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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

10月3日・ルイ・アラゴンの抵抗

2022-10-03 | 文学
10月3日は、女流作家、平林たい子が生まれた日(1905年)だが、フランスの詩人・作家のルイ・アラゴンの誕生日でもある。

ルイ・アラゴンは、1897年、フランスのパリで生まれた。父親は政治家だったが、当時17歳だった母親より30歳も年上で、子どもを認知しなかった。そこでルイは、母親と母方の祖母に育てられた。彼は父親のことをただ「名付け親」とだけ聞いて育った。
第一次世界大戦がはじまった17歳の年に大学入学資格試験に合格した彼は、ソルボンヌで植物学、生理学、生物学などを学び、医学の道を進もうと考え、軍に志願入隊した。そのころ、彼は実の父親について知り、衝撃を受けた。また同時期に彼は、シュールレアリスムの総帥アンドレ・ブルトンと知り合った。
陸軍病院の軍医補実習生をへて、アラゴンは21歳になる年に西部戦線へ送られた。その5カ月後にドイツが降伏し、終戦となった。終戦後も、アラゴンのいる部隊は、占領軍としてドイツに駐留しつづけた。そのとき、退屈のあまり、ひまつぶしに書きだしたのがシュールレアリスム小説『アニセまたはパノラマ』だった。
アラゴンは、既成の文学スタイルを破壊し、新しい価値観を打ち立てようとするダダイズム、シュールレアリスム(超現実主義)の詩人、作家として詩や散文を発表したが、33歳のころから、コミュニズム(共産主義)によるリアリスム(現実主義)の作家へと180度方向転換をし、それまで同志だったブルトンたちと袂を分かった。
30歳のとき、共産党に入党し、たびたびソビエト連邦を訪れた。
第二次世界大戦にあたり、彼はふたたび兵役についた。そして、ダンケルクから撤退し英国へ逃げた延びた兵士たちのなかに、43歳のアラゴンも混じっていた。その撤退のときをうたった詩が「ダンケルクの夜」である。
大戦中は、ドイツ軍の捕虜となり、脱出した後、除隊。ドイツ軍から逃げてフランス各地を転々としながら、反ファシズムの運動を鼓舞する詩を書いた。
戦後は、雑誌の編集長となり、ソ連のスターリン主義に反発する、ソルジェニーツインやミラン・クンデラといった東側の反体制的作家たちの作品を盛んに雑誌に載せた。
出版社の経営にたずさわった後、75歳のころから、コミュニズムから離れ、ふたたびシュールレアリスムの作風の小説を発表しだした。
そして、1982年12月、パリで没した。85歳だった。

アラゴンは、戦乱の時代に生きた、愛と抵抗の詩人だった。
彼のスタイルは、ダダイズム、シューレアリスム、コミュニズム、またシュールレアリスムと目まぐるしく変遷したが、それは見方を変えれば、反保守主義、反リアリズム、反ファシズム、反リアリズムと、時々の体制側に対し一貫して抵抗した姿とも見える。
一方で、アラゴンは31歳で知り合ったロシア人のエルザという女性を終生の恋人としていて、彼女のことをうたった愛の詩も多い。たとえばこんな風に。

「どんな扉もぼくには君の通路にすぎない
 どんな空もただ君の瞳だ それを笑う人などかまうものか
 いつも少しずつ進む電車が君を運んでくれますように」(橋本一男訳「とこしえにつづく逢いびき」『世界詩人全集18 アラゴン、エリュアール、プレヴェール詩集』新潮社)

(2022年10月3日)



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