方向音痴であり、声がでかい我輩。。。
リズム感も音感も、ないけど声量だけには自信がある我輩。。。
回想3月11日
東日本大震災
同じ場所で避難してた女性の1人が電車が動きそうな駅があるという情報をGETしてきた。
そして駅まで歩いて向かうのに方向音痴の私も便乗させてくれたのが凄く嬉しかった。
彼女は駅までの地図もGET!勿論彼女は地図が読める。
うーが地図をGETしたとしても読むことすら難しかった。
その場で恩返しがしたかったのだ。
液状化された駅までの道のり。
地面や建物の所々に大地震の直後の真新しい爪痕が残ってた道のり。
歩いてる途中や駅でも余震。
そんな中見ず知らずその女性達の存在感が物凄く心強かった。
駅では
改札の入場規制がかけられ運よく一便だった。
通常よりもだいぶ遅い始発列車。
改札を入り駅のホーム
ホームでも長時間列車を待ったが入場規制の為ホームはさほど込み合ってはなかった。
突如
黒人の女性に声をかけられた。
日本人なのに、片言の日本語のうー。
日本人じゃないのに流暢な日本語を喋る彼女は大阪在住のスリランカ人で日本の大学に留学を経て日本で就職し同郷スリランカ人男性と結婚した既婚者女性だった。
彼女は、大阪に行こうとしてて新幹線のある駅の乗り換え方法を訪ねてきた。
直ぐ様調べ紙にローマ字とかで書き写して、うーなりにわかりやすいよーに説明したが・・・無事大阪行けたかな?。
何故か、日本人じゃない人に声をかけられることが多々ある。
嗚呼
期待に応えられるようバイリンガルになりたい。
制限規制のかかった満員電車。
一緒に避難した見ず知らぬ女性の方達に加え駅のホームで乗り換え方法を尋ねてきたスリランカ人の女性更には真ん前に乗ってた女性とかにも親切にして頂き恩返しする為に降りる駅を聞いて、各駅ごとに大きい声で「降りまぁす」と言ってスムーズに下車しやすくしてあげようと決めてた。
ありがとうの意味で小さな恩返しといったらその時は風邪で鼻声しかでなかったけど、持ち前の声量を生かすことだと思ったのだ。
本八幡・秋葉原etc...
下車する駅名を聞いて、1人でも多くの人が乗車できるよう普段は使わない荷物を置く棚に荷物を乗せ小さくなり頭の中では乗り過ごしにならぬよう駅名とかを復習。
本八幡とかとかお世話になった方々の下車駅ごとに発声。
そして半泣きでのお別れ。ホームと車内ごしにお互い「ありがとうございました」とサヨナラをその都度交わした。
メッセの外に避難した時の地震で思わずしゃがみ揺れがおさまるまでの間、無意識に見ず知らず叔父様の座ってた椅子につかまってた。
揺れがおさまり思わず「ごっごめんなさい」と謝ったら「全然良いんだよー」と快い反応だた。
他に席を譲ってくれよーとした人々。
声をかけてくれた人々。
沢山の人々。
一期一会みたいなもんなのかな。
駅や道で転んでもスルーされる少し冷たい世の中ってのは大きな誤解であって、本当は見ず知らずの人々同士であっても知人であってもそれぞれに今できることを行い助け合ってる世の中なんだよ。
一期一会
見ず知らず人々だけど恩人達。
もしいつか偶然再会できたらそれも運命だしその時には精一杯の感謝を伝えるよ。
ありがとうを面と向かって伝えるよ。
その時まで溢れんばかりの感謝の気持ちはブログに委ねるよ。
見ず知らずの人々への感謝の心を今はブログに委ねるよ。
今できることを精一杯☆彡
リズム感も音感も、ないけど声量だけには自信がある我輩。。。
回想3月11日
東日本大震災
同じ場所で避難してた女性の1人が電車が動きそうな駅があるという情報をGETしてきた。
そして駅まで歩いて向かうのに方向音痴の私も便乗させてくれたのが凄く嬉しかった。
彼女は駅までの地図もGET!勿論彼女は地図が読める。
うーが地図をGETしたとしても読むことすら難しかった。
その場で恩返しがしたかったのだ。
液状化された駅までの道のり。
地面や建物の所々に大地震の直後の真新しい爪痕が残ってた道のり。
歩いてる途中や駅でも余震。
そんな中見ず知らずその女性達の存在感が物凄く心強かった。
駅では
改札の入場規制がかけられ運よく一便だった。
通常よりもだいぶ遅い始発列車。
改札を入り駅のホーム
ホームでも長時間列車を待ったが入場規制の為ホームはさほど込み合ってはなかった。
突如
黒人の女性に声をかけられた。
日本人なのに、片言の日本語のうー。
日本人じゃないのに流暢な日本語を喋る彼女は大阪在住のスリランカ人で日本の大学に留学を経て日本で就職し同郷スリランカ人男性と結婚した既婚者女性だった。
彼女は、大阪に行こうとしてて新幹線のある駅の乗り換え方法を訪ねてきた。
直ぐ様調べ紙にローマ字とかで書き写して、うーなりにわかりやすいよーに説明したが・・・無事大阪行けたかな?。
何故か、日本人じゃない人に声をかけられることが多々ある。
嗚呼
期待に応えられるようバイリンガルになりたい。
制限規制のかかった満員電車。
一緒に避難した見ず知らぬ女性の方達に加え駅のホームで乗り換え方法を尋ねてきたスリランカ人の女性更には真ん前に乗ってた女性とかにも親切にして頂き恩返しする為に降りる駅を聞いて、各駅ごとに大きい声で「降りまぁす」と言ってスムーズに下車しやすくしてあげようと決めてた。
ありがとうの意味で小さな恩返しといったらその時は風邪で鼻声しかでなかったけど、持ち前の声量を生かすことだと思ったのだ。
本八幡・秋葉原etc...
下車する駅名を聞いて、1人でも多くの人が乗車できるよう普段は使わない荷物を置く棚に荷物を乗せ小さくなり頭の中では乗り過ごしにならぬよう駅名とかを復習。
本八幡とかとかお世話になった方々の下車駅ごとに発声。
そして半泣きでのお別れ。ホームと車内ごしにお互い「ありがとうございました」とサヨナラをその都度交わした。
メッセの外に避難した時の地震で思わずしゃがみ揺れがおさまるまでの間、無意識に見ず知らず叔父様の座ってた椅子につかまってた。
揺れがおさまり思わず「ごっごめんなさい」と謝ったら「全然良いんだよー」と快い反応だた。
他に席を譲ってくれよーとした人々。
声をかけてくれた人々。
沢山の人々。
一期一会みたいなもんなのかな。
駅や道で転んでもスルーされる少し冷たい世の中ってのは大きな誤解であって、本当は見ず知らずの人々同士であっても知人であってもそれぞれに今できることを行い助け合ってる世の中なんだよ。
一期一会
見ず知らず人々だけど恩人達。
もしいつか偶然再会できたらそれも運命だしその時には精一杯の感謝を伝えるよ。
ありがとうを面と向かって伝えるよ。
その時まで溢れんばかりの感謝の気持ちはブログに委ねるよ。
見ず知らずの人々への感謝の心を今はブログに委ねるよ。
今できることを精一杯☆彡