二つの方法
偉大な仏典注釈家であったブッダゴーサ師は、Abhidhamma(アビダンマ)という言葉を「Dhamma (ダンマ)を超え勝ったもの」(dhammatireka-dhammavisesa)の意味であるとしている。ここで接頭辞のabhiは「優位、傑出」の意味を持ち、dhamma(ダンマ)は、この場合にはスッタ・ピタカの教えを意味する。[1] アビダンマがスッタの教えを超えたと言われているが、これは、経典の教えに何らかの不足があるという意味ではなく、またアビダンマが、スッタでは知られていない奥義を新発見し示したということを意味するわけでもない。スッタもアビダンマも、ブッダの四つの聖なる真理というユニークな理論に根ざしており、悟りに到達するのに必要な原理原則は全てスッタ・ピタカで詳しく説明されている。この二つの違いは、決して本質的なものではなく、一部は対象範囲の点にあり、一部は方法論の点にある。
対象範囲については、アビダンマは、スッタ・ピタカでは見られない網羅的で徹底した論じ方をしている。ブッダゴーサ師によれば、スッタでは五つの集合体(五蘊)、十二の感覚基盤(十二処)、十八の根元的要素(十八界)などは部分的にしか分類されていないが、アビダンマ・ピタカでは異なる分類方法で(一部はスッタとも共通するが、その他はアビダンマ特有である)全てを分類しているという。[2] したがって、アビダンマの対象範囲は詳細で複雑であり、その点でスッタ・ピタカと異なっている。
もう1つ大きな違いは、相手への配慮の仕方である。スッタ・ピタカに含まれた教説は、千差万別の理解力を持つ聞き手に対して、さまざまな場面でブッダが説いたものである。これらは主に教育を意図しており、聞き手が教えを実行し真実を見抜けるようにするために最も効果的な方法で説かれている。この目的のために、ブッダは、聞き手が教理をわかるように自由に説教の手段を駆使している。彼は直喩も暗喩も使う。熱心に勧め、助言し、鼓舞する。聴衆の好みや能力を見定めて、肯定的な反応を引き出せるように教え方を調整する。このような理由から、経典における教え方は、具体的で応用の利いた教え方(pariyāya-dhammadesana対機説法)、すなわち真理に関する比喩的または装飾的な教説と表現される。