくなっしまったな。うちの子供もウルトラマンには好感を持っていたのだが、こんな事実を突きつけられたら、もうとても見せられない。

ウルトラマンがこれから"有害"になるは目に見えているのだから。

心の中でウルトラマンは下記の"かたおか徹治氏の漫画"のように思っているのではなかろうか。ウルトラマンにもはや"正義の味方"たる資格は…無い。

※ウルトラ兄弟物語第1巻より



戯言を並べる日経の吉田鈴香

2010年02月26日 | 報道/その他(ライフ・ビジネス)

◆吉田鈴香の「世界の中のニッポン」 「夫婦別姓」放置した自民党の怠慢 現実を見ず、論点をはぐらかす抵抗勢力は「世襲議員」(日経ビジネスオンライン) - goo ニュース

この日経の指摘はまったくもっておかしい。この吉田鈴香とやらも髄分と黒鳩山の思想を信奉しているらしいな(苦笑)。

※自分は「日経ビジネスオンライン」に加入しておりませんので全文を見ておりません。紹介されている記事から感想を述べます。

(引用)
2月19日、千葉景子法務大臣は選択的夫婦別姓制度の導入を目指す民法改正の概要を明らかにした。

鳩山首相は16日、「私自身は夫婦別姓に前から基本的に賛成している。認めてもいいんじゃないか」と発言した。千葉法相は3月12日の閣議決定を目指しているようだ。
(略)
千葉法相が提出する法案の柱は、男女差別の撤廃を目指すもので、婚姻年齢の統一など様々な改正が含まれる。特に議論となりそうなポイントは2つだ。

1つは、選択的夫婦別姓である。結婚時に、夫婦で同じ姓を名乗る必要はなく、希望により、夫婦同姓か、夫婦それぞれの姓を名乗り続けるか、好きな方を選択できる制度のことである。子どもはどちらかの姓で統一する案が有力である。

もう1つは、非嫡出子と嫡出子の相続における差別の撤廃である。非嫡出子(婚外子)の遺産相続を嫡出子のそれの半分とする民法を改め、同等にすることである。

戸籍法を含む民法の改正は、実は日本にとって焦眉の課題なのである。昨年7月の国連の女性差別撤廃委員会の審議の結果、速やかな法制度化を求める勧告を受けている。

女性差別撤廃条約は、1979年12月に国連総会で採択され、1981年9月3日に発効となった。これらの点については過去からも繰り返し勧告を受けてきたのだが、日本政府は無視してきたのである。

日本は、国際社会でも特に制度化に消極的に見えるという、恥ずかしい事態となっている。
(略)
政権交代の目に見える効果とは、前政権時代に着手されなかった重要案件に改めて取り組んだとき、現れるものである。その典型が、この選択的夫婦別姓であろう。
(引用終わり)


上記のことを私的に要約するならば、このようになるのでしょうかねぇ。
① 選択的夫婦別姓制度は国際社会から見て認めてしかるべき。
② 選択的夫婦別姓制度を民主党は積極的に取り組むは、自民党が怠慢所以であるからだ。

さて。①についてだが、国際社会云々の名のもとに、日本独自の姿勢を捻じ曲げることを推進するは誠に「卑劣極まる暴言」といえる。
国際社会を振りかざし、日本の制度が遅れていると指摘する。これは死刑制度でも見かける論法である。つまるところは「日本の制度は古いから国際社会に従え」と言いたいのであろう。そう解釈すれば、下記のような言い分を述べる吉田鈴香の言い分も納得できる。

>日本は、国際社会でも特に制度化に消極的に見えるという、恥ずかしい事態となっている。

そもそも日本の文化をロクに理解しえない分際が、国際社会を論ずることらして呆れます。吉田氏の説明は、"制度化にして良いものと悪いものがあることを放置している"。そして"立ち位置が国連に向いており"、もっとも極めつけなのは"日本を国際社会を用いて侮辱していること"である。国際社会が"まとも"であったら戦後の日本の歩みは随分と変わっていたでしょうよ(皮肉)。

