チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「こけら落とし(杮=kokeと柿=kaki)の語源/歌舞伎座新開場にあたって」

2013年04月02日 14時54分26秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
今日、平成25年(2013年)4月2日は、
新たになった歌舞伎座が開場となる。ところで、
新築なった劇場での初日公演を
「杮葺落」「こけら落とし」などという。
巷ではこの「杮」と「柿(かき)」の字の違いをあげつらって、
「柿(カキの字)落とし」では間違いである、と鬼の首を取ったような
物言いをしてるむきが少なくない。すなわち
……「こけら」とは木の大鋸屑(おがくず)のことであり、
工事の締めくくりに屋根の馳のオガクズを払い落としたことから、
そのように言うようになった……のだと。
たしかに、そのとおりなのだ。が……。

室町時代の書院造の代表である
いわゆる金閣寺や銀閣寺の屋根は
「杮葺(こけらぶき)」になってる。すなわち、
椹(さわら。ヒノキ科)を2、3mmという薄さの板にしてそれを段階的に、
魚の鱗のように重ねて葺いてるのである。が、
ヒノキの板で葺く檜皮葺(ひわだぶき)がさらに高級である。たとえば、
もっと古い建造物である東寺や知恩院方丈や
下鴨神社などの各殿の屋根などである。ともあれ、
檜皮色は柿渋色と混同されたのである。いずれにしても、
そうした板葺きには薄く剥いだ板を使うのである、いっぽう、
柿の木の樹皮もまた薄く剥げやすい。
(柿の実を採ろうとして)柿の木に登ってはいけない、
と昭和までの子供がオトナから注意されたのは、
そうした柿の木の脆弱性によるものである。

さて、
「3というキリスト教の奇妙な数字とLady Gaga」
(http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/e44e23858aa6a9171b903731bfe6440f)
「カガの千代女の結婚生活とトンボの交尾(=愛あるハート型)/菟田のかがり火(06)」
(http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/fcb50b80614396e774b99fdf1a4a6b04)
「巳年の年頭に、メンデルスゾーン 交響曲第5番第4楽章/ルター作曲 神は我が櫓」
(http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/6683cb3cf9ceae4a0a73652820da1e2c)
などで折にふれ言いおよんでるが、大和言葉で
「カガ」とは「曲がったさま」を表すのである。
ローマ字で表せば、「kaga」。元は「kaka」である。

動詞の「kaku」は「書く(描く)」「欠く」「掻く」「駆く」などがある。
何かを引っ掻くと、そこは剥がれ、抉られた痕が残り、
「kaki」kizuとなる。
その抉り取られた痕はたいてい丸くなってる。だから、
「kaka」というのは「クルっとなったさま」を表すのである。
馬を駆ると蹄の痕が地に「窪んで」残る。
芝(ターフ)を駆ければ蹄が抉った芝が剥げる。したがって、
「剥げ落ちやすいもの」「はがれやすいもの」も
「kaka」という語から派生する。それが、
「苔」「鱗」などの「koke」である。また、
仏教用語とされる「虚仮(こけ)」も、
見かけだおしなことであるから、その
虚勢は「はげやすい」のである。それに関連して、
関西のほうで使われてたが最近は吉本芸人の影響で
東京とその周辺でも中年世代以下を中心に用いられてる
「コケる」という言葉がある。
「転がる」「躓く」ことである。これは、バケノカワ=
「虚仮」が剥がされることからの比喩である。また、
殻を剥いで開けるので「牡蠣(kaki)」である。そして、
前述のとおり、
「柿」の樹皮は「剥がれやすい」ので「kaki」なのである。
コケ(ラ)とカキには混同されてもいたしかたない関係があるのである。

江戸時代、
「大鋸(おが=大きいノコギリ)」で木を挽いて製材する職人が
多く住んでたことから呼ばれたのが
「木挽町(こびきちょう)」である。
現在の歌舞伎座はその旧木挽町に建ってるのである。
これから「第三部」を観にいってくる。
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「しゃべるゆるキャラ『ふなっしー』と千葉県の梨農園と新京成線」

