池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

アビダルマ要諦(5)

2024-05-08 09:27:46 | 日記

このプロジェクトは次のような前提から出発する。すなわち、物事を「ありのままに」知る知恵を身につけるためには、2つの存在の間に、鋭いくさびを打ち込んで峻別しなければならないという前提である。その2つとは、存在論の究極であるダンマのような存在と、概念操作によって作られているにもかかわらず間違って究極的な現実と認識されているような存在である。この峻別から出発し、アビダンマは、現実を形成する構成要素として一定数のダンマを仮定するが、それらのダンマのほとんどはスッタ(経典)から抜き出してきたものである。次にアビダンマは、スッタで使われている教理用語を次々と定義し、これらの用語の根元にある、この体系で認識される存在論の究極の姿を明らかにするのである。これらの定義に基づいて、ダンマを徹底的に分類し、前もって設定した関係性のカテゴリーとモードのネットを作る事により、この体系の構造内でダンマがどのような位置を占めているかを明示する。 この体系は現実を正確に反映するよう保たれているので、このような分類によって、全体的な現実世界の構造内における各ダンマの位置づけがピンポイントで示される。

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