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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

1月8日・エルヴィス・プレスリーの肌着

2018-01-08 | 音楽
1月8日は、ロックスター、デヴィッド・ボウイが生まれた日(1947年)だが、もうひとりのスター、エルヴィス・プレスリーの誕生日でもある。

エルヴィス・アーロン・プレスリーは、1935年、米国ミシシッピー州のテューペロで生まれた。エルヴィスは双子の弟で、兄のほうは死産だったらしい。エルヴィスが生まれたとき、父親はまだ18歳、母親は22歳だった。父親は職を始終変えている男で、エルヴィスが3歳のときには文書偽造の罪で数カ月服役した。ひどく貧しかった一家はそのとき家を失い、母親はエルヴィスを連れて一時親戚に身を寄せた。
小さいころからまわりにいた黒人たちの音楽を聴いて育ったエルヴィスは、11歳のとき、歌のコンテストに出て入賞した。
13歳のとき、一家はテネシー州メンフィスへ越した。公営の低所者用アパートに入居した。
エルヴィスは、18歳で高校を卒業すると、電気会社にトラック運転手として就職した。同じ年、母親にプレゼントするつもりで、レコーディング・サービスに料金4ドルを支払い、自分の歌声を吹き込んだレコードを作った。その録音を聴いたレコード会社が、エルヴィスに才能を感じ、レコーディングの際に歌い手として彼を呼んだ。それを縁に、19歳でレコード・デビュー。彼は黒人のように歌う白人歌手として注目された。21歳のとき、テレビ番組に出演し、身をくねらせて「ハートブレイク・ホテル」を歌い、これが一大センセーションを巻き起こし、エルヴィスは一気にスターダムに上り詰めた。
以後「ハウンド・ドッグ」「冷たくしないで」「監獄ロック」「好きにならずにいられない」など数多くのヒット曲を歌い、熱烈なファンをもつ「ロックの帝王」として君臨し、世界中の若者に多大な影響を与えた。アイドル歌手として映画にも数多く出演した。
1977年8月、メンフィスの自宅で、心臓発作のため没した。42歳だった。

かつてエルヴィスのハワイ・ホノルル・コンサートのテレビ生中継があって、中学生のころそれを見て衝撃を受けた。第一印象は得体の知れない宇宙人を見た、というものだった。あのときエルヴィスは、一曲歌い終えると、首のスカーフを客席に放り、それをステージに押し寄せた女性ファンたちが奪い合った。それからエルヴィスはステージのそでへ行き、新しいスカーフを巻いてきて一曲歌い、またそれを女性ファンに投げる。それを繰り返していた。エルヴィスは白いジャンプスーツの胸を大きく開け、肌を見せていた。
「肌着を着ていない!」その日、タンスにあったランニングシャツをすべて捨て、以後、上の肌着を着なくなった。そのテレビ中継は、全世界で15億人以上が見たそうだ。

メンフィスのエルヴィスの自宅に、お墓参りにいったことがある。プライベート・ジェット機やピンクのオープンカーなどのほか、自宅のなかも見学した。自宅にはスカッシュのコートやトレーニングジムなど、いろいろな施設がこじんまりとそろっていた。外にある施設へ行けない大スターの孤独と、物騒な米国の社会事情が思われた。

エルヴィスの汗がついたスカーフにキャアキャア騒いで群がる年輩の婦人たちの姿が、ロックの魅力の核心である。「かっこいい」という感激は、ほかのすべてを消してしまう。
エルヴィスは、その権化だった。
(2018年1月8日)



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