次に②について。
これは、前政権時代に着手しなかった"自民党"が正しい。推進する人間はいただろうが、少なくとも日本解体を推進する売国奴は多数派ではなかった。だから埋没していた。
しかし、民主党は違う。吉田氏の言葉どおり、重要案件として改めて取り組み選択的夫婦別姓を推進している。この吉田氏の異常極まりさは、この記事のタイトルで最も表れていると言える。

>「夫婦別姓」放置した自民党の怠慢

これは選択的夫婦別姓制度が正しいとでも認識しなければ出てくる言葉ではない!しかも推進が遅れていることについて自民党に矛先を向けている!なんという馬鹿っ振りでしょうか。

この法案は政権公約で掲げていた訳ではないし、導入経緯からしておかしいというのに…※

※過去の日記
民主党の掲げる夫婦別姓制度は「歴史の破壊」であるより。


そもそもこの"吉田鈴香氏はおかしいです"。この方の政治についての考え方はどうも理解に苦しみます。過去にもこの方はおかしきことを述べていました。自分は馬鹿馬鹿しくて取り上げなかった程である。
今回は国際の威をかっていた不愉快もあって取り上げた次第であるが…さて、その問題たる一つを挙げてみよう。


◆吉田鈴香の「世界の中のニッポン」 救い難い…鳩山政権の「コスト意識」欠如っぷり JALも普天間も政治資金も、みんな高いものについてしまった(日経ビジネスオンライン) - goo ニュース

この記事において吉田氏は、政権を率いる鳩山由紀夫首相と小沢一郎幹事長には、本質的に重要なものが欠如していると述べている。それは「コスト」意識であると。
以下引用する。

(引用)
「恵まれた家庭に育った」彼らは、政治資金の管理がずさんなばかりか(小沢幹事長については、到底ずさんには思えないが)、大切な「コスト」意識が欠如してしまったのである。

コストとは、機会費用、つまり時間、カネである。小沢幹事長の政治資金問題とそれに対する首相の「戦ってください」発言、鳩山首相自身の「子ども手当」問題など、コスト意識があればとっくに解決済みの案件である。
(引用終わり)


自分はコスト意識があったとて解決するとは到底思いませんね。奴らが売国奴であることを自分は知っていますから。
政治の不正に対しては、不正を"正すこと"が正道です。それをコスト意識の欠如を掲げる…まるで話になりませんね。



結論。
吉田鈴香は論点をはぐらかす抵抗勢力に世襲議員をあげておりますが、自分からすれば、論点をはぐらかしているは"日経の吉田鈴香"にこそあるように思えます。


トヨタの顧客第一を考える

2010年02月08日 | 報道/その他(ライフ・ビジネス)

◆リコール問題 信頼回復へ土俵際 トヨタ社長会見「品質は生命線」(産経新聞) - goo ニュース

プリウス問題が持ち上がらなかったとしても、もはやトヨタに「品質は生命線」と言う資格は無いですね。

(引用)
「メーカー目線と言われることは、製造業のトップとして非常に残念」。トヨタ自動車のリコール(回収・無償修理)・自主改修問題をめぐり、5日、公の場で初めて会見に臨んだトヨタの豊田章男社長。アクセルペダルの不具合によるリコール対象が700万台超と世界的規模に広がったうえ、国内でも新型「プリウス」のブレーキに関する苦情問題が発覚、トヨタは土俵際に追いこまれた。豊田社長が繰り返し唱えた「顧客第一」という原点回帰は、信頼回復の道しるべとなるだろうか。

豊田社長は冒頭、「多くのお客さまから『この車は大丈夫か』と不安に思われているのではないかと思い、私から直接、話をしたかった」と述べ、「顧客目線」を強調した。

ただ、先月21日の米国での大規模リコールの発表以降、トヨタが開いた2回の会見に出席したのは品質保証担当の副社長と常務役員。「豊田社長になりかわり」(佐々木真一副社長)、事情説明に追われた。