2013年03月20日 23時10分14秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
今日、春分の日は、TVのあちこちでなぜか
「ゆるキャラ」の特集をやってた。その中で、
「ふなっしー」という、他のキャラと違って
"しゃべって"しまうゆるキャラが異色を放ってた。
季節外れ、でもあることだし。ともあれ、
ふなっしー君は、昨年4月、千葉県船橋市の名産品である
梨のPRのために"キャラ"を始めたのだという。が、
船橋市からは公認されてないので、各地イヴェントには
"自腹"で"勝手に"参加してるらしい。マスコミが
船橋市産業振興課に問い合わせたところ、
<現在は船橋市は梨生産に力を入れてないので>
との回答が返ってきたとか。
中山競馬場には子供の頃からしょっちゅう行ってたので、
その近くに梨農園がけっこうあるのも知ってた。だから、
船橋市が現在は梨生産に力を入れてないというのは、
意外だった。ともあれ、
このキャラの「ふなっしー」という命名は、
「ふなバシノなし」というところから採った
何のひねりもない凡庸なものに一見は思われる。が、実は、
比較的広域な船橋市の中でも梨農園が多い地域の
郵便番号の上3桁は「274」、つまり、「フナシ」なのである。

とはいえ、
うちが贔屓にしてた梨農園や葡萄農園は鎌ヶ谷市にあった。
私の家は家族で秋口に葡萄狩りや梨狩りによく行ってた。
ハム狩りには行かなかったが。
葡萄も梨も私が大好きな果物だからである。それはともかく、
千葉県の梨生産は、
「二十世紀」を生みだした松戸市、それから、
鎌ヶ谷市、市川市、柏市そして、船橋市、が主な地域である。
これらはちょうど、明治時代に
無職の旧士族救済殖産政策で三井財閥が請け負った
下総小金中野牧跡の13の開拓地の
数字の若い地域に充当する。ちなみに、この開拓地の
金原(こがねはら。現在は「小金原」)は
徳川幕府の馬産地だったので、
「金原で馬が生まれる」というダジャレを亭号にしたのが
江戸時代中後期の落語家金原亭馬生である。
現在は11代目であるが、先代の10代目故金原亭馬生は、
5代目古今亭志ん生の長男で女優池波志乃の父親である。

ともあれ、
下総小金中野牧跡の開拓地は開墾順に、
初富(鎌ケ谷市)、
二和(船橋市)、
三咲(船橋市)、
豊四季(柏市)、
五香(松戸市)、
六実(松戸市)、
七栄(富里市)、
八街(八街市)、
九美上(香取市)、
十倉(富里市)、
十余一(白井市)、
十余二(柏市)、
十余三(成田市&多古町)、
と名づけられた。また、
このうち、
初富、二和向台、三咲、五香、
という4つの駅を持つ新京成線は、
津田沼と松戸を結ぶ私鉄である。が、
この路線は、旧陸軍鉄道連隊の演習用線路だった。だから、
ルートは曲がりくねってるのである。
旅客線として直線化した箇所も相当あるというが、それでも
津田沼から松戸まで直線で16kmなのに、この
新京成線は26kmもあるという。実際、
若い頃に津田沼から松戸まで自動車で行ったことがあるが、
その間に新京成線の踏切を7つも渡った覚えがある。
7つだったか8つだったかは、
新京成線と神経戦とを言い間違えやすい
拙脳なる人間失格な私には、しかとは断言できない。
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「語意の空騒ぎ(細い篇)/HS(ハシ-ヒサ-フサ-ヘソ-ホソ)」

2012年12月12日 00時53分01秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
[Much Ado About Meaning Of Words and Wuthering Heights/語意の絶叫部屋]

大和言葉は音が同じ(母音交替を含めて)なら、
充てられてる漢字が違っても語意は同じである。
これは駿台予備校で古文の
故高橋正治師(大和物語の研究者。当時、清泉女子大教授)
に教わっことである。
「おくる(okuru)」という言葉(動詞)は、
「贈る・送る」も「遅る・後る」も
「A」→「B」
という概念を表す、
という例をあげられた。ただし、
これは受験生に大学入試の古文の試験問題を解くための
方便を教えるためのものであるから、
当然ながら不充分な説明ではあるが。
5教科7科目(国語=現代国語・古文・漢文、数学=2b・3、
社会=世界史、日本史、倫理社会、政治経済から2科目、
理科=物理1・2、化学1・2、生物1・2、地学1・2から2科目、
外国語(英語B、フランス語、ドイツ語、中国語などから1科目)
という時代だったこともあって、
文系・理系を問わず、東大・京大や医学部を受験する程度の者は
オールマイティの学習が当然のことだった。私大でも慶應は
文系でも数学が入試の必須科目だったと記憶してる。
私は高3で方向変換したが高2までは音大受験生だったので、
必須教科はどちらかといえば文系だった。が、
古文にさらに興味を持つようになったのは、
高橋師に出会ったからだった。

