1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

10月23日・ペレの克服

2019-10-23 | スポーツ
10月23日は、世界ではじめて全身麻酔を使って外科手術をした江戸の医師、華岡青洲が生まれた日(宝暦10年、1760年)だが、「サッカーの王様」ペレの誕生日でもある。

ペレは、1940年、ブラジルのトレス・コラソンエスで生まれた。本名は、エドソン・アランチス・ドゥ・ナシメント。「エドソン」の名は、米国の発明王、トマス・エディソンにちなんで名付けられたものだという。彼の父親はアフリカ系のブラジル人で、サッカー選手だった。
貧しい家計を助けるため、小さいころ靴磨きをしていたエドソンは「ペレ」という愛称で呼ばれ、父親にサッカーの手ほどきを受け、14歳のときに地元クラブチームの下部組織に入団。15歳のとき、ブラジルを代表する名門サッカークラブのひとつ、サントスFCに入団した。デビューした親善試合でいきなり初得点するなど、すぐに活躍しだした。相手チームの選手6人をドリブルで抜いてゴールを決める、ボールを落とさず、空中で操りながら相手のマークをかわしシュート、ゴールするなど、華麗なテクニックで勝利に貢献し、南米王者、クラブ世界一など、チームを数々の栄冠に導いた。
ペレは34歳の年に引退するまで、サントスの主力選手として、ずっとブラジル国内でプレイしつづけた。欧州のビッグクラブからの誘いもあったが、ペレをはこれを断り、これがブラジル国内での彼の人気をさらに高めた。
35歳になる年に、「サッカー不毛の地」と言われた米国のサーカーリーグのチームに移籍。西ドイツからはフランツ・ベッケンバウアーもやってきて、米国のサッカーリーグを盛り上げた。
国の代表がぶつかるサッカー・ワールドカップは4年ごとにおこなわれるが、ペレはブラジル代表として4度のワールドカップに出場し、3度優勝した。
現役選手を引退した後は、国際サッカー連盟(FIFA)の大使、国際連合児童基金(ユニセフ)の親善大使を務め、55歳のころから3年間、ブラジル政府のスポーツ大臣を務め、スポーツ施設や、スポーツ選手の権利を守る法律の整備に尽力した。

現代では、ペレ以上のテクニックをもったサッカー選手は世界にたくさんいるけれど、そうした現代のテクニックは、ペレが編み出し、やって見せ、それが広まり、さらに進化していった結果だと言える。
味方からきたパスを胸でトラップ(受け止め)し、そのボールが落ちる前に蹴ってゴールを決めるとか、蹴ったボールが大きく曲がった軌道を描くバナナ・シュートなど、ペレがやって見せた技は、当時のサッカーファンの度肝をぬく斬新なものだった。
彼の肉体には俊敏さと強さがあったが、とくにしなやかさがずば抜けていた。

昔、小学校のころの担任教師があるとき、こんなことを言った。
「サッカーの王様、ペレが子どものころ、サッカーをはじめて、最初に練習したのは、きき足でない、左足でもボールを蹴られるようにすることだったんだって」
それを聞いて、えらい少年もいたものだと感心したものだ。
(2019年10月23日)



●おすすめの電子書籍!

『アスリートたちの生きざま』(原鏡介)
さまざまなジャンルのスポーツ選手たちの達成、生き様を検証する人物評伝。嘉納治五郎、ネイスミス、チルデン、ボビー・ジョーンズ、ルー・テーズ、アベベ、長嶋茂雄、モハメド・アリ、山下泰裕、マッケンロー、本田圭佑などなど、アスリートたちの生から人生の陰影をかみしめる「行動する人生論」。


●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.jp

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする