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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

4月20日・加山雄三の底

2020-04-11 | 映画
4月11日は、評論家、小林秀雄が生まれた日(1902年)だが、シンガーソングライター兼映画スターの加山雄三(かやまゆうぞう)の誕生日でもある

「若大将」こと、加山雄三は、1937年4月11日、神奈川の横浜で生まれた。本名は池端直亮(いけはたなおあき)。
父親は上原謙(うえはらけん)、母親は小桜葉子(こざくらようこ)で、ともに俳優。母親は岩倉具視(いわくらともみ)の血を引く名門出身だった。
直亮は、生後間もなく東京の田園調布に引っ越し、また神奈川へもどって、茅ヶ崎で育った。少年時代から海の男で、14歳でカヌーを自分で作ってから、毎年一艘、船を自分で作ったという。
慶應義塾大学を卒業後、23歳で東宝へ入社。同年、映画デビューし、加山雄三となった。
24歳のとき主演した映画「大学の若大将」にはじまる「若大将シリーズ」が大ヒットし、父子そろっての大スターとなった。
28歳のとき、シリーズ第六作「エレキの若大将」の主題歌「君といつまでも」を歌い、大ヒット。俳優、歌手として、若い女性の圧倒的な人気を集めた。
33歳のとき、監査役に名前を連ねていた叔父のホテル経営会社が倒産し、23億とも言われる借金を背負った。
ときを同じくして「エレキの若大将」で共演した女優、松本めぐみと駆け落ち同然の結婚をし、若大将シリーズは打ち切られた。
以後、加山はナイトクラブ、キャバレーまわりを10年近く続けて、ようやく借金を返した。
40歳前後からふたたびテレビに出演しだし、出演ドラマの挿入歌となった「ぼくの妹に」がヒットし、バラエティ、ドラマ、歌番組などに出演。壮年の若大将として復活した。
映画俳優であり、シンガーソングライターの船乗りである。

1966年、ザ・ビートルズが来日したとき、ビートルズの4人とすきやきを食べたのが、当時二九歳の加山雄三だった。加山はジョン・レノンに背後から目隠しされ、おだてられて彼らの前で自曲を歌った。これはすごい景色である。

大スターの子として裕福な家に生まれ、容姿と才能に恵まれ、若くして頂点に立った加山が33歳で負った借金は深刻だった。監査役に名前を貸していただけで、とつぜん降ってわいた借金23億。でも逃げず、それを背負いこんだ。加山は回想している。
「生活費はぎりぎりで、かみさんと卵かけご飯を半分ずつ分け合ったりもしました。(中略)それでも『ああ、もうダメか』と絶望寸前になることだってある。だけど、逆境から立ち上がろうと必死になって努力する。本気で挑んでいると、去っていく人もいる代わりに、力になってくれる人、味方になってくれる人が必ず現れる。『えっ、本当ですか?』なんてことが実際に起きるんです。その出会いが根底から人生を変えることだってある。」(「逆境に学ぶ」「朝日新聞」2014年1月8日)

貧乏育ちでない彼にとって、転落はそうとうタフなものだったはずだ。なにせ、ビートルズとすきやきから、卵かけご飯の半分この生活である。
奥さんもえらかったが、やはり海と太陽で育った男はすごい。復活後の、苦労の影をみじんも見せないあの明朗さ。加山雄三は逆境でかえって真価を見せる底のある人である。
(2020年4月11日)



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