1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

10月12日・三浦雄一郎の純

2019-10-12 | スポーツ
10月12日は、プロボウラーの中山律子さんが生まれた日(1942年)だが、プロスキーヤー、三浦雄一郎の誕生日でもある。

三浦雄一郎は、1932年、青森で生まれた。父親は農林省の役人で、山岳スキーヤーだった。子どものころは病弱で、小学校のころは結核、肋膜炎を患い、長いあいだ入院していたという雄一郎は、親の仕事の都合でたびたび転校した。小学校時代からスキーだけは熱心で、中学、高校のときには、地元のスキー大会や、県下の高校生スキー大会で優勝するなどの記録を残した。
北海道大学の獣医学部に入り、卒業後は、同大獣医学部の助手を務めた。
26歳のとき、助手をやめ、スキー競技に出場したり、一時期は北アルプスで、登山者の荷物を背負って運ぶ歩荷(ボッカ)をしたりしていた後、30歳の年に世界プロスキー選手権に参加。以後、プロスキーヤーとして活躍した。
33歳のときに、ブレーキ用のパラシュートを背負って富士山を直滑降で降りた。
38歳で、エベレスト山の8000メートルス地点からスキーで滑降した。このときは、たまたまあったアイスバーンの穴にはまって、命拾いをしたという。
54歳で、世界七大陸の最高峰からの滑降をやり遂げた後は、冒険からは遠ざかっていたが、90代になってなおモンブランでのスキーに挑もうとする父親や、無酸素でエベレスト登頂に挑む息子などに触発されて、再起を決意。日々鍛練に励み、準備した後、2003年、70歳でエベレストに登頂するという当時の世界最高齢登頂記録を作った。
その後、この記録が塗り替えられたことに発奮し、ふたたび訓練にはげみ、2013年5月の80歳での登頂成功の快挙となった。

80歳になった三浦雄一郎が、エベレストに出かける前、たまたまテレビで、彼が作家・政治家の石原慎太郎と対談しているのを見た。
そのとき、三浦は毎日のトレーニングについて話した。彼は都心に住んでいるが、毎日、重りをつけた靴をはき、何十キロかの重りの入ったリュックを背負って、自転車で青梅街道を走って、高尾山のふもとまで通っていた。片道50キロメートル近い距離である。それからふもとに自転車をおき、標高600メートルの高尾山を登ってくる。そして、都心の自宅まで自転車で帰る。それを毎日の日課にしている、と。これが80歳すぎの人間のやることとは。

対談の発言からすると、三浦は、冒険に挑むなかで死ぬことについては、とくに恐怖を感じないらしかった。まわりにいた登山家やスキーヤーたちが死んでいくのを見ているし、自分も運が悪ければ、いつ死ぬかもしれない。そのときはそのときで、死ぬだけのことだ、と肚をくくっているわけである。もちろん、死にに行くわけではなく、死なずに目標をやり遂げられるよう、できるかぎりの準備はしていく。
何をやるのかがはっきりしていること。それから、恐怖とか不安とか、損得とか欲とかの余計な雑念にかまわず、まっすぐ目標に向かってひたすら努力を重ねていくこと。
このシンプルさが、肝である。
(2019年10月12日)



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