さて、
今回、「細い」という現代語の形容詞に関連した語について
私の考えを連ねてみる。とはいえ、
モーツァルトの肖像とせんだみつをの顔が瞬時には区別できない
拙脳なる私の非学術的ドシロウトの推量にすぎない。

端(ハシHaSi)=端は先細り→ホソい
挟む(ハサHaSaむ)=→細く・狭くなる
挟間(ハザHaZaま)も同様。
馳す(ハスHaSu)=走って行く→時間が短くなる→「速さ×時間=距離」→(時間的に)距離が狭まる
斜(ハスHaSu)=斜めに横切る→切り口の端が先鋭=細い
筈(ハズHaZu)=弓の端の弦をかける窪み、矢の尻の弦をかける窪み→その溝は狭い
秘す(ヒスHiSu)=隠す→存在範囲が狭まる
ひそひそ(HiSoHiSo)も同様(細い声)。
瓢(ヒサHiSaご)→瓢箪は中間がくびれて細い
庇(ヒサHiSaし)→細長い(狭まってる)部屋
拉ぐ(ヒシHiSiぐ)=押しつぶされる→狭まる
久し(ヒサHiSaし)=久しい=時間が長い→長い=細くなる
ひしひし(ヒシヒシHiSiHiSi)=原義は隙間ないさま=細い/締めつけるような切迫感
ひしめく(ヒシHiSiめく)=押し合って騒々しい→隙間は狭い
菱(HiSi)=方形を押しつぶした型→正方形より狭まる
顰み(ヒソHiSoみ)→顔をしかめると目や眉間が細くなる
塞ぐ(フサHuSaぐ)=閉じて空間を狭める。
節(フシHuSi)=茎のつなぎ目→筒内が塞がれる箇所
ふさふさ(フサフサHuSaHuSa)=一見反対の意味と思われるかもしれないが、
 たとえば髪がフサフサというのは髪と髪との隙間が少ない、間隔が狭いことである
房(フサHuSa)も同様。
臥す(フスHuSu)=ピタッと体を床や地面に附ける→体と床(地面)との間隔を狭める
附す(フスHuSu)も同様。
べし(助動詞BeSi)=当然の推量→違いない、と断定的に推量して他の可能性の余地を狭める
圧す(ヘスHeSu)=押して圧力を加える→細く・狭くなる
ヘス(Hoess,Rudolf Ferdinand)=ユダヤ人をガス室に隙間なくギュウギュウ詰めにしてホロコーストを行ったアウシュヴィッツ所長
臍(ヘソHeSo=ホゾHoZo)=腹の中心で凹んでる箇所=狭まった穴/胎盤と細長い臍帯で繋がってた
星(ホシHoSi)→昔の人は恒星の光を細長く放射してくものと認識してた
 ちなみに、13日から14日未明にかけて「ふたご座流星群」 の細長い光が流れるのを見れるらしい。
欲し(ホシHoSi)=自分のものにしたい気持ち→対象物との距離を狭めたい思い
干す(ホスHoSu)=水分がとんで細くなる
細し(ホソHoSoし)=細い・狭い・長い
ぼそぼそ(ボソボソBoSoBoSo)=声が細い/水分がなく干からびてる

Hの音はおおざっぱにF、Pと遡る。だから、
ぱさぱさ(PaSaPaSa)も同義である。これらの祖語はおそらく
フスという動詞だとは思うが、もしかすると、
肛門のような細いところを通って出る音
「プ」を出さないようにすること→「プス」→「フス」となった、
という可能性もある。
不!?

