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チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「悪事をタクランでる鳥...『春はじめてカッコウを聞いて』"作曲"から100年/ディーリアス生誕150年」

2012年01月29日 18時33分54秒 | 説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般
["On Hearing the First Cuckoo in Spring" by Frederick Delius]

土曜は今月の大江戸探検隊の探検日だった。今回は、
"江戸三大鬼子母神"を巡ってきた。
・千葉県市川市中山の「中山法華経寺」、
・台東区下谷の「真源寺」、
・豊島区雑司ヶ谷の「法明寺」、
の順である。
下総中山なのになぜ江戸か? というのは、
千葉県浦安市なのになぜ東京ディズニーランドなのか? 
というのと大差ない。といっても、
江戸時代は中山ではなく、現在は杉並区梅里に移転してる
本所の「本佛寺」だった。本所も以前は下総国だったので、
これも瑣末である。ともあれ、
この3つの「鬼子母神」は「ほぼ同緯度」に位置してる。つまり、
北緯35度43分上にすべて乗ってる、
という"奇遇"さで繋がってるのである。が、それより私には、
JRAが中山開催でもないのに中山に行く、
というほうが奇異な感じだった。ところで、
JRAといえば、頸椎骨折で療養中だった内田博幸騎手が
土曜から復帰した。ともあれ、競馬へならいつも、
原木ランプで降りるのだが、
隊長のメルセデスと私の古ベンに分乗した我々は、
ひとつ手前の市川ランプで京葉道路を降りた。
前世紀にはいつも普通に道が混んでて、さらに競馬開催日には
とてつもない渋滞になったものだった。そんなときには
原木を回避して市川から乗ったこともあったが、
それ以来ひさしぶりの市川ランプだった。市川、といえば、
かつて女子5000mは市川良子選手が日本のエイスだった。
その5000mの日本記録を持つ福士加代子選手が、
マラソンに2度めの挑戦をした。が、
今回も25kmでバテてしまった。
マラソンの40km(実際には42.195kmだが)というのは、
誰もが走れる距離ではない(4時間以上もかければ別だが)。
30km以上走れる者と、そこまでという者に分かれる。つまり、
ヒトには向き不向きがある、ということである。先日、
石原慎太郎にけなされた腹いせに、
芥川賞の受賞会見で受賞者が精一杯の虚勢を張ってた。
自分が見聞きできる現在を反映した小説など
読む気にもならない、「中央区」と「ニューヨーク」を聞き分けれない
拙脳なる私は、それがどんなレヴェルのものかも判らないが、
ひと頃、猫も杓子も小説家になりたい、などという風潮があった。
あるいはシナリオラーター。あるいは短歌作家。あるいは作詞家。
あるいはコピーライター。あるいはエッセイスト。
文章を書く、という営み自体は識字率が昔から高い日本人なら
誰にでもできるので、地道な仕事をするのがうざいという輩には、
愚にもつかない代物を連ねてるだけでも
自分もその才能があるのではないか、なんて
思い違うむきも出てくるのである。が、
他人が読んでおもしろいような文を書くには、
持って生まれた魅力が要る。
小さい頃には身についてるべき教養や
独自の思考回路も要る。
一般的な知的レヴェルの大衆を相手にする流行歌ふぜいなら、
お笑い芸人のマキタスポーツが"解析"したように、
「翼」「扉」「奇跡」「桜」の4つのキーワードを入れとけば
売れる、らしい。が、そんな語をきちんと入れてても
まったくヒットしない詞などざらに転がってる。ともあれ、
福士女史ほどの実績ある高名ランナーでも、
同じく長距離とはいっても畑違いの
マラソンは土台無理なのである。そして、ただひたすらに、
カッコウ悪い姿をさらすことになった。

