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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

11月5日・ヴィヴィアン・リーの宿命

2022-11-05 | 映画
11月5日は、作家の海音寺潮五郎が生まれた日(1901年)だが、ハリウッド女優ヴィヴィアン・リーの誕生日でもある。

ヴィヴィアン・リーは、1913年、当時英国領だったインドの西ベンガル州ダージリンで生まれた。本名はヴィヴィアン・メアリ・ハートリー。父親は騎兵隊の将校だった。
3歳のときから舞台に立っていたヴィヴィアンは、6歳のとき英国イングランドへ引っ越し、ローハンプトンのカトリック女子修道院の付属学校に入学した。
その後、父親の転勤についてヨーロッパを転々として育った彼女は、18歳のころ学校時代の友人が出演している映画を観て、女優を志し、ロンドンの王立演劇学校へと入学した。しかし、年上の弁護士と恋に落ちて結婚し、演劇学校を退学して女の子を産んだ。
22歳のとき、彼女は映画に端役として出演し、演劇の舞台にも立つようになり、芸名ヴィヴィアン・リーを名乗るようになった。「リー」は夫のミドルネームだった。
舞台デビューしてすぐに絶賛されたヴィヴィアン・リーは、彼女の演技に惚れ込んだ俳優ローレンス・オリヴィエと恋に落ちた。たがいに伴侶のあるダブル不倫で、二人は仕事上でも舞台劇の「ハムレット」で共演し、不倫関係のまま同棲をはじめた。離婚していっしょになろうとしたが、双方とも離婚話がまとまらなかった。
舞台と映画で活躍していたリーは、ハリウッドでマーガレット・ミッチェルのベストセラー小説『風と共に去りぬ』が映画化されることを聞き及び、米国へ渡り、自分をヒロインのスカーレット役として売り込み、フィルムテストに合格しその役をつかんだ。
映画「風と共に去りぬ」はリーが26歳のときに公開され、大ヒットとなった。美貌と演技力をいかんなく発揮し、リーはアカデミー賞主演女優賞を受賞、世界的女優となった。
27歳の年にふた組の離婚が成立し、リーはオリヴィエと結婚した。
彼女は38歳のとき「欲望という名の電車」でもアカデミー賞主演女優賞を受賞した。
ヴィヴィアン・リーは、オリヴィエと同棲をはじめたころから、躁鬱病をわずらっていて、理由もなくとつぜん怒鳴りだし、しばらく怒っていたかと思うと、急に静かになり、ぼんやり遠くを見てすわっている、というような発作をたびたび起こした。鬱状態の症状や不眠症により、映画の撮影では、彼女にとってもスタッフにとっても困難と苦しみをともなうことが多かった。
夫のオリヴィエは彼女の発作によく耐えたが、リーに愛人ができたこともあり、彼女が47歳のとき二人は離婚した。リーは躁鬱病の上に、結核も抱え、それでも映画や舞台に出つづけたが、1967年7月、結核のため、ロンドンの自宅で没した。53歳だった。

ヴィヴィアン・リーというと、彼女の代表作「風と共に去りぬ」「欲望という名の電車」を思いだす。どちらも強烈な個性をもった女性の役で、すごい美人で、見るからにただ者ではない、エキセントリックな魅力があってすばらしかった。あの二作品は、彼女の圧倒的な存在感のために、リメイクが困難である。
また、ローレンス・オリヴィエとダブル不倫時代に共演した「美女ありき」も忘れられない名作である。ネルソン提督とハミルトン夫人の不倫関係を描いた史実ものだが、この作品中のヴィヴィアン・リーの美しさといったらことばもない。彼女こそはワン・アンド・オンリーの女優で、宿命の女、生きたカルメンだった。ああいう美人に人生を目茶苦茶にされたい、という願望をひそかにもたない男はいないのではないか。
(2022年11月5日)



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