厳かなるメリハリっ子

モラハラ妻から逃れて20年。70歳に向けて厳かな人生を送る年金受給者のブログです

65 99-152 9165 台風19号が炙り出すパヨクの失政

2019-10-16 09:05:26 | 日記
八ッ場ダムの活躍 ----- 「コンクリートから人へ」 民主党
千曲川堤防決壊 ----- 「脱ダム宣言」田中知事(当時)
武蔵小杉タワーマンションの惨状 ----- 歴史を顧みない無謀なマンション立地計画 川崎市

今回の台風は本当に様々な被害をもたらした。亡くなられた方の数も70を超える。

ご冥福を祈ります。

復旧で大変な方々。復旧の見込も立たず、呆然とされる方々。

本当に同情いたします。義捐金の募集が始まれば、直ちに参加いたします(ただし共産党の募金は駄目だ)。

新聞、テレビ報道やネットの情報から判断すると、今回の台風を象徴する現象は冒頭に三つだと思う。

八ッ場ダムは、誰もが知っている「コンクリートから人へ」という馬鹿げたスローガンを掲げた民主党でほとんど建設が中止されるところだった。それが台風の直前に完成し、試験湛水とはいえ、その機能を完全に果たし、少なくとも利根川水系の住民の命と富を守ったことは、湛水状況を映した写真が雄弁に物語っている。

早速、何とかという専門外のパヨク系学者が、このダムがあっても災害は防げない、などと騒ぎ立てているが、虚しく響くだけだ。

千曲川の氾濫にはびっくりしたが、その遠因が、今はほとんど忘れ去られている例の芥川賞作家の「脱ダム宣言」にあることが誰の目にも明らかだ。

長野県のこの惨状は、八ッ場ダムの活躍があるだけに、よけいにクローズアップされる。

彼は民主党員ではないが、Wikipedia のこちらの記事を読めば一発で分かるが、ごりごりのパヨクだ。

『2007年7月の第21回参議院議員通常選挙には、新党日本からジャーナリストの有田芳生らとともに比例区から立候補した』くらいだからね。(出典:Wikipedia)

田中さんにはいろいろ言い分があるだろうけど、一般大衆が受け止める印象はシンプルだ。それが政治なので、仕方ないでしょ。

川崎市はあまり知られていないが、ゴリゴリのパヨク系市長が率いている。川崎市は人口が増えるのはいいこと、という金科玉条があるようで、実際、市の後押しもあり、川崎市は全国でも珍しく若い人口が多い。実際人口は増えているようだ。

武蔵小杉のマンション群も川崎市の強い後押しがあったのは間違いない。

この武蔵小杉というのは、昔は高層ビルも何もないところで、ちょっとした場末感のあるところだった。ここの飲み屋に行ったこともあるし、個人的には好きな町だった。

しかし数年前に、知人夫婦と武蔵小杉で呑むために駅を降り立ったところ、まるで竹林のように高層ビルが建ち並び、びっくりしたものだ。その時はまだ完成前だった。奥様が川崎市役所に勤めていたので、いろいろと話が聞けて面白かった記憶がある。

ただ、私のその時の印象は「これやばくない?」というものだったのも確かだ。

こんな狭いところに、こんなにマンション、それも高層マンションをおっ建てて、大丈夫。

その時は、駅が毎日混雑するなどということまでは思いもいたらなかった。ましてや台風が来てビルが水没し、電気は止まるわ、トイレは使えないわ、なとどいう被害が起きることは想像外の更にその外のことだった。

それがこの惨状だ。

武蔵小杉にタワーマンションが立った一つの理由は、もともと土地が安く、遊休地もあったことだ。つまり、既存の住宅街がなかった。そこで「これはマンション建設にうってつけだ」と思うか、「ここには人は住まないほうがいいのだろう」と思うか、その分かれ目は、やはり過去の歴史や伝統を尊重するか、そんなの関係ねえ!と無視するか。これだろうね。

パヨクが歴史を尊重しない、とは言わないが、史上最大のパヨクである中国共産党がかって毛沢東の指導のもと、伝統的な農業の維持を無視して何千万人もの人民を餓死においやった「大躍進」運動を行ったこと、更にはすばり過去の伝統を全て否定し破壊素る「文化大革命」という暴挙を行ったことは連想してもおかしくはないだろう。

ま、これでパヨク勢力の息の根が絶たれた、と私は思うけどね。次の選挙で立憲民主党や国民なんとか党などの旧民主党に投票する人がどれだけいるか、本当に興味津々だ。

これが台風前の試験湛水開始の時の動画。


これが台風の後の様子。


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今日締切の仕事が一つ片付いた。

返上するつもりのコンサルタントの仕事。今日で終わりにしたかったが、まだ終わらない。残念!

早く解放して欲しい。

それでも気分がだんだんゆったりとしてきている。いいことだ。

最近、急に味噌煮込みうどんに凝り出し、4社ほどの商品を試した。全部スーパーで売っているものだ。

結局、名古屋の山本屋のが一番という、至極当然の結果になった。

これでこれからや迷いなく山本屋で行ける。