2月13日は、第二次大戦中、無防備都市宣言をしていたドイツの美しい街、ドレスデンを英米空軍が爆撃し、2万人以上が殺された日で(1945年)、そのときドレスデンの捕虜収容所にいて、奇跡的に生き長らえたひとりが米国作家カート・ヴォネガットだが、一方、この日は、ベルギー生まれの推理作家、ジョルジュ・シムノンの誕生日(1903年)でもある。
シムノンが書いた「メグレ警部」シリーズをはじめて読んだのは、小学校6年生のときだった。もう小学校もあとすこしで終わりだし、怪盗ルパン・シリーズの児童向けの本はすべて読み尽くしたので、そろそろ、新たに追いかけるべき、つぎのミステリー・シリーズをさがさなければと、いくつか読んでみたミステリーのひとつだった。
「メグレ警部」もののほか、「ナポレオン・ソロ」「ペリー・メイスン」「87分署」などを味見した末、自分は「007号ジェイムズ・ボンド」シリーズを読むようになったので、メグレ警部とはそれ以来、あまり縁がないけれど、当時から、全世界でものすごく人気のある推理小説シリーズだということは知っていた。
ジョルジュ・シムノンは、ベルギーのリエージュで生まれた。
父親は保険会社に勤める会社員だった。子どものころから小説家志望で、15歳のとき、新聞記者になり、記事と並行して小説を書きはじめた。
17歳のとき、処女作を発表。
19歳のとき、仏国パリへ移り、さまざまなペンネームで短編小説を量産。
その後、ヨットを購入し、そのヨットで航海しながら、推理小説を書いた。
28歳のときに発表された、パリ警視庁のメグレ警部が登場する推理小説の第一作が好評を博し、以後「メグレ警部」シリーズを百編以上も書いた。
1960年代には、シムノンは毎年6冊の長編を書き、それらは出版されるやいなや、27カ国語に翻訳され、世界中で読まれたという大ベストセラー作家で、ヴィクトル・ユゴー、ジュール・ヴェルヌと並ぶ、世界でもっとも読まれているフランス語作家だった。
70歳のころ、シムノンは「メグレ警部」ものからの引退を宣言。
1989年9月、スイスのローザンヌで没。86歳だった。
コナン・ドイルといえば、シャーロック・ホームズ。
モーリス・ルブランといえば、怪盗ルパン。
チャンドラーといえば、フィリップ・マーロウ。
そして、シムノンといえば、メグレ警部、なのだけれど、シムノンはそれだけの男ではなく、純粋な文学作品も書いていて、文学に関する考察にも深いものがあった。
シムノンには、3人の子どもがあって、上の二人が男の子、いちばん下が女の子だが、この3人の子どもたちが3人とも、小さいときに夕暮れをこわがったという。
日が暮れるのを見てると、こわくて家に飛びこむ、逆に外へでたがる、ひとりきりになってもの思いに沈む、など、子どもによって、その反応はちがったが、どの子どももみな、沈み行く夕日を見て、
「明日も日がまた昇ってくるのだろうか」
と不安を訴えたという。
父親のシムノンは、とうぜん、
「お日さまは、明日もきっと帰ってくるよ。だいじょうぶだよ」
と請けあうわけだが、シムノンはそこに、自分がもの書きになってからずっと疑問に思っていた、
「われわれ人間がなぜ小説を読むのか」
という疑問に対する答えを見つけたのだという。
「小説とはなにか。なぜひとは小説を読むのか。自分と同じ人間が、自分と同じようなことをやっているのを見るために、わざわざ金を出して小説本を買ったり、劇場や映画館に出かけたりするのか」
その答えをみつけた、と。
話を端折ると、その答えは、
「われわれを安心させるため。われわれを和解させるため」
である。(参照・河盛好蔵「人間の小説」『文学空談』文藝春秋)
シムノンがこういう趣旨の講演をしていたことを知って、自分はとても感慨深かった。
シムノンは、アンドレ・ジイドや、マルタン・デュ・ガールなどの文豪にも高く評価されていたそうで、むべなるかな、と思わせるものがある。
自分は、なぜブログを読むのだろう、そんなことを、シムノンは考えさせる。
(2013年2月13日)
著書
『12月生まれについて』
『新入社員マナー常識』
