訃報
2010年11月26日
たんぼみせのおばぁさんが他界した。
たんぼみせとは、駄菓子屋さん?田舎の商店で『たんぼ』という屋号からたんぼ店と物心ついた頃から呼んでいる。
実は、遠い親戚。
近年は、シャッターが閉まってたけれど・・・子供時代の思い出が沢山詰まったお店。
子供時代は、うーの16歳上の叔母とよく間違えられた。
「◎美ちゃん」やら「○子ちゃん」とね。
うーにそっくりと言われる叔母の子供時代のお話や赤ちゃん時代に他界した亡き祖父母のお話含め様々な昔のお話をしてくれた。
アイスやお菓子を買うのも楽しみだったけど、おばぁさんとの会話も楽しみだった。
不謹慎かもしれないけれど初めて生理が来たとき恥ずかしさから親に数ヵ月隠してた私。
初めて来た時に、たんぼ店に生理用品を1人でこっそりこっそり「お母さんに頼まれて」なんて嘘をつきながら買いに行った思い出もある。
小中と義務教育時代は学校帰りによく買い食いをした、たんぼ店。
いつもいつでもおばぁさんがいて顔を合わせると色々なお話をしてくれて。
レジじゃなくて大きくて年季の入った算盤を扱いお会計してくれて。
本当に温かい人でした。
数年前に他界した、せきちゃんみたく自分にとってはまるで自分の祖母のような存在の1人でした。
※アーガイブ参照
http://blog.goo.ne.jp/panco1027/e/b585750b11e9ec8517805a211407aa99/?ymd=200905&st=0&guid=ON
気付けば
95歳という長寿でした。
葬儀とかに参列する立場じゃないと思ったけど、せめて何かありがとうを伝えたくて・・・訃報を聞いた時、自ら何かお手伝いさせて頂きたい気持ちを親に志願した。
そして同じ組ということで、組の人々でのお手伝いに行ってきた。
近所の人々で葬儀に参列される方々への接待?
以前ブログに綴った事もあるけれど、田舎特有のことみたいで『おばんし』とも言う。
割烹着着て台所等で葬儀のお手伝いに行くことは、今までに何度かあるが何度か体験しても未熟者です。。。
訃報の知らせから葬儀と自分自身が他用等で忙しかったせいか、何なのか涙は出ない。
でもどこか物凄く悲しくて・・・
涙が出ない分?故人に対する「ありがとう」や「お世話になりました」とか色々な思いを精一杯込めて見よう見まねでお手伝いさせて頂き供養しました。
故人の御家族御親族は故人同様の温かさを持つ方々ばかりで、特に故人のお孫さんには子供の頃に可愛がって貰った。
今回は曾孫にあたるお孫さんの子供達ともふれあい・・・親から子へじゃないけれど不思議な繋がりを感じた。
勝手にエピソードを綴れば小学生の曾孫さん達から「何歳?」と聞かれ「何歳だと思う?」と聞き返したら19歳やら22歳やら25歳と言われ何故か嬉しくて浮かれて正解が言い出せなかった三十路娘・・・。
子供時代からタイムスリップして三十路の自分がいるような・・・
10何年ぶりに再会したら子供が大人に変身してたような・・・
うまく言葉にできないけど・・・
時空を越えて現代に来たような・・・
浦島太郎のような・・・
何だか
何だか
子供の頃に当たり前のように、たんぼ店でおばぁさんとふれあってた記憶が物凄く鮮明で・・・現代までの経過が薄く今に至り不思議な気持ちだ。
どんな形の繋がりであろうと、その時代時代にふれあった思い出がその時代時代に詰まってて。
たんぼ店のおばぁさんは、今は大人となった多くの地元で育った人々に美味しいオヤツと沢山の元気を与えてきた偉大な存在だと思う。
近所で育った人々の子供時代の記憶の1つには必ず存在するであろう偉大な人物なのだ。
もしかしたら、こぉした形でブログを綴ること事態が不謹慎なことかもわかりませんが・・・
大好きだった偉大な故人への思いと今を刻みたい。
たんぼ店のおばぁさんには本当大変お世話になりました。
だから心からありがとうを。
そして、御冥福を御祈り申し上げます。
