残書
うーは、何も考えてないよぉに見えて
様々な事を考えてる。
見た目同様に
何も考えてない時は
本当に何も考えてない時もある。
考えて
考えて
疑問でも回答でも何でも
書いてる。
読書は苦手。
単行本も
漫画も
人生で読み終えた本を簡単に数えられる数しかない。
あっ読破した本というのね。
でも好奇心旺盛で
借りたり買ったりした本は数えられない位あるし、部分的に読んで沢山の刺激を頂戴してるから部分的しか読んでなくても読書苦手なウーにとっては読破するほどの価値になる。
嘘をつくのは苦手だから読破になってない本は簡単に「あの本私も読破した」なんて便乗はできない。
ちなみに最近の愛読書は、ブログ。
mixiや友達のブログとかとか。
名前を出すならば
都内で出逢った友達の長谷川杏里の『あんりのまいにち』はイチオシのブログ。
その他イベコン友達や芸能人ブログやプロ野球選手のブログを愛読。
岩瀬敬吾・芸人しずるの二人に加えフルーツポンチ亘のブログ
もちろん!阪神タイガース赤星やオリックス濱中のブログも愛読してる。
(携帯電話
復活しまひた。
書き置きした
ブログを更新します。
うーです。)
読書は苦手だけど
書くのは好き。
絵を描いたり
文章を書くことは
ウーにとって
堂々と言える
ストレス解消法だ。
今ではストレス解消法と言ってるけど
ストレスという言葉を知らない時代から書いてる。
昔から書き溜めた
スケッチブックやノートの数々は何十冊になるのだろうか・・・。
ペンでシミを作ってしまったシーツはウーのシーツ。
勉強嫌いだったんに枕元で文章を書き寝る。ペンを持ったまま眠ったことも数えられないほどある。
毎日の日課は、歯磨きとかいくつかあるけれど
今の大きな日課の1つに
日記がある。
日記はいつも中途半端ぽかったりだけど
今では大切な日課の1つ。
日記というよりポエムに近くなったりしてきてるけどね。
ツライ時をリアルタイムで赤裸々に綴ってる文章だって決して捨てない。
絶対残す。
その残すことでの大きなメリットは
過去の自分に励まして貰う為。
ツライて思った時に読み返してみれば
「この時代は今よりもっと大変だったんだ。でも
今の自分があるということは
その過去を乗り越えてきた証」
「あの時は今の何倍もの苦しさを乗り越えられたのだから」
過去の自分から今の自分への御手紙が如く
勇気づけられる時もある。
思い返し苦しくなるのでなく
思い返し元気になるよぉな感じといった大きなメリットがあるのだ。
愉しかった時代の文を読み返せば
「あの時代に戻りたい」なんて思ってみたり「やっぱり今も愉しいな」とも思い
素直に愉しい気持ちを奮い起たして貰える。
書き残し続け
『いつか自分と同じよぉな出来事を体験した人に乗り越えるヒントを与えたい』
『いつか』
『いつか』
(うっかり携帯電話の料金を払い忘れ停められた。
うっかりが多い自分。
毎度連絡くれる方には申し訳ないです。
本当。
更に
うっかり多く
返信や折りTel忘れたり
本当申し訳ない。
現代人ぽくないウーはメール打つのも遅かったり
返信遅かったりたり。
今は実家暮らしだから部屋に置き忘れが多かったりと。
でもでも
メールや電話は本当の本当に嬉しいし
必ず読んでるし
心に届いてる。
だから気軽にプリーズプリーズうー。
携帯電話復活した。
でも不良品なウー携帯は未だ交換に行ってなくて調子が悪い)
(携帯電話使えないと寂しいさ不安になる。
そんな時久々にコンポの電源を入れ音楽鑑賞した。
部屋にあるテープとMDを鑑賞した。
ミスチルのカインドオブラブというアルバムを聴きながら感じた。
この歌を聴いてた時代は携帯電話なんてなかったんだ
携帯電話ない時代でも人々は成立してた。
携帯電話ない時代でも人間関係や恋愛は成立してたんだ。
歌詞を中心に音楽鑑賞は御無沙汰しつつも昔から大好きと実感。
曲には古いも新しいもない。
でも懐かしい気持ちはある)
残書
すぐ満タンになる
心のタンクを
文字として
形として
どんどん消費してって
いつか
未来の自分と
未来に生きる人々の為に生かすこと。
残書
それは
目に見えない
心の中を
形にして
目に見える心の
音なのだ。
