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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

11月23日・久米正雄の業

2022-11-23 | 文学
11月23日は、勤労感謝の日。この日はインドの霊能師、サイ・ババが生まれた日(1926年)だが、作家、久米正雄の誕生日でもある。

久米正雄は、1891年、長野の上田で生まれた。父親は高等小学校の校長だった。
正雄が7歳のとき、学校が火事になり、学校に飾ってあった明治天皇の写真「御真影」も焼けてしまった。校舎が燃えたことよりも、天皇の写真一枚が焼けたことのほうが重要視される時代で、責任を感じた校長の父親は自宅で腹を切り、頚動脈に刀を突きたてて自殺した。
その後、正雄は母方の郷里である福島で育ち、東京帝国大学の文学部英文学科に進んだ。
東大在学中、松岡譲らと第三次「新思潮」を創刊した。
24歳のころ、文豪・夏目漱石の門人となり、芥川龍之介、菊池寛らと第四次「新思潮」の創刊にも立ち会った。
25歳のとき、師・夏目漱石が胃潰瘍で急死した。久米は漱石の長女・筆子に恋をし、求婚したが、筆子はこれを断り、松岡譲と結婚した。
久米は彼らへの恨み言めいた文章を発表し、自分の失恋事件を題材にして小説『破船』を雑誌に連載して、好評を得た。
小説家として活躍するかたわら、41歳のときには鎌倉の町会議員に当選し、政治活動もした。
1952年3月、脳溢血のため没した。60歳だった。

かつて芥川龍之介と久米正雄、そして菊池寛は流行作家の御三家だった。芥川が人生を銀のピンセットでもてあそび、久米は器用に箸でつまみ、菊池は素手でわしづかみにすると言われた。

久米正雄の『父の死』を読んだ。父親が御真影を火事から救えなかったために自殺した事件を扱ったものだけれど、いかにもお箸の国の人で、没後の評価をみると、やはり、銀のピンセットや素手のほうが、個性が際立って強いのだろう。

久米正雄が漱石の娘・筆子に求婚したころ、夏目家に怪文書が舞い込んだという。
その文書は、久米正雄が不能だとか性病にかかっているとか、目茶苦茶に非難した品位に欠ける誹謗中傷で、誰が書いたものははっきりとしないのだが、一説によると、書いたのは久米と敵対していた作家の山本有三らしい。真偽のほどは不明だが、『真実一路』『路傍の石』を書いたあの作家が、とすると、小説家の業が感じられて興味深い。

久米正雄は、トルストイやドストエフスキーを通俗小説だと切り捨てる私小説の礼賛者で、それでいてみずからを斬る私小説が書けず、通俗小説作家を通したという矛盾を抱えた作家だった。当人の苦渋が思われる。文士稼業は大変である。
(2022年11月23日)



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