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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

7月5日・ジャン・コクトーの素顔

2015-07-05 | 文学
7月5日は、ファッションデザイナー、ポール・スミスが生まれた日(1946年)だが、詩人ジャン・コクトーの誕生日でもある。

ジャン・コクトーは、1889年、仏国パリ郊外の別荘地メゾン=ラフィットで生まれた。父親は47歳の元弁護士で、ジャンの母親と結婚した33歳のころから働かずに暮らす金利生活者だった。ジャンは、姉と兄がいる三人きょうだいの末っ子で、裕福な環境のなかで両親に偏愛されて育った。
8歳のとき、父親がピストル自殺した。動機について真相は不明らしい。
ジャンは利発な少年だったが、集中力に欠け、移り気な少年だった。授業をさぼってはスケート場や遊技場にでかけ、演劇に通っては舞台女優と恋愛事件を起こした。バカロレア(大学入学資格試験)に二度失敗したコクトーは、受験を断念し、読書三昧の生活に入った。十代の後半は、デッサンや詩を書き、社交界に出入りしていた。
19歳のとき、彼の才能を買った人の主催で、コクトーの詩の朗読会が開かれ、パリの著名人を集めて会は大成功を収めた。20歳のとき、詩集『アラディンのランプ』を出版し、若き天才詩人として、コクトーはパリ社交界の寵児となった。
24歳になる年、コクトーは、ストラヴィンスキー作曲、ニジンスキー振り付けによる、ロシア・バレエ団の『春の祭典』を見て衝撃を受け、それまでの自分と決別することを決意。デッサンや詩や譜面や散文で構成された、まったく新しい小説『ポトマック』の執筆にとりかかった。翌年、それを完成すると、コクトーはそれ以前に自分に発表した三冊の詩集をすべて絶版にし、著者目録からも削除した。
そこから「脱皮した詩人」コクトーの活躍がはじまる。
彼はバレエ「パラード」の脚本を書き、画家のピカソ、作曲家のサティと組んで舞台にかけ、ごうごうたる非難を浴び、第一次大戦に強引に参加して奇跡的に生還し、小説『大胯びらき』『山師トマ』『恐るべき子供たち』を書き、映画「詩人の血」「永劫回帰」「美女と野獣」「オルフェ」「オルフェの遺言」を撮った。
1963年10月、かねて心臓発作のため静養中だったところ、歌手エディット・ピアフ死去の報せに接して容態が急変し没。74歳だった。

コクトーが47歳のとき来日した際、案内役を務めた堀口大学によれば、コクトーはひじょうに神経質で恥ずかしがりで、日本のペンクラブの歓迎会で、生まれてはじめてのテーブルスピーチをするあいだずっと下を向き、一度も顔を上げなかったという。また、芸術では万能のコクトーだが、20から8を引くの計算も、指を折って数えないとできないくらい数学が苦手らしい。

小学生ではじめて彼の詩「耳」を読んで以来、コクトーは自分の聖域である。
「私の耳は貝の殻
 海の響きをなつかしむ」(堀口大学訳「ポエジーより」『ジャン・コクトー全集第一巻』東京創元社)

ジャン・コクトーは言っている。
「あんまり賢くなるな
 貧乏するのが落ちだから!
 のろまな人間の皮をかぶって、
 君はどこへ行こうと流罪の身だよ。」(澁澤沢龍彦訳「ポトマック」『ジャン・コクトー全集第三巻』東京創元社)
(2015年7月5日)




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