(passionbbbのエイリアス小野又兵衛筆)
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「カエデとモミジは同源語「黽(カエル)」(拙自説です)」

2012年11月29日 00時51分17秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
私は京都観光好きである。春夏秋冬に1度ずつは訪れてた。
寒さが苦手なので真冬はおろそかになって、
この頃は年3回といったところである。秋も難がある。
紅葉の頃はもっとも混雑するので、この15年ほどは
その時期を避けてる。だいたい10月に行くことにしてる。が、
昨年の秋の京都は都合で9月じゅうに立ち寄ってしまった。
今年も浮世の義理で10月に行けずに憂さ晴らしで
9月に行ってしまった。おかげで
モミジもカエデも緑のほうが好きになってしまったくらいである。
秋の紅葉の季節にはTV番組が特集を組むから、
それを見てれば事足りる。と思うことにしてる。
雪の金閣も映像で鑑るほうが手がかじかまないぶんましである。

高野辰之&岡野貞一コンビの唱歌に
「紅葉(もみじ)」というものがある。

♪ミ(あ)ー・>レ(き)>ド(の)・・<レ(ゆ)ー・<ミ(う)ー│
>ド(ひ)ー・ーー・・>ソ(に)ー・●●│
<ド(て)ー・>シ(る)<ド(ー)・・<レ(や)ー・<ソ(ま)ー│
>ミ(も)ー・>レ(み)>ド(ー)・・<レ(じ)ー・●●│
<ミー(こ)・>レ(い)>ド(も)・・<レ(う)ー・<ミ(す)ー│
>ド(い)ー・ーー・・>ソ(も)ー・●●│
<ド(か)ー・>シ(ず)<ド(ー)・・<レ(あ)ー・<ソ(る)ー│
>ミ(な)ー・>レ(か)ー・>ド(に)ー・●●│
<ソ(ま)ー・>ミ(つ)<ファ(を)・・<ソ(い)ー・<ラ(ろ)ー│
>ソ(ど)ー・ーー・・>ミ(る)ー・●●│
<ソ(か)ー・<ラ(え)>ソ(ー)・・>ミ(で)ー・>レ(や)>ド(ー)│
<レ(つ)ー・<ミ(た)ー・・>レ(は)ー・●●│
<ソ(や)ー・<ラ(ま)>ソ(の)・・>ミ(ふ)ー>レ(も)ー│
>ド(と)ー・ーー・・>ソ(の)ー・●●│
<ド(す)ー・>シ(そ)<ド(ー)・・<ミ(も)ー・>レ(よ)ー│
>ド(う)ー・ーー・・ーー・●●♪

最後の「ドー>シ<ド<ミー>レー>ドー・……」という音型は、
ビゼーの劇附随音楽「アルルの女」の#15をギローが組曲に編んだ
「間奏曲」の終いと同じである。この
アルルの女の「間奏曲」の旋律部は
「アニュス・デイ(神の子羊)」の詞が附けられて
ビゼーの音楽とはまったく無関係に賛美歌とされた。
シューベルトの「アウェ・マリア」の節と同じな祈り音型だからか。ともあれ、
キリスト者で教会オルガン伴奏者だった岡野貞一の
脳裡にこの「賛美歌」がこびりついてたのかもしれない。
「アルルの女」という芝居は、南仏の聖エルワの日を中心に設定されてる。
"Eloi de Noyon(ノワイヨンのエロワ、588-659)と一般に呼ばれる
聖エルワは、ラテン語でエリギウスという。聖人に列せられたが、もとは
あのムーソルグスキーの「展覧会の絵」にも出てくるリモージュ生まれの
金細工師だった。つまり、
オルフェーヴルである。その技を見込まれて
フランク王国メロヴィング朝のダゴベルト1世の廷臣に引き立てられた。
晩年はノワイヨンの司教となり、死後は収穫全般を司る聖人とされた。
南仏が舞台の「アルルの女」ではその聖人の祝日である
12月1日に収穫祭の盛大なフィナーレとなる。この祭は
現在ではクリスマスとも結びつけられてる。
ビゼーは「アルルの女」に「東方3マギの行進」を採ってる。
公現の儀礼である。
岡野のこうした「金銀細工」からの"引用"も、
「赤や黄色の色さまざまに水の上にも織る錦」
に彩られてるのだろう。

私は金銀細工というより不細工な顔で体も心もキモいので、
女性への生物的な魅力がない。
さらには何の才も能もないので稼ぎが乏しく、
ために結婚もできず、家庭も持てなかったので、
モミジのような手の赤ちゃんをあやしたこともない。