2010年11月26日
たんぼみせのおばぁさんが他界した。
たんぼみせとは、駄菓子屋さん?田舎の商店で『たんぼ』という屋号からたんぼ店と物心ついた頃から呼んでいる。
実は、遠い親戚。
近年は、シャッターが閉まってたけれど・・・子供時代の思い出が沢山詰まったお店。
子供時代は、うーの16歳上の叔母とよく間違えられた。
「◎美ちゃん」やら「○子ちゃん」とね。
うーにそっくりと言われる叔母の子供時代のお話や赤ちゃん時代に他界した亡き祖父母のお話含め様々な昔のお話をしてくれた。
アイスやお菓子を買うのも楽しみだったけど、おばぁさんとの会話も楽しみだった。
不謹慎かもしれないけれど初めて生理が来たとき恥ずかしさから親に数ヵ月隠してた私。
初めて来た時に、たんぼ店に生理用品を1人でこっそりこっそり「お母さんに頼まれて」なんて嘘をつきながら買いに行った思い出もある。
小中と義務教育時代は学校帰りによく買い食いをした、たんぼ店。
いつもいつでもおばぁさんがいて顔を合わせると色々なお話をしてくれて。
レジじゃなくて大きくて年季の入った算盤を扱いお会計してくれて。
本当に温かい人でした。
数年前に他界した、せきちゃんみたく自分にとってはまるで自分の祖母のような存在の1人でした。
※アーガイブ参照
http://blog.goo.ne.jp/panco1027/e/b585750b11e9ec8517805a211407aa99/?ymd=200905&st=0&guid=ON
気付けば
95歳という長寿でした。
葬儀とかに参列する立場じゃないと思ったけど、せめて何かありがとうを伝えたくて・・・訃報を聞いた時、自ら何かお手伝いさせて頂きたい気持ちを親に志願した。
そして同じ組ということで、組の人々でのお手伝いに行ってきた。
近所の人々で葬儀に参列される方々への接待?
以前ブログに綴った事もあるけれど、田舎特有のことみたいで『おばんし』とも言う。
割烹着着て台所等で葬儀のお手伝いに行くことは、今までに何度かあるが何度か体験しても未熟者です。。。
訃報の知らせから葬儀と自分自身が他用等で忙しかったせいか、何なのか涙は出ない。
でもどこか物凄く悲しくて・・・
涙が出ない分?故人に対する「ありがとう」や「お世話になりました」とか色々な思いを精一杯込めて見よう見まねでお手伝いさせて頂き供養しました。
故人の御家族御親族は故人同様の温かさを持つ方々ばかりで、特に故人のお孫さんには子供の頃に可愛がって貰った。
今回は曾孫にあたるお孫さんの子供達ともふれあい・・・親から子へじゃないけれど不思議な繋がりを感じた。
勝手にエピソードを綴れば小学生の曾孫さん達から「何歳?」と聞かれ「何歳だと思う?」と聞き返したら19歳やら22歳やら25歳と言われ何故か嬉しくて浮かれて正解が言い出せなかった三十路娘・・・。
子供時代からタイムスリップして三十路の自分がいるような・・・
10何年ぶりに再会したら子供が大人に変身してたような・・・
うまく言葉にできないけど・・・
時空を越えて現代に来たような・・・
浦島太郎のような・・・
何だか
何だか
子供の頃に当たり前のように、たんぼ店でおばぁさんとふれあってた記憶が物凄く鮮明で・・・現代までの経過が薄く今に至り不思議な気持ちだ。
どんな形の繋がりであろうと、その時代時代にふれあった思い出がその時代時代に詰まってて。
たんぼ店のおばぁさんは、今は大人となった多くの地元で育った人々に美味しいオヤツと沢山の元気を与えてきた偉大な存在だと思う。
近所で育った人々の子供時代の記憶の1つには必ず存在するであろう偉大な人物なのだ。
もしかしたら、こぉした形でブログを綴ること事態が不謹慎なことかもわかりませんが・・・
大好きだった偉大な故人への思いと今を刻みたい。
たんぼ店のおばぁさんには本当大変お世話になりました。
だから心からありがとうを。
そして、御冥福を御祈り申し上げます。