1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

4月24日・ルー・テーズの本物

2020-04-24 | スポーツ
4月24日は、植物学者、牧野富太郎が生まれた日(文久2年・1862年)だが、プロレスの神様「鉄人」ルー・テーズの誕生日でもある。

ルー・テーズは、1916年、米国ミシガン州のバナットで生まれた。父親はハンガリーからやってきた靴修理職人の移民で、セントルイスで靴修理をしていたところ、バナットの田舎へ引っ越して、農場をはじめた。そこの山小屋で生まれたのがルーだった。ルーは4人きょうだいの3番目で、彼のほかはみんな女のきょうだいだった。農地開墾はうまくいかず、ルーが2歳のころ、一家はセントルイスへもどり、父親も靴修理にもどった。
小さいころ、ルーは吃音に悩まされていた。さらに彼は生まれつき左利きで、当時左利きは無理やり右利きに矯正されたため、苦しい少年時代をすごした。
8歳のころから、父親はルーにレスリングを教えだした。数百回の腕立て伏せ、スクワット、ブリッジからはじまるきびしいレッスンだったが、ルーはそれを楽しんだ。彼のおこづかいはすべてプロレスラーの公開練習見学に注ぎ込まれた。
14歳のときに学校をやめ、靴の修理工となり、仕事を5時に終えると、午後9時までレスリングのトレーニングをした。近くの高校のレスリング部といっしょに練習するようになり、テーズはいよいよ熱中した。
15歳からコーチにつき、19歳からプロレス巡業に参加した。当時は大恐慌が尾を引く不況期だったが、生活を節約して転戦し、タイトルマッチへの権利を得、彼は21歳の若さでNWA世界王者となった。通常のチャンピオンより10年若い王者の誕生だった。
第二次大戦中は徴兵され、兵士たちに格闘技を教える教官を務めた。
戦後、軍務から解放されたテーズは、世界王者に返り咲いた。相手を背後から抱え上げ、からだを添えてのけぞりながら、目にも止まらぬ速さで相手の後頭部を後方のマットへ打ちつけるバックドロップで連戦連勝を重ね、30代の全盛期には約8年間にわたって936連勝という大記録を打ち立てた。
テーズは、力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木といった日本のプロレスラーとも試合をし、何度も来日した。74歳のとき、47歳年下の蝶野正洋と戦った試合を最後に現役を引退し、2002年4月、心臓発作のため、フロリダ州オーランドの病院で没した。86歳だった。

「打倒、ルー・テーズ。わたしを強くしてくれたのは、この悲願、この執念だ」
それが力道山の口ぐせだったという。

ルー・テーズの自伝を読むと、とても同じ人間と思えない。超人とは彼のことである。
自伝によると、テーズが信条にしていたことばはこうである。
「オーセンティック(authentic、正真正銘の、本物の、確実な)」
戦後はテレビ時代となり、派手なガウンをまとい、派手なアクションをするプロレスラーが人気を浴びるようになった。プロのレスラーとして生きていくには、この時代の流れに順応していかなくてはならないが、大事なのは「オーセンティック・レスリング」を忘れずに精進することだと、亡くなった先輩レスラーが彼に言い残した。以来、テーズは「オーセンティック」という形容詞を肝に銘じて忘れないという。
そう、オーセンティック、である。
(2020年4月24日)


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