「万葉集・巻8-1623」
(大伴田村大嬢与坂上大嬢謌二首)の二首め
[吾屋戸尓 黄變蝦手 毎見 妹乎懸管 不戀日者無]
(わがやどに、もみつかへるて、みるごとに、いもをかけつつ、こひぬひはなし)
一般に、
(わが屋戸に黄変つ鶏冠木見るごとに妹を懸けつつ恋ひぬ日はなし)
と読み下されてる。
(拙大意)
「私の家に植わってる、黄葉したモミジを毎日見るごとに、
このモミジの葉の色のように心変わりしてしまったあなた(年下の女性)のことが
気になり気になりして、恋しいと思わない日はないことなのですよ)

大伴田村大嬢(おおとものたむらのおおいらつめ)が
イボガエル、否、異母妹にして大伴家持の正妻になったとされてる
坂上大嬢(おおとものさかのうえのおおいらつめ)
に与えた(あなたの作として使ってね、という意味)歌のひとつである。
男が女に贈った歌の体で書かれてる。いずれにしても、
「黄変」した「蝦(かえる)の手」という表現である。もちろん、
葉の形が蛙の手に似てる、という論である。また、
この歌には関係ないが、その形から「鶏冠木」とも漢字表記される。ときに、
私は「五中裂」のカエデの葉が「黄変」したものが好きだが、
「黄色」といえばイチョウが落葉して一面黄色い絨毯のようになったさまは、
一種独特の色世界をひろげる。が、
万葉の歌人たちにはそれを表現することはなかった。
イチョウの木が日本に伝えられたのは鎌倉時代とされてるからである。
公暁は大銀杏の陰に隠れることはできなかったのである。

ともあれ、このように
「カエデ」の語源は、その葉の形が蛙の手に似ているから、
「カヘル手」→「カヘテ」→「カエデ」となった、
というのが一般的な説である。いっぽう、
「モミジ」のほうの語源は……
紅花を「揉み」て抽出した色素で染めた色を紅絹(もみ)と言うが、
それになぞらえて、
葉が色づきおわったことを古語で「もみつ」と表現するようになった。
それが「もみづ」となり、その連用形「もみぢ」が名詞化したもの
……というのが一般に説明されているものである。

たしかに、他にも、
蜜柑を「揉む」とクエン酸を破壊して酸っぱさを減じて、
「こないな酸っぱいもん、よう食エンで、しかし」
などと言われないように「美味しく」なる。その他、
茶葉や塩辛や漬物など、揉んで味の旨さを増す食品がある。
ひとまずそれは置いておくとして、
吉野の国栖(くず)は壬申の乱で大海人皇子が逃れた地として知られてる。
その大海人皇子が大友皇子を破って天武天皇となったのちに編纂させた
「日本書紀」には、国栖の村人が「蝦蟇(ガマ)」を煮て食したところ
美味だったのでこれを「毛瀰(モミ)」と称した、ということが書かれてる。
美味(ビミ)にも通じるかもしれないが、
一説に大和民族以前の先住民である蝦夷の言葉
「モ・ミン(小さい・肉)」という意味をかけてる、
とも言われてるらしい。ちなみに、
蝦夷の「蝦」は「カエル」をも意味する。
モム・チャンという言葉で日本でも知られるようになった
朝鮮語のモム(体=肉)もアイヌの言葉が入ったものかもしれない。

ちなみに、
カエルのもともとの漢字は、
「酋と黽を縦に並べた」形である。
この「黽(ボウ)」は"亀"の下の部分でもある。
魚貝以外のいわゆる水棲生物を表すらしい。
「水黽」で「アメンボ」である。

いずれにしても、
国栖の故事から「モミ」に「旨い」という意味づけがされたと推測できる。
関西では一昔前まで「もみない」というのが「もむない」となって
「旨くない」という意味として使われてた。いっぽうで、
毒があって食えないアマガエルのように「変色」する種がある。
そうした「カエル全般」をとらえて、
モミジの語源もカエルの手に形が似てることと、
「変色する」「旨い」に帰する、と私は考える。
「モミ(蛙)手」→「モミテ」→「モミデ」→「モミヂ(→モミジ)」
なのである。

