チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「樅の木たぁ何のこった?(くるみ割り人形登場キャラの正体)」

2006年02月03日 00時54分04秒 | chiuso着ぐるみ割り人形を噛む

チャイコフスキー くるみ割り人形


私の中高生の頃くらいまでの六本木は、昼間は人通りがまばらな街だった。
交差点の「ママンド」には出稼ぎモデルのフランス娘が飲茶してるくらいだった。
先日の全豪オウプン女子スィングルズを初優勝したアメリ・モレスモ選手は、
1回戦から決勝までの7試合のうち、3試合(しかも、そのうち2つは、
準決勝と決勝)を、「相手選手の途中棄権」で勝利した。さすが、食事の
「半分はオムレズ」と言われただけのことはある。今年なら、その
ムトン(無頓)着な発言をした蒼き狼、ヒンギスカンが直接の相手でも、
やすやすと退けたはずである。ときに、モレスモ女史はフランスのヒトである。
世界の三大珍味のひとつ黒トゥリュフはフランス物が本場である。
「冬」が旬である。いっぽう、
故江間ー章子、レイク&パーマー女史が詩に詠ったのが、
「サマー・トゥリュフ」と呼ばれる、夏場が旬のトゥリュフである。
♪ナッツが食えれば、思いだすぅ~~~♪
それはともかく、ブタやイヌ(康熙帝の第4皇子にして後の雍正帝が、
自分を陥れようとした第8皇子と第9皇子を幽閉して
改名させた名とタマタマおなじである)のような「鼻利き」が
「ここ掘れブゥブゥ」というのを利用して収穫するのがトゥリュフである。
高木ブゥである。♪トッ、トッ、トリュフの大爆笑!♪である。ときに、
トゥリュフは「くるみ」や「はしばみ(ヘイゼル・ナッツ)」の根に
「寄生」してるのである。いっぽう、クルミやハシバミも
トゥリュフによって微生物から「身を守られてる」という、互いに
カバ(樺)い合う「共生」の関係なのである。
♪トゥリュフころころ、どんぶりこ。老い根にはまって、さぁ大変。
土壌が減ってきて、根に地は。樺ちゃん、いっしょに、遊びましょう♪
ちなみに、「坊ちゃん、一緒に遊びましょう」の「坊ちゃん」は、
「お池にはまっ」たときのオノマトペである「ボッチャン」にかけてる
ただのオヤジギャグである。さて、
長々と追ってきた「くるみ割り人形」であるが、
この「タイトル」が適切でないことは、平林正司著
「『胡桃割り人形』論」(三嶺書房刊)で述べられてる。
「カス(粉砕器具)・ヌワゼット」というフランス語のタイトルの
「ヌワゼット(noisette)」は「ハシバミ」である。
クルミよりやや小粒である。
「クルミ」のフランス語が「ヌワ(noix)」であることからも、
その小型版であることが示されてる。果たして、
クルミもハシバミもカバノキ科の木である。
新井白石は折り焚くシバノキ科のボヤキ漫談家である。
「思ひ出づる、折り焚く柴の、夕煙。むせぶもうれし。忘れ形見に」
後鳥羽上皇は、北条氏に楯突いたがあっさり敗れ、
失権して離島に隠岐ざりにされ、ボヤくこと19年。配流先で「他界」。
ついぞ「返り咲く」ことはなかった。その「故事」に、
白石は自身の末路をなぞらえたのである。それはともかくも、
クルミもハシバミも、いうまでもなく、
菌類が土壌に蔓延る「広葉樹」であるが、
「くるみ割り人形」は本来「はしばみ割り人形」であることを、
考えねばならないのである。ハシバミは、その実が
「ハート」の形をしてるのであるが、雌雄同株の木である。
雄花は「枝垂れ」のキリタンポみたいである。いかにも「男性器」である。
こういったことから、西洋ではハシバミは性愛と繁殖と豊穣の象徴だった、
のであろう。実際、ハシバミの実には、
ヴァイタミンEや不飽和脂肪酸が多く含まれてるのである。
ともに、「アンチ・エイジング」に関与するものである。また、
ハシバミは「シンデレラ」を王太子妃の輿に乗せたカボチャでもある。
♪シンダーはずだよ、お富さん~~~♪
富も幸福も得るのである。意地悪な義理の姉ふたりが
「平和の象徴」ハトポッポの嘴に目をくりぬかれて失明しても、
「お義姉さまがた、どうなさったの? あぁ~ら、かわいそう!」
と、気の毒そうに偽善の言葉をかける「行儀」も心得るのである。さて、