『コミュニティー 世界の共同生活体』
訳書、キャスリーン・キンケイド著
『ツイン・オークス・コミュニティー建設記』
シムノンが書いた「メグレ警部」シリーズをはじめて読んだのは、小学校6年生のときだった。もう小学校もあとすこしで終わりだし、怪盗ルパン・シリーズの児童向けの本はすべて読み尽くしたので、そろそろ、新たに追いかけるべき、つぎのミステリー・シリーズをさがさなければと、いくつか読んでみたミステリーのひとつだった。
「メグレ警部」もののほか、「ナポレオン・ソロ」「ペリー・メイスン」「87分署」などを味見した末、自分は「007号ジェイムズ・ボンド」シリーズを読むようになったので、メグレ警部とはそれ以来、あまり縁がないけれど、当時から、全世界でものすごく人気のある推理小説シリーズだということは知っていた。
ジョルジュ・シムノンは、ベルギーのリエージュで生まれた。
父親は保険会社に勤める会社員だった。子どものころから小説家志望で、15歳のとき、新聞記者になり、記事と並行して小説を書きはじめた。
17歳のとき、処女作を発表。
19歳のとき、仏国パリへ移り、さまざまなペンネームで短編小説を量産。
その後、ヨットを購入し、そのヨットで航海しながら、推理小説を書いた。
28歳のときに発表された、パリ警視庁のメグレ警部が登場する推理小説の第一作が好評を博し、以後「メグレ警部」シリーズを百編以上も書いた。
1960年代には、シムノンは毎年6冊の長編を書き、それらは出版されるやいなや、27カ国語に翻訳され、世界中で読まれたという大ベストセラー作家で、ヴィクトル・ユゴー、ジュール・ヴェルヌと並ぶ、世界でもっとも読まれているフランス語作家だった。
70歳のころ、シムノンは「メグレ警部」ものからの引退を宣言。
1989年9月、スイスのローザンヌで没。86歳だった。
コナン・ドイルといえば、シャーロック・ホームズ。
モーリス・ルブランといえば、怪盗ルパン。
チャンドラーといえば、フィリップ・マーロウ。
そして、シムノンといえば、メグレ警部、なのだけれど、シムノンはそれだけの男ではなく、純粋な文学作品も書いていて、文学に関する考察にも深いものがあった。
シムノンには、3人の子どもがあって、上の二人が男の子、いちばん下が女の子だが、この3人の子どもたちが3人とも、小さいときに夕暮れをこわがったという。
日が暮れるのを見てると、こわくて家に飛びこむ、逆に外へでたがる、ひとりきりになってもの思いに沈む、など、子どもによって、その反応はちがったが、どの子どももみな、沈み行く夕日を見て、
「明日も日がまた昇ってくるのだろうか」
と不安を訴えたという。
父親のシムノンは、とうぜん、
「お日さまは、明日もきっと帰ってくるよ。だいじょうぶだよ」
と請けあうわけだが、シムノンはそこに、自分がもの書きになってからずっと疑問に思っていた、
「われわれ人間がなぜ小説を読むのか」
という疑問に対する答えを見つけたのだという。
「小説とはなにか。なぜひとは小説を読むのか。自分と同じ人間が、自分と同じようなことをやっているのを見るために、わざわざ金を出して小説本を買ったり、劇場や映画館に出かけたりするのか」
その答えをみつけた、と。
話を端折ると、その答えは、
「われわれを安心させるため。われわれを和解させるため」
である。(参照・河盛好蔵「人間の小説」『文学空談』文藝春秋)
シムノンがこういう趣旨の講演をしていたことを知って、自分はとても感慨深かった。
シムノンは、アンドレ・ジイドや、マルタン・デュ・ガールなどの文豪にも高く評価されていたそうで、むべなるかな、と思わせるものがある。
自分は、なぜブログを読むのだろう、そんなことを、シムノンは考えさせる。
(2013年2月13日)
著書
『12月生まれについて』
『新入社員マナー常識』
『コミュニティー 世界の共同生活体』
訳書、キャスリーン・キンケイド著
『ツイン・オークス・コミュニティー建設記』
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