10月16日は、英語辞書を作ったノア・ウェブスターが生まれた日(1758年)だが、英国の作家、オスカー・ワイルドの誕生日でもある。『幸福な王子』の著者である。
オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルドは、1854年、アイルランド、ダブリンのプロテスタントの家庭に生まれた。父親は医者だった。
子どものころからしゃれ者だったワイルドは、17歳の年にダブリンのトリニティー・カレッジに入学し、在学中、古典の成績や詩作によって賞やメダルをつぎつぎと獲得した。
彼はイングランドのオクスフォード大学の奨学金を獲得して、20歳のとき、特待生として同大学に入った。英国の最高学府、オクスフォードでは、学生の90パーセントが男色に関係していた。学生寮で派手な生活をはじめたワイルドは、ギリシア旅行に出かけ、イタリアのラヴェンナやローマをまわって帰ってきた。ワイルドは、卒業前に長詩『ラヴェンナ』を書き、ニューディゲート賞に入賞した。この賞はオクスフォード大学内のコンテストで、詩人の登竜門とされていた。入賞作品は、審査主任の教授のていねいな添削を受けた後に印刷されるのが慣例で、ワイルドも教授にこまかな修正の指示を受けたが、自信家のワイルドは自作を一字一句直すことなく『ラヴェンナ』はそのまま出版された。若きワイルドはこう言い放った。
「毎年誰かがニューディゲート賞をとるのだ。しかしニューディゲート賞は毎年オスカーをとることはできない」(平井博『オスカー・ワイルドの生涯』松柏社)
オクスフォード大学を首席で卒業し、唯美主義を標榜する詩人、小説家、劇作家として成功した。「芸術のための芸術」を主張するワイルドは、米国へ講演旅行に出かけ、大成功をおさめ、彼は世界的名声に包まれて英国に帰還した。
小説『アーサー卿の犯罪』『ドリアン・グレイの肖像』、童話『幸福な王子』、戯曲に『ウィンダミア卿夫人の扇』『サロメ』『まじめが肝心』などを書き人気を博した。
ワイルドは当時、16歳年下の青年と男色関係にあった。あるとき、二人の関係を知った青年の父親から訴訟を起こされ、事件はこじれた。当時の英国では男色は犯罪だった。ワイルドは逮捕され、裁判に敗れ、2年間の禁固刑を受けた。さらに獄中で破産宣告を受けた。『獄中記(De Profundis、深淵より)』を書いた。出獄したワイルドは、仏国で知己を頼って過ごし、1900年11月、脳膜炎のため、パリのホテルで没した。46歳だった。
ワイルドはもっとも長く親しんできた外国人作家で、翻訳本や研究書、英語の全集を持っている。あふれんばかりの才能の人だった。
拙著『名作英語の名文句』『名作英語の名文句2』の両方でワイルドの作品を取り上げた。ワイルドの文章は、頭韻や脚韻、同一子音の連続など修辞学的技巧が自然にそなわっていて、流れるような音楽的効果をあげ、音読さずにはいられない、とても美しいものである。「ことばの王(a lord of language)」を自負していたワイルドは言っている。
「結婚の正しい基礎は、たがいの誤解にある(The proper basis for a marriage is a mutual misunderstanding.)」
ことばこそ大事だ、とワイルドは教えてくれる。ことばは、すでにある語句の組み合わせにすぎない。けれど、その組み合わせ方が下手か上手かによって、人生はつまらなくもなるし、すばらしく輝きもする。
(2019年10月16日)
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オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルドは、1854年、アイルランド、ダブリンのプロテスタントの家庭に生まれた。父親は医者だった。
子どものころからしゃれ者だったワイルドは、17歳の年にダブリンのトリニティー・カレッジに入学し、在学中、古典の成績や詩作によって賞やメダルをつぎつぎと獲得した。
彼はイングランドのオクスフォード大学の奨学金を獲得して、20歳のとき、特待生として同大学に入った。英国の最高学府、オクスフォードでは、学生の90パーセントが男色に関係していた。学生寮で派手な生活をはじめたワイルドは、ギリシア旅行に出かけ、イタリアのラヴェンナやローマをまわって帰ってきた。ワイルドは、卒業前に長詩『ラヴェンナ』を書き、ニューディゲート賞に入賞した。この賞はオクスフォード大学内のコンテストで、詩人の登竜門とされていた。入賞作品は、審査主任の教授のていねいな添削を受けた後に印刷されるのが慣例で、ワイルドも教授にこまかな修正の指示を受けたが、自信家のワイルドは自作を一字一句直すことなく『ラヴェンナ』はそのまま出版された。若きワイルドはこう言い放った。
「毎年誰かがニューディゲート賞をとるのだ。しかしニューディゲート賞は毎年オスカーをとることはできない」(平井博『オスカー・ワイルドの生涯』松柏社)
オクスフォード大学を首席で卒業し、唯美主義を標榜する詩人、小説家、劇作家として成功した。「芸術のための芸術」を主張するワイルドは、米国へ講演旅行に出かけ、大成功をおさめ、彼は世界的名声に包まれて英国に帰還した。
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ワイルドは当時、16歳年下の青年と男色関係にあった。あるとき、二人の関係を知った青年の父親から訴訟を起こされ、事件はこじれた。当時の英国では男色は犯罪だった。ワイルドは逮捕され、裁判に敗れ、2年間の禁固刑を受けた。さらに獄中で破産宣告を受けた。『獄中記(De Profundis、深淵より)』を書いた。出獄したワイルドは、仏国で知己を頼って過ごし、1900年11月、脳膜炎のため、パリのホテルで没した。46歳だった。
ワイルドはもっとも長く親しんできた外国人作家で、翻訳本や研究書、英語の全集を持っている。あふれんばかりの才能の人だった。
拙著『名作英語の名文句』『名作英語の名文句2』の両方でワイルドの作品を取り上げた。ワイルドの文章は、頭韻や脚韻、同一子音の連続など修辞学的技巧が自然にそなわっていて、流れるような音楽的効果をあげ、音読さずにはいられない、とても美しいものである。「ことばの王(a lord of language)」を自負していたワイルドは言っている。
「結婚の正しい基礎は、たがいの誤解にある(The proper basis for a marriage is a mutual misunderstanding.)」
ことばこそ大事だ、とワイルドは教えてくれる。ことばは、すでにある語句の組み合わせにすぎない。けれど、その組み合わせ方が下手か上手かによって、人生はつまらなくもなるし、すばらしく輝きもする。
(2019年10月16日)
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