1)「くるみ割り人形」第1幕第1場、
ズィルバーハオス家……現世。
飾りつけを施されたクリスマス・トゥリーは【樅の木】である。
それが「大きく」なって、相対的にクラーラちゃんはちっちゃくなって、
ネズミ軍対パン・デピスおよび【【ハシバミ】】割り人形連合軍の戦闘。
大将【【ハシバミ】】割り人形を助太刀したクラーラちゃんは
「冬の夢幻世界」へ旅立ったのである。そこで、まず、場換わり、
2)「くるみ割り人形」第1幕第2場、
「冬の【樅の森】」の世界である。そして、雪が舞い散る。
白い世界である。→幕換わり、
3)「くるみ割り人形」第2幕、
コンフィチュランブールの世界である。雪とおなじく白い
砂糖(sucre)の世界は、主来る(sucre)の世界である。
「年たけて また越ゆべしと、思ひきや。命なりけり。砂糖の中山」
西行……西方浄土の世界へ行く旅である。西行の俗名は砂糖義清。
コンフィチュランブールでは、【【【ドラジェ】】】の精が、
【【【【コクリューシュ(オルジャ)】】】】王子を伴って、
クラーラちゃん(とハシバミ割り王子)を出迎えるのである。

まず、【樅の木】。
これは針葉樹である。木としては原始的なほうである。
ついで、【【ハシバミ】】。
これは広葉樹である。木としては進化したほうである。
そして、【【【ドラジェ】】】。
これはアーモンド(アマンド)であり、
ハシバミやクルミなどのカバ科とは違い、さらに進化した
バラ科サクラ属である。ウメやアンズに近い。ゆえに、
実は青酸を含んでるので、その毒物をあおった者の口中は、
アーモンドやアンズのニオイがするのである。
口臭道徳には充分に注意してほしいものである。それはどうでも、
最後に、【【【【コクリューシュ(オルジャ)】】】】である。
コクリューシュは「百日咳」でその患者は「頭巾」を被される=
頭巾を被って顔を隠さねばならないのは「人気者」→よって、
コクリューシュ、ということらしい。が、私は、
coquelucheのスペル中に含まれる
coque(木の実の殻)に意味がある、と考えるほうが
コクがある味わいだと思うのである。それから、
オルジャはアーモンドのシロップである。つまり、
【【【ドラジェ】】】=【【【【コクリューシュ(オルジャ)】】】】
なのである。雌雄同株。であるから、
コクリューシュ王子(男性舞踊手)と、
ドラジェの精(女性舞踊手)を「区別」するために、
「pour danseur」と「pour danseuse」を
チャイコフスキー書き入れた、のである。(※) 冗談はともかく、
アーモンドの木はゴッホも、sucreでなく、
sacre(聖なる)木として描いたように、
聖母マリアの象徴とされてる木である。チャイコフスキーにとって、
母アレクサーンドラは聖母、のはずだったのである。同名の
妹アレクサーンドラも聖母、のはずだったのである。が、
現世は二次元ではない。処女のまま受胎はしないのである。
このバレエ「くるみ割り人形」は、
裸子植物【樅】→被子植物【【ハシバミ】】→【【【アーモンド】】】、
という「進化」もしくは「異種交配」の物語である。が、
進化したものをプリミティヴなものにマッチングさせてどうなのよ?
交配ではなく後退ではないのかよ?
と思われるであろう。それは、とんでもない誤解である。
温故知新。古木をたずねて新し木を汁。アーモンドシロップである。
アーモンドウ無用である。
【樅】の学名はabies。【永遠の生命】を表すラテン語である。
アニエス-ベの日本1号店は永遠の眠りの地青山墓地の端だったのである。
したがって、バレエ「ハシバミ割り人形」は、山本周五郎ではなく、
ハ司馬ミ遼太郎版【樅の木は残った】だったのである。
その主人公は、聖母マリアの処女腹だΧ(カイ……キリスト)なのである。
コンフィチュランブール(confは砂糖。cf:コンフェット)は
砂糖の国だったが、伊達騒動はじつは塩の国にからむ事件、
赤穂事件につながる問題なのである。それはともかく、
クラーラ(仏名クレール)は本来、主人公マリーの愛人形の名。
独名マリーはつまりマリアである。
アーメン。

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