5日の会見で「現場任せではないか」と問われた豊田社長は「品質問題は会社の生命線。人任せにはしない」と語ったが、技術的な質問となると左隣の佐々木副社長に回答を譲る場面もみられた。自動車業界ではリコールの会見にトップは登場しないのが“常識”ともいわれるが、一連のトヨタの対応が火に油を注いだことは確かだ。

そんな中でトヨタの販売現場では、「(購入契約した車の)登録を少し見合わせたい」「本当に大丈夫なのか」といったユーザーの声も増えてきたという。米格付け会社のスタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は5日、トヨタの長期格付けを引き下げる方向で検討すると発表。一連の問題が経営に与える影響は深刻さを増している。

豊田社長は昨年6月の就任時、「嵐の中の海図なき航海」と表現。現在は「嵐の中には変わりないが、海図のある安全な航海になった」という。世界販売が復調し、平成22年3月期通期見通しを最終黒字と上方修正した直後、これまで築き上げてきた品質で逆境に立たされた。

自動車業界に詳しいアナリストは「品質管理の手法や仕組みをどう変えていくのかを広く示すことが、顧客離れを防ぐ唯一の方法だ」と語る。豊田社長が会見で語った「危機的状況」を脱するため、トヨタは正念場に立たされている。
(引用終わり)


トヨタは原点復帰だの顧客目線だの掲げていますが、それでは危機的状況奪脱出は到底無理だろう。

自分は、顧客満足を得る品質を提供するには「利害関係者や社員を大事にする事」が不可欠だと思っている。今のトヨタは果たして利害関係者や社員を大事にしているか。自分は大事にしているとは到底思えない。
それで"顧客第一"を掲げる。これでは"メーカー目線"と揶揄されて当然ではないかと思うよ。

それに"顧客目線"でこの問題を考えているならば、"ブレーキ不具合を直すこと"を強調すべきであり、それを差し置いて「顧客目線」と言われても説得力がない。対応からして「直す気あるのか?」と疑うないし思う顧客が多いだろう。この勘違いは会社にとって"致命的"だ。

自分はトヨタが好きであった。今は嫌いである。
嫌いになった原因は、新潟県中越地震でのある出来ごとである。そこからトヨタの品質の正体を知り、そして数々のトヨタの話題が出る度に嫌い指数が上昇していきました。この件でトヨタを取り上げた過去の日記を見直してみたが、つくづくロクでもないものばかりである。

「なんだこれは」と思ったのでは、ダイヤモンドオンラインのヨタ記事「パワーポイント自粛」若者の車離れの原因に「ゲーム機」を挙げる勘違いトヨタ幹部
地上波民放を恫喝皇室侮辱した番組を優良放送第1位として挙げた会社などは、日本国民として、とても許せるものではない。

自分がトヨタという会社を一言で述べれば「利益が出さえすれば後はどうでもいいと思っている酷い会社」である。だから、こうなることは当然といえば当然の結果。
しかしこれは日本の経済がまた冷え込むことに繋がるであろう。…まったくもって迷惑極まりないことだ。


美人云々は関係ないでしょう

2009年09月27日 | 報道/その他(ライフ・ビジネス)

◆美人は「家族の悪口」を言わない(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース

結局何をのべたいのかよくわからない。

(引用)
テレビを見ていると、親にひどい口の利き方をしている娘が出てくることがある。なんで、そんな言い方しかできないのかと考えてしまう。こういう娘は外でも友達にも親の悪口を言っている。なんとも悲しい風景である。

それは極端な例なのかもしれないが、家族の悪口ばかり言っている人は結構いるものである。人間好きなところもあれば嫌いなところもある。特に毎日暮らしている家族となれば、嫌なところはゼロであってほしい。しかし、現実はゼロにはならない。だからついつい外でも文句を言いたくなる。

できれば文句も言いたくないところだが、人に話してみたくなるだろう。だが、自らの嫌な部分や失敗をすべて家族のせいにするのはいかがなものだろうか。

「私がバカなのは○○のせい」「私が太っているのは○○のせい」「私が漢字を知ないのは○○のせい」「○○が邪魔したから」「○○が起こすから」「○○が来なかったから」……。