Frederick Delius(フレドリック・ディーリアス、1862-1934)は、
1862年1月29日に英国で生まれた。が、本名を
Fritz Delius(フリッツ・デリオス)という。在英ドイツ人の倅である。
結婚もして72歳まで生きた、ということから、それだけでは
ごろごろ転がってるそこらへんの
ただの凡人作曲屋のように思われるかもしれない。が、その実は、
若い頃の放蕩生活で梅毒におかされてた、という
アウトロー野郎である。梅毒で脊椎をやられてて車椅子生活だった。
晩年はこの病気のために失明してる。その梅毒は、
キリスト教社会では、神を冒涜した罰で罹る病気とされてる。いっぽう、
カッコウという鳥は、白人にとって"crazy"の象徴である。
cuckoo's nest(クックー'ズ・ネスト=カッコウの巣)とは、
「精神病院」の蔑称である。ちなみに、
Ken Kesey(ケン・キーズィー、1935-2001)の小説を映画化した
"One Flew Over the Cuckoo's Nest(邦題=カッコーの巣の上で)"
というタイトルは、

"Vintery, mintery, cutery, corn,
Apple seed and apple thorn;
Wire, briar, limber lock,
Three geese in a flock.
One flew east,
And one flew west,
And one flew over the cuckoo's nest."
(ヴィンテリ、ミンテリ、カッテリ、コーン、
アップル・スィード・アンド・アップル・ソーン、
ワイア、ブライア、リンバー・ロック、
スリー・ギース・インナ・フロック、
アンド・ワン・フルー・イースト、
アンド・ワン・フルー・ウェスト、
アンド・ワン・フルー・オウヴァー・ザ・クックー'ズ・ネスト。)
「(拙大意)ブドウの実、ミントの実、収穫物、麦、
リンゴの種とサンザシの実、
枝、荊、柔らかな綿花、
3羽のガチョウが綿の中(群の中、とかけてる)、
1羽は東に飛んでった、
もう1羽は西に飛んでった、
あとの1羽はカッコウの巣の上を飛んでった。」

という「マザー・グース」の詞から採られてる。
カッコウは托卵(タクラン)をはたらく鳥である……
別の種の鳥の巣の卵のひとつを巣から落とし、
替わって自分の卵を置く。そして、
赤の他鳥に孵化させる。
カッコウのほうが早く孵化するので、
孵化したヒナは本来の巣の主の鳥の卵をすべて
放り落とし(つまり、皆殺しにする)、
自分だけを他鳥の親に育てさせる
……という、とんでもない鳥なのである。
あの悪辣きわまりないイングランド人でさえ、
カッコウという鳥を"気が触れたやつ"と見做してる、
というのが皮肉である。
そんな「カッコウ」の鳴き声を夏ではなく、
春からもう聞いてしまった、ということは、
"不吉"の兆しである。もっとも、
ディーリアスは「春はじめてカッコウを聞いて」の作曲にとっかかる
前年の1910年にはすでに「梅毒の第3期」と宣告されてた。