うーは、何も考えてないよぉに見えて
様々な事を考えてる。
見た目同様に
何も考えてない時は
本当に何も考えてない時もある。
考えて
考えて
疑問でも回答でも何でも
書いてる。
読書は苦手。
単行本も
漫画も
人生で読み終えた本を簡単に数えられる数しかない。
あっ読破した本というのね。
でも好奇心旺盛で
借りたり買ったりした本は数えられない位あるし、部分的に読んで沢山の刺激を頂戴してるから部分的しか読んでなくても読書苦手なウーにとっては読破するほどの価値になる。
嘘をつくのは苦手だから読破になってない本は簡単に「あの本私も読破した」なんて便乗はできない。
ちなみに最近の愛読書は、ブログ。
mixiや友達のブログとかとか。
名前を出すならば
都内で出逢った友達の長谷川杏里の『あんりのまいにち』はイチオシのブログ。
その他イベコン友達や芸能人ブログやプロ野球選手のブログを愛読。
岩瀬敬吾・芸人しずるの二人に加えフルーツポンチ亘のブログ
もちろん!阪神タイガース赤星やオリックス濱中のブログも愛読してる。
(携帯電話
復活しまひた。
書き置きした
ブログを更新します。
うーです。)
読書は苦手だけど
書くのは好き。
絵を描いたり
文章を書くことは
ウーにとって
堂々と言える
ストレス解消法だ。
今ではストレス解消法と言ってるけど
ストレスという言葉を知らない時代から書いてる。
昔から書き溜めた
スケッチブックやノートの数々は何十冊になるのだろうか・・・。
ペンでシミを作ってしまったシーツはウーのシーツ。
勉強嫌いだったんに枕元で文章を書き寝る。ペンを持ったまま眠ったことも数えられないほどある。
毎日の日課は、歯磨きとかいくつかあるけれど
今の大きな日課の1つに
日記がある。
日記はいつも中途半端ぽかったりだけど
今では大切な日課の1つ。
日記というよりポエムに近くなったりしてきてるけどね。
ツライ時をリアルタイムで赤裸々に綴ってる文章だって決して捨てない。
絶対残す。
その残すことでの大きなメリットは
過去の自分に励まして貰う為。
ツライて思った時に読み返してみれば
「この時代は今よりもっと大変だったんだ。でも
今の自分があるということは
その過去を乗り越えてきた証」
「あの時は今の何倍もの苦しさを乗り越えられたのだから」
過去の自分から今の自分への御手紙が如く
勇気づけられる時もある。
思い返し苦しくなるのでなく
思い返し元気になるよぉな感じといった大きなメリットがあるのだ。
愉しかった時代の文を読み返せば
「あの時代に戻りたい」なんて思ってみたり「やっぱり今も愉しいな」とも思い
素直に愉しい気持ちを奮い起たして貰える。
書き残し続け
『いつか自分と同じよぉな出来事を体験した人に乗り越えるヒントを与えたい』
『いつか』
『いつか』
(うっかり携帯電話の料金を払い忘れ停められた。
うっかりが多い自分。
毎度連絡くれる方には申し訳ないです。
本当。
更に
うっかり多く
返信や折りTel忘れたり
本当申し訳ない。
現代人ぽくないウーはメール打つのも遅かったり
返信遅かったりたり。
今は実家暮らしだから部屋に置き忘れが多かったりと。
でもでも
メールや電話は本当の本当に嬉しいし
必ず読んでるし
心に届いてる。
だから気軽にプリーズプリーズうー。
携帯電話復活した。
でも不良品なウー携帯は未だ交換に行ってなくて調子が悪い)
(携帯電話使えないと寂しいさ不安になる。
そんな時久々にコンポの電源を入れ音楽鑑賞した。
部屋にあるテープとMDを鑑賞した。
ミスチルのカインドオブラブというアルバムを聴きながら感じた。
この歌を聴いてた時代は携帯電話なんてなかったんだ
携帯電話ない時代でも人々は成立してた。
携帯電話ない時代でも人間関係や恋愛は成立してたんだ。
歌詞を中心に音楽鑑賞は御無沙汰しつつも昔から大好きと実感。
曲には古いも新しいもない。
でも懐かしい気持ちはある)
残書
すぐ満タンになる
心のタンクを
文字として
形として
どんどん消費してって
いつか
未来の自分と
未来に生きる人々の為に生かすこと。
残書
それは
目に見えない
心の中を
形にして
目に見える心の
音なのだ。