この類のセリフはあちこちで聞く。身近な家族だけではなく、親戚にまで飛び火する。だいたい親戚の中には変わった人は1人くらいいるものだ。誰かの結婚式を思い出そう。親戚の中の1人が暴走することなんて普通だろう。それはそれでいいのだ。

他人の前で「家族のせい」にしても誰も幸せにはならない。そう言っている人の顔を思い出してほしい。決して「いい顔」ではない。そもそも「言い訳顔」はあまり美しいものではない。その言い訳の先が家族になった時、さらにその顔はいけない方向に走っていく。「美人のもと」の危機である。

一方、家族を褒める時の女性は実にいい表情になる。別に自慢をする必要はない。今日もひとつ、家族を褒めることを考えてみよう。考える瞬間に「美人のもと」が育つ。
(引用終わり)

この記事は引用後に"不味いと思う食べ物を不味いと言わない"だの"美味しく食べると「美人のもと」が育つ"とかわけわからんことを述べている。

自分はこの記事の述べている「美人のもと」とは何かがよくわからないし、そんなことを実行したとて美人になどなれるわけがないと思います。

そもそも家族の悪口をいう人間は家族を尊重していない傾向にあるのではないか。
むかしmixiで「年ごろの娘はどうして父親を嫌うのか」という話題で述べたことかあるが、父親を嫌う理由は「常日頃の父親と母親の関係」なのだと書いたことがある。母親が父親に文句を言う家庭は、子供も父親を嫌う傾向にあるのだ。
子供は親の背中を見て育つという。母親が父親を尊重しなければ、子供は母親の思想をたいてい受け継ぎます。母親と父親とどちらがより接する時間があるかも関係してね。 母親が父親を尊重せずして、子供が父親を尊重する筈がない。故に「夫婦間の問題」が妥当な回答だと自分は述べた。
話を戻すと、家族を尊重もせず、馬鹿にするものは家族に何かしらの不満を持ち、自分は悪くないと思っているのではないか。
そういう人間は自分が結婚したとてまともな家族を持ち得ることはないと思いますね。家族のありがたみを理解しない人間がどうして家族という絵を描くことが出来ようか。そんな人間はいつしかパートナーや子供さえ馬鹿にするのではないかと思うから。
もちろん例外もあるから、家族すべてを尊重すべしとは強弁はしない。パチンコに明け暮れて子供を殺す尊重もできないクズな親や兄弟もいるのだから。この場合は尊重はせず、反面教師として捉えるべきでしょうね。

さて。ここばかりは同意できますが、他人の前で「家族のせい」にしても誰も幸せにはならないでょうね。「美人のもと」の危機がどうかは知ったことではないが、性格は美人とは程遠く"性格ブス"には近づくことは疑いなかろう。

人間は顔、形でない。例として戦国時代に活躍した武将を挙げるが"苦難が人間を成長させ智者にする"のだよ。
"美人云々を気にもせず、他人に自慢もせず、ひたすら自分を磨く人間"こそ周りから見たら輝いているだろうし、また魅力的な人物になれるというものではないかね。


自分は家族の悪口を述べることなどしない。ましてや「美人になりたい」と理由ではなくてね(皮肉)。これはパートナーであるカミさんも同様だが。
夫婦喧嘩をすることはあっても、それを誰かに愚痴ることはしない。なぜならばそれが最低の人間のすることであることを知っているからである。
自分は尊重できる相手には尊重する。そして、不味いものには不味いとも言う人間でありたいと思っているぞ(笑)。

「鹿を指して馬と為す」という諺がある。中国・秦の時代の趙高が自分の権勢を試そうと皇帝に鹿を献上し、それを馬だと言って押し通し、群臣は反対を唱えなかったという故事からきたものであるが、自分は「鹿は鹿だろうが!」と罵って処刑される道を選ぶよ。権力に屈して「馬です」と相槌をうって、家族もろとも"馬鹿"だと後世に謗りと罵声を以て罵られた方がよほど屈辱だからな。