"On Hearing the First Cuckoo in Spring"
(春はじめてカッコウを聞いて)は、1911年に作曲が始められ、
1912年に完成された。
[フルート1、オーボエ1、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、弦楽5部]
とう編成である。
[Slow、6/4拍子、無調号]
弦の9の和音の上にクラリネットが、
♪●●・●●・ミー・・>レー・ーー・<ミー│
>ソー・ーー・ーー・・<ラー・>♭ラー・ーー♪
という音型を吹く。そこにオーボエが、
♪♯ファ>ミ>ド・<♯ファー・>ミー・・>レ>ド>ラ・<ミー>レー♪
という音型を絡ませる。「♯ファ」でわかるように、
教会旋法もどきに仕立ててある。ので、これが
西洋音楽のいわゆる調性音楽の
「イ短調」なんだか「ホ短調」なんだか判然としない、
曖昧なものに意図的にしてるのである。が、この頃には
すでに陳腐な手練である。ところで、
上記の音型を「ホ短調」とスキャンすると、
♪●●・●●・ラー・・>ソー・ーー・<ラー│
>ドー・ーー・ーー・・<レー・>♭ミー・ーー♪
となる。これは、
スィベリウスの「トゥオネラの白鳥」の主題そのもの、
なのである。ともあれ、
曲は9の和音で静かに流れてく。ただただ、
さも何か深みがあるような悲しみをたたえた音が
耳ざわりよく流れてく。感動などとは無縁の、
聴きながら同時に何かするのをけっして邪魔しない、
ひたすらBGMに徹した音楽である。やがて、
(おそらく「ホ短調」と解させるのだろう)
♪ラー│>ソー・ーー・>ファー・・>ミー・>ドー・<レー│
<ミー・ーー・<ソー・・>ドー・ーー、<レー│
<ミー・<ラー・>ソー・・>ミー・>ドー、<レー│
<ミー・ーー・>レー・・>ドー・ーー♪
という主題をvnプリーモが奏する。これは、
オーストラリア出身の作曲家
Percy Grainger(パースィー・グレインジャー、1882-1961)に
教えられたノルウェイの民謡、
"I Ola-dalom, i Ola-kjonn"
(イ・オーラ・ダロム、イ・オーラ・キュン=オーラの渓谷で、オーラの湖で)
だということである。やはりグレインジャーと親しかった
グリーグもpf曲「19曲のノルウェイ民謡(op.66)」の
第14曲としてセッティングしてる。こちらは、
[Andante tranquillo、6/8拍子、3♯(イ長調)]
で用いられてる。ところでこの民謡は、
<渓谷で夏を過ごした母と倅だったが、
まるで 神隠しにでもあったかのように
倅は溺れてしまう。悪魔の仕業に違いないと
母は教会の鐘を借りて渓谷まで運ぶ。そして、
悪罵払いの鐘を打ち鳴らすのだった。が、
ついに倅は帰ってはこなかった>
という、鬼子母神の話そのものである。ともあれ、
この民謡が提示されたあとに、
クラリネットがカッコウの鳴き声を(ホ短調でスキャンすると)
♪●●シー>ソー、●●<シー>ソー♪
と「ぎっこんばったん、ぎっこんばったん」繰り返す。
カッコウに托卵され、我が巣と子を奪われた母鳥の嘆きが、
この音楽に綴られてるのである。
北方領土をソ連ロシアに簒奪され、
金融資産を米英にまきあげられ、
尖閣諸島を中国に狙われ、
竹島を韓国に実効支配され、
日本海をトンヘなどという名にすり替えられようとしてる、
シフリスというよりはシリフリする整形魔に夢中になるような
足りないむきが喜び勇んで新大久保やソウルに行って
金と恥をかきすてて暢気でいる、
悲しい日本の現在の姿とどこが違うだろうか?
♪クッククックー、クッククックー、アホいとーりーーー♪
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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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後から書き込むつもり? (気になる)
2012-01-30 01:43:52
「みんようは」と「という、鬼子母神の」の間の話が気になります。
御ブログ、時々欠落箇所があるのが残念です。
返信する
どういうテキストがどういう環境に適すというのか? (passionbbb)
2012-01-30 22:48:41
という意図で書いております。

>気になる、さん
当ブログをご覧くださいまして、ありがとうございます。
お気づきかと存じますが、ある時期から意図して
「実験的」にいわゆる「半角文字」を多用しております。
とくに「半角カタカナ」を連ねたときに、
閲覧するブラザや入れてるOSや使用してる文字コードによって、
どのように文字化けするか、どのような場合に消えるのか、などを
「試して」ます。その関係で、「ご覧になる環境によって」は、
文字が表示されない場合があることは承知しております。が、
詳細を明かすのは控えさせてください。いずれにしても
もう暫くはこの「実験」を続けるつもりでおります。
戯れ言を綴ってるだけのブログですので、
たいしたことは書いてません。それでもなお、
拙ブログをくまなくご覧になりたいとのことであれば、
ご面倒ですが「ご覧になる環境を換えてみて」ください。
悪しからずご了承ください。
返信する
そういうご事情でしたか (気になる)
2012-02-01 01:32:43
残念ながら私のネット環境では無理です。
実験の半角カタカナ表記の下にでも普通に書いて頂けると読めるのですが…それだと多分実験が成り立たないのでしょうね。
返信する
Unknown (passionbbb)
2012-02-02 18:27:24
>気になる、さん
以後、気をつけ、配慮いたします。
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