醜いカエルの私は生物としてミジメな敗北者である。さらには、
伊達政宗の兜の前立てとNIKEのマークの違いを区別できない拙脳であるゆえ、
このような知識を組み立てて
偉ぶる(erable)しかない、という哀れな存在である。
♪ゲゲゲゲゲゲゲゲ、グワッグワッグワッ♪
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「都道府県別ランキング1位ながら全国的にはマイナーな名字」

2012年09月05日 19時00分15秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
先日、都道府県別ランキングが1位ではないにしろ、
かなり上位なのに全国的にはマイナーな名字の人と知り合った。
その人の親の出身県を一発で当てて、驚かれた。
私は名字オタなので、(東京で)人と知り合うと、
風体と名字、それから(本人が東京に出てきた場合)言葉で、
その人物の父親もしくは(父方の)祖父がどこの人か
判ることが多い。明治になってまだ150年も経ってないので、
東京に出てきたのが本人かその親か祖父、というのが
相当に多いからである。たとえば、
「~とですね」という九州北部の人に特徴的な話し方をして
名字が古賀だったら、福岡県・佐賀県・大分県の順に挙げれば、
たいてい当たる。
「~けん」という口癖があって、名字が藤井だったら、
広島県・山口県・岡山県、でだいたい決りである。あと、
「中島」という名字で「な↑か↓し→ま」という、
清音のsでこのような高低アクセントを名乗れば、たいてい、
九州出身である。反対に、
「な↑か→じ→ま」という高低アクセントでsが濁音で
祖父母が長寿なら、長野県・富山県である。

現在の日本国の「1都1道2府43県」のうち、
それぞれの行政区部でもっとも多い名字で、
全国ランキングでは10位にも入ってないのは、

香川県(大西)
宮崎県(黒木)
沖縄県(比嘉)

の3つだけである。沖縄は比嘉だけでなく上位20位までに
全国上位の名字がひとつもない県なので、
香川県と宮崎県の特殊性が際立つ。宮崎県は2位も
「甲斐」という、全国ランキングでは上位でなく
「下位」といってもいい名字なのである。

「大西」であるが、阿波国三好郡大西がこの名字の
発祥の地である。その祖は信州小笠原氏であるが、
甲斐国巨摩郡小笠原を本拠にした清和源氏である。
その小笠原氏の支流が上記大西に根をおろし、
長宗我部氏没落で徳川の家臣が分割統治した四国にあって、
無関係な者も名門「大西氏」の名を名乗ったので、
現在、これだけの多さになったようである。

「黒木」は、筑後国上妻郡黒木が発祥地である。ただ、
そのルーツは諸説あって、しかも、どれも根拠に薄い。その中で、
もっとも有力とされてるのが、
帰化系の調(つき)氏(坂上田村麻呂の坂上氏と同族)である。
渡来人というと一般には朝鮮人と同じルーツだと思われてるようだが、
インド・ヨーロッパ語族、セム語族系(ユダヤ人)が中国に入り、それがまた
現在の朝鮮半島を経由して日本に来たものである。
現在の朝鮮人や韓国人ではまったくない。ちなみに、
2位の「甲斐」は肥後国菊池郡を発祥とする藤原氏である。
その菊池氏のうち、家の内紛で遠く甲斐国都留郡に
"疎開"したのち肥後に戻ったのが「甲斐」を名乗り、
隣国日向に勢力を伸ばしたものである。

このように、
香川県1位と宮崎県2位の名字はともに
現在の山梨県に縁がある。その山梨県も、
1位は渡辺、2位は小林、というように全国的にも多い名字だが、
3位に「望月」、5位に「深沢」という、
全国的にはあまり多くない名字が入ってる。
「望月」は源氏ではないが、清和天皇の血を引き、
信濃国小県(ちいさがた)郡滋野を本拠とした滋野氏が祖である。
真田氏・根津氏も同族とされてる。
「深沢」は諏訪氏と清和源氏(武田氏)が合体して甲斐・駿河に
勢力を伸ばした、富士山周辺の有力氏族である。

というように、現在、1億2千万人の日本人のうち、そのほとんどが
天皇家から分かれた家をルーツに持つ。さまざまな文化をもたらした
渡来系も源平橘などと婚姻を通して同化してる。つまり、
日本人がなぜ天皇家を敬うかといえば、本当の日本人ならその祖先は
(畏れ多い言いかただが)天皇家に繋がってるからである。
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