1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

4月9日・ベルモンドの跳躍

2020-04-09 | 映画
4月9日は、詩聖ボードレールが生まれた日(1821年)だが、映画俳優ジャン=ポール・ベルモンドの誕生日でもある。

ジャン=ポール・ベルモンドは、1933年、パリの西どなりのヌイイ=シュル=セーヌで生まれた。父親は、イタリア系の血をひくアルジェリア生まれの彫刻家だった。
勉強よりスポーツに傾倒するジャン少年は、サッカーとボクシングに熱中し、16歳でボクシングのリングに立ち、1ラウンドKO勝ちという鮮烈なデビュー戦を飾った。
1ラウンド・ノックアウト勝利記録は3度にもなったが、ベルモンド選手はリングを降りた。後にインタビューでこう語っている。
「鏡を見て、顔が変わりかけているのに気づいたときに、辞めることにした」(Schneider, PE"'A Punk With Charm': That role has made Belmondo a new rage". New York Times. 7 May 1961.
ボクシングから演技へと興味の方向を変えたベルモンドは、演劇学校へ通いだし、20歳のときに国立高等演劇学校に入学。そこで3年間学んだ。そこに在学中に舞台デビューしたベルモンドは、劇団の地方巡業にも加わった。
23歳のころから映画にも出演しだし、25歳のときに映画初主演。
そして、27歳のときに公開されたジャン=リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」に主演した。このヌーヴェルヴァーグの代表作によって彼は、同じく主演女優のジーン・セバーグとともに、フランスのみならず世界的に知られる映画俳優となった。以後、
「雨のしのび逢い」
「リオの男」
「気狂いピエロ」
「パリの大泥棒」
「暗くなるまでこの恋を」
「ボルサリーノ」
「相続人」
「おかしなおかしな大冒険」
など、恋愛もの、社会派作品、アクションもの、娯楽コメディなど多彩な映画作品に出演、活躍した。
また、彼より2歳年下のアラン・ドロンが自分の映画制作会社を作って成功したのに刺激され、30代後半に自分のプロダクションを設立し、フランス社会を揺るがした汚職事件を扱った「薔薇のスタビスキー」を制作・主演。54歳の頃からは演劇舞台にも復帰し、シラノ・ド・ベルジュラックを演じてロングランヒットをとばした。
クロード・ルルーシュ監督の「レ・ミゼラブル」に出演した後、63歳で脳卒中を起こしたが、76歳で映画「男と犬」に主演、元気なところを見せた。

「気狂いピエロ」「暗くなるまでこの恋を」「おかしなおかしな大冒険」など、ベルモンド作品は何度みても飽きない、ある特殊な新鮮さをもっている。
演劇的な大胆な身振り、スマ-トで軽やかな物腰、軽妙な会話と笑い、そしてユーモア、そういった彼の演技の底に、人生を生きている者が感じる、ある愁いが流れているからである。
ジャン=ポール・ベルモンド。フランスの粋である。
(2020年4月9日)


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