チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「上野の森のアリーナ・コジョカル(東京バレエ団『くるみ割り人形』)」

2009年11月21日 23時41分09秒 | chiuso着ぐるみ割り人形を噛む
梨園のプリンス、海老様が婚約するそうである。
お相手は、タレント小林麻央女史である。
いまや飛ぶ鳥落とす勢いの芸能事務所セント・フォースの、
その中でも一押しか二押しだったかである。いずれにしても、
セント・フォースであってセイント・フォーでないことは確かである。
出会いは今年1月の日テレの「NEWS ZERO」での
小林女史によるインタヴィューだったそうであるが、
海老蔵はその時期に開店した、ホテル西洋銀座内にある
鮨屋の内装や店内の備品・小物のデザインを
監修したらしい。あくまで鮨屋であって
おじや屋でもおぢや屋でもないらしいが、
いずれにしてもその店名は、
「真魚」と書いて「まお」と読ませるのだそうである。
それほどゾッコンになってしまったのだろう。なにしろ、
あの声に一生耐えれるほどなのだろうから。まぁ、
歌舞伎役者は舞台で舞おうということもあるので、
お似合いなのではないだろうか。が、それはどうでも、
女子アナでは結婚した大竹佐知アナよりさらに好きな
長野翼アナも野球選手と交際中らしいが、この
エビ様につづいてエビちゃん蛯原友里女史まで
婚約間近だという。なら、
ゆり・ゲラーのようにスプーン曲げ芸を持ってる
長澤まさみ女史のファンひとすじになろうか、
という感じである。結局、
人生初めてのプロポウズ大作戦も失敗に終わり、また、
女性との「一期一会」の付き合いかたを再開した。そんな中、
バレエを観てみたいという女性と知り合ったので、昨夜
東京バレエ団の「くるみ割り人形」公演を
上野の東京文化会館へいっしょに観にいった。現在、
上野公園となってる場所は、築城と処世術の天才にして、
伊賀上野も領してたトウ(toe)堂高虎の屋敷があったのが
地名の由来、という説もある。それはともあれ、
藤堂家の広大な下屋敷は駒込の染井にあった。
染井はソメイヨシノ発祥の地、である。いまや
桜の名所となった上野公園とその発祥地染井
ともに屋敷を構えてたのが藤堂家だった。ところで、
上野の不忍池になぜ弁天があるか。
不忍池は蓮の池である。弁財天は、
ヒンドゥー教の水と豊饒の女神サラスヴァティーである。
藤堂高虎は竹生島に弁天がある琵琶湖近くで生まれた。
上野を整備したのは天海だというが、おそらく、
天海と高虎には浅からぬ因縁があるのだろう。
京における比叡山と琵琶湖を、
江戸における東叡山と不忍池、
にあてはめたのだと推測する。ところで、
明治政府のお雇い外人のひとりだった
フランス系オランダ人医師のボードワン博士が、
上野の山は公園に、と提唱したらしい。それで、
噴水と東京都美術館の間に同人の銅像が建った、
というわけである。ところがこれがまた、
当時在日オランタ領事だった弟のほうの宣材写真が
取っちがえられて彫刻家に渡ってしまったため、
3年前まで、弟の像が建ってたのである。さて、
弟といえば、水の江滝子(旧本名三浦ウメ)女史が、
弟の倅、つまり甥っ子がサイパンのサイバン所で
LA送致が決定され、そして死んでから1年あまり、
「独占、女の60分」でリポートされもせず、16日に
94歳で死んだそうである。たしか
15年くらい前に生前葬をしてたはずだったと
記憶してるのだが、発表では
「告別式は近親者で済ませた」となってた。
一事不斎理の原則に反する。ともあれ、
ターキー女史は「男装の麗人」と言われてたが、カレシが
ダンスールであるヨハン・コボーのアリーナ・コジョカル女史も、
ずいぶんと貫録がついた。もちろん、
体型のことではない。がしかし、コボーは
「パ・ドゥ・ドゥー」では、「コボーも腕の誤り」で、
恋人のコジョカル女史を受け止めるタイミングがずれて
ハッとさせた。ともあれ、コレオは
いわゆるワイノーネン、ヴァイノーネンが歪曲したものである。
ろくなもんではない。だから、
ドラジェの精が1幕のマーシャ(クラーラ)と
「一人二役」である。とはいえ、
1幕の子役の踊りやマイムをコジョカル女史は
丁寧に演じてた。ただ、御愛嬌だったのは、
マーシャ(クラーラ)役のコジョカル女史が
"souris(スリ=十一月二十日鼠)"の王にぶつけるはずの
スリ・ッパが当たらなかったのである。
コジョカル女史はノウコンのピッチャーなみだった。がしかし、
そういうときは、ネズミの王自身がスリッパの軌道に
スリ寄ってわざとぶつけられてやるものである。
2幕ではあんのじょう、ジゴーニュおばさんの
出番はなかった。その巨体のでっかいスカートの中から
「隠し子」が出てくることもなかった。あいかわらず、
音楽はもっとも大事な箇所をカットしてたが、まぁ、
コジョカル女史は品のある丁寧な踊りはしてたし、
ブラ(腕)の「キメ」もキッパリしてて小気味よかった。
いまや英国ロイアル・バレエの一押しプリマである。
ローザンヌ・コンクールに出てスカラーシップを得たコジョカル嬢を
かの故大屋政子女史が特別に目をかけたのだが、
だけのことはあった。ときに、かけたといえば、
会場にはなぜか白地に変な模様のスィルクの布を
カタにかけてるご婦人がいた。それから、
観客にはバレエ・ファンだけでなく、
音大生がけっこう多いこともわかった。
バレエを観る層がにわかバレエ・ファンやオタクだけでなく、
そんなふうに変わってきたのだろう。が、
久々のバレエだったが、意外にも
ガサガサしたりペチャクチャしたりする
道徳心や忍耐心のない輩が以前より
ずいぶん減ったと感じた。義理や見栄で
観にきてたようなのが不景気でいなくなったから、
かもしれない。ところで、音楽といえば、
オケは開始の序曲の各楽器の音量バランスが酷かった。
ひとえに指揮者の耳の悪さに因る。私のツレは、
「バレエってきれいですねぇ。踊りとかもすごいし」
と、想定どおりの言葉を発した。舞台がはねたあと、
エビ料理を食って家まで送って、と思ってたが、
やめた。これも「一期一会」である。それにしても、
文化会館から道路を隔ててすぐの駐車場まで、
この時期はもうコウトなしでは夜は寒い。ちなみに、
コジョカルとはルーマニアにはけっこうありふれた名であるが、
コウト(coat)という意味だったりするかもしれない。
ルーマニア大使館がある大横町坂はよく通る道である。
そこで「トゥゲザーしようぜ!」ではなく
「土下座ーして」訊いてみたら、ひょっとしたら
教えてくれるかもしれない。コウト思い立ったら
すぐに実行に移す。それが肝要である。

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