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人生相談

2020年02月22日 | 俳句

 去年から今年にかけて目覚めたものがある。

 登山と人生相談である。

 随分かけ離れた二つである。登山。登山については今更言うまでもない。道具を揃え、計画を練り、リュックに荷物を詰める。当日朝早くに登り始め、山の斜面に息を切らし、木漏れ日を仰ぎ、ついに頂上を制覇するとすぐさまコンロで火を沸かし、お握りにかぶりつきながらラーメンを啜る。ひと息ついたら、ようやく広大な景色に目を細める。その全過程が楽しい。

 一方で人生相談である。人生相談とはもちろん、AMラジオで午前11時過ぎ、しっとりしたBGMとともに始まるあの人生相談である。五十代の知人がすでにはまっている。九十を過ぎた同居する義母も毎日欠かさず聞いている。四十代の自分にはまだ早いかと半信半疑でラジオを付けてみたが、これが想像以上に面白い。日々その時間に合せて他の用事を済ませるまでになった。

 他人の不幸は蜜の味とはよく言ったものだが、現実に悩みを抱えた人が現実の声で相談してくる内容は、陳腐なドラマよりよほどよくできた物語である。電話をかけてくる相談者が、思い切りと覚悟をもって(当たり前だ。ラジオで放送されるのだから)臨んでいるのが、言葉の端々に伝わる。回答者はスナックの片隅でずばずば人生を切り取る常連のように、相談者の甘い見込みを撫で切りにする。ときとして相談者の質問内容とズレた回答をしている気がすることもあるが、むしろ相談者の狭い思考を意図してズラし、揺さぶることが、人生相談には必要なのだということを思い知らされる。「妻は帰ってくるでしょうか」「あんた、奥さんが帰ってきたら幸せが戻るの?」という具合である。

 それにしても、ラジオの人生相談に耳を傾けるなんて、自分も歳を取ったものだと思う。人生についていろいろ経験を積んだからだろうか。大して経験を積まないまま人生を過ごしてきたからだろうか。聞きながら大笑いすることもあるが、ひょっとしてどこかで、自分の人生についても相談したい、という欲求があるのではなかろうか。もし自分が相談するとしたら─────時間の余裕を十分与えられるなら、一番相談したいことは何か。

 自分の人生を全て相手に語り尽くした後で、聞いてみたい。いつどの時点で、何をどうすればよかったですか。もし私の生き方が間違っているとしたら、一体どこで間違えましたか。

 それを聞いてどうする、と言われたら、確かにどうすることもできない。ただ、ああそうか、自分の人生はあの時ああすれば、もっとこうなっていたんだ、という理解を深めた上で、残りの生涯をやっぱり現状のまま粛々と生きていくことになるのだろう。それが幸せなことなのかどうかもわからぬまま。

 まだしばらくは、ラジオで聞く側にいていいのだろう。

 午前中にてきぱきと仕事をこなし、ラジオの人生相談を謹聴して、それから早めの昼食の準備に取り掛かる。これが、自営業の自分に許された至福のコースである。

 これでいいのですか、と、相談したい。

 


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