1月7日は七種粥(ななくさがゆ)。なずな(ぺんぺん草)、すずな(かぶ)、すずしろ(大根)など春の七種をおかゆに入れて食べれば万病が防げるとのおまじないの日。この日は『橋のない川』の住井すゑ(すえ)が生まれた日(1902年)で、随筆家の白洲正子の誕生日でもある。
樺山正子は1910年、東京で生まれた。祖父は元薩摩藩士で海軍大将、伯爵になった人物。父親は鉄鋼会社や銀行の役員で、後に貴族院議員になった。正子は次女だった。
4歳のころから能を習っていたという正子は、14歳で米国留学。18歳のとき帰国した。
19歳のとき、白洲次郎と結婚。白洲正子となった。夫、白洲次郎は、戦後日本の復興の道筋をつけた首相、吉田茂の懐刀で、占領軍GHQの幹部と対等に議論して一歩も引かなかったと言われる伝説の人物である。
白洲正子は、官界・財界の大物である夫の家庭を守る妻におさまることを潔しとせず、自分で骨董屋をはじめたり、随筆を書いたりした。青山二郎や小林秀雄、梅原龍三郎などの文化人との親交もあつく、随筆でいくつかの文学賞を受賞した。
1998年12月、肺炎のため、入院していた東京の病院で没した。88歳だった。
白洲正子は、伯爵家の令嬢という上流階級の女性だけれど、薩摩藩士の血をひいているせいか、たおかやかな深窓の令嬢ではおよそない、活発なモダンガールだった。夫・次郎との若いころの写真を見ると、まるで「グレート・ギャッツビー」そのままの優雅さである。
白洲正子が骨董に入れ込んでいたころ、骨董品を前にして批評家の小林秀雄が、
「値段をつけてみろ」
と試験していじめたり、彼女が骨董屋の店を構えたとき、小林が店の品ぞろえを見て、
「特色のない店だな。やめちまえ」
と言ったそうだ。
小林秀雄という人は、男相手だと、飲んでからんで、相手が泣きだすまで責めつづけるというたちの悪いからみ酒だったらしいが、女相手だと急にやさしくなり、男性陣対女性陣の議論になると、かならず女性の側につくフェミニストでもあった。
その小林が、女性相手に真剣にものを言うというのは、骨董という彼の得意ジャンルに白洲正子が趣味以上に踏みこんできたからでもあろうが、小林が彼女をひとりの人間として認め、対等にものを言ったということのあかしである。
おそらく、小林秀雄のフェミニズムは、若いときに友人の中原中也から奪い取った長谷川泰子と同棲した挙げ句ついに逃げだした経験から、女性にはこりごりで、怖いからなるたけ女性とは距離をおき立ち入らないでおこうという構えだったろう。
小林秀雄の娘は、白洲正子の息子と結婚した。
白洲正子は、娘時代も晩年も、生涯ずっとかっこよかった女性である。それは、生まれや育ちがよいおかげでもあったが、本人に中身があった。
(2018年1月7日)
●おすすめの電子書籍!
『女性解放史人物事典 ──フェミニズムからヒューマニズムへ』(金原義明)
平易で楽しい「読むフェミニズム事典」。女性の選挙権の由来をさぐり、自由の未来を示す知的冒険。アン・ハッチンソン、メアリ・ウルストンクラフトからマドンナ、アンジェリーナ・ジョリーまで全五〇章。人物事項索引付き。フェミニズム研究の基礎図書。また女性史研究の可能性を見通す航海図。
●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com
樺山正子は1910年、東京で生まれた。祖父は元薩摩藩士で海軍大将、伯爵になった人物。父親は鉄鋼会社や銀行の役員で、後に貴族院議員になった。正子は次女だった。
4歳のころから能を習っていたという正子は、14歳で米国留学。18歳のとき帰国した。
19歳のとき、白洲次郎と結婚。白洲正子となった。夫、白洲次郎は、戦後日本の復興の道筋をつけた首相、吉田茂の懐刀で、占領軍GHQの幹部と対等に議論して一歩も引かなかったと言われる伝説の人物である。
白洲正子は、官界・財界の大物である夫の家庭を守る妻におさまることを潔しとせず、自分で骨董屋をはじめたり、随筆を書いたりした。青山二郎や小林秀雄、梅原龍三郎などの文化人との親交もあつく、随筆でいくつかの文学賞を受賞した。
1998年12月、肺炎のため、入院していた東京の病院で没した。88歳だった。
白洲正子は、伯爵家の令嬢という上流階級の女性だけれど、薩摩藩士の血をひいているせいか、たおかやかな深窓の令嬢ではおよそない、活発なモダンガールだった。夫・次郎との若いころの写真を見ると、まるで「グレート・ギャッツビー」そのままの優雅さである。
白洲正子が骨董に入れ込んでいたころ、骨董品を前にして批評家の小林秀雄が、
「値段をつけてみろ」
と試験していじめたり、彼女が骨董屋の店を構えたとき、小林が店の品ぞろえを見て、
「特色のない店だな。やめちまえ」
と言ったそうだ。
小林秀雄という人は、男相手だと、飲んでからんで、相手が泣きだすまで責めつづけるというたちの悪いからみ酒だったらしいが、女相手だと急にやさしくなり、男性陣対女性陣の議論になると、かならず女性の側につくフェミニストでもあった。
その小林が、女性相手に真剣にものを言うというのは、骨董という彼の得意ジャンルに白洲正子が趣味以上に踏みこんできたからでもあろうが、小林が彼女をひとりの人間として認め、対等にものを言ったということのあかしである。
おそらく、小林秀雄のフェミニズムは、若いときに友人の中原中也から奪い取った長谷川泰子と同棲した挙げ句ついに逃げだした経験から、女性にはこりごりで、怖いからなるたけ女性とは距離をおき立ち入らないでおこうという構えだったろう。
小林秀雄の娘は、白洲正子の息子と結婚した。
白洲正子は、娘時代も晩年も、生涯ずっとかっこよかった女性である。それは、生まれや育ちがよいおかげでもあったが、本人に中身があった。
(2018年1月7日)
●おすすめの電子書籍!
『女性解放史人物事典 ──フェミニズムからヒューマニズムへ』(金原義明)
平易で楽しい「読むフェミニズム事典」。女性の選挙権の由来をさぐり、自由の未来を示す知的冒険。アン・ハッチンソン、メアリ・ウルストンクラフトからマドンナ、アンジェリーナ・ジョリーまで全五〇章。人物事項索引付き。フェミニズム研究の基礎図書。また女性史研究の可能性を見通す航海図。
●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com