夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

晩秋 中村岳陵筆

2024-07-12 00:01:00 | 日本画
当方で蒐集している作品において絵画では掛け軸と額装された作品になるのですが、保管するにあたっては基本は大きさ別として、その大きさのよって作者別に整理しています。作者を優先して整理すると大きさがかなり違う作品を同じ棚に置くようになるのでスペース的にはかなりロスになるので、最初に大きさ別になります。掛軸だけで長さ別には小、中、大、特大の専用の棚が必要となりました。

下記写真の中央のように、作品を箱やタトウから出し入れする机のようなものが必ず必要となりますね。



どの棚もほとんど満杯になってきて、棚から溢れてきていますので、整理されてきた作品は男の隠れ家の所蔵スペースに送っています。掛軸だけで1800作品、額装の作品で500作品程度になります。他に陶磁器や彫刻、漆器類となると総数3700作品ほどになります。



さて本日は中村岳陵の作品の紹介です。



晩秋 中村岳陵筆
中村渓男鑑定シール 絹本水着色額装 黄袋+タトウ
M10号 全体サイズ:縦695*横495 画サイズ:縦530*横333



題材は四条派風ですが、近世西欧絵画の描法を取り入れて、卓抜した描線と清明な色彩を活かした作品を作り出した中村岳陵の真骨頂か?



意外にも中村岳陵は15歳の頃の1904年からは土佐派の川辺御楯に師事し、同年の日本美術協会展では「名和長年船上山に登るの図」が入選して画壇デビューしており、翌年には御楯の別号である「花陵」より一字を譲り受けた画号「岳陵」を名乗っています。しかし同年御楯は死去、その後は師の高弟の下で玄関番として修行するも長くは続かず、再び姉の嫁ぎ先に身を寄せています。



1908年(明治41年)に東京美術学校日本画科・選科に入学、寺崎広業、結城素明に学び、横山大観の知遇を得ています。この一方で紅児会に入会したが、このことが、それまでもっぱら土佐派の画風を踏襲した武者絵を描いていた岳陵を西欧絵画に触れされることとなり、のちの画風に大きく影響しています。

ながらく川辺御楯の門下になっていたら、近世西欧絵画の描法に基づいた中村岳陵風の作品は誕生していなかったでしょう。



東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科を首席で卒業しており、中村岳陵の秀才ぶりがうかがえます。子息や孫にもその秀才ぶりが遺伝したのでしょうね。

東京美術学校卒業後も、平家物語を題材とした「輪廻物語」、源氏物語に取材した「浮舟」、同名の物語に拠った「竹取物語」、白居易の詩に取材した「貴妃賜浴」など、古典的題材に取材した作品を出品していますが、この一方では徐々に都会的風俗に因んだものやモダニズム的傾向の濃厚なものが目立ってきます。最終的には1962年に文化勲章を受章し、文化功労者 となっています。



落款に印章、さらには中村渓男の鑑定シールなどには違和感はありません。

 

真贋はともかく鑑定シールに記されている「渓男」は中村岳陵の長男である中村渓男のことでしょう。

中村渓男の略歴は他の作品説明にて記していますが、下記のとおりです。

******************************

中村渓男:(なかむら たにお)1921年 ~ 2001年。美術評論家。日本画家・中村岳陵の長男。息子の中村宗弘も日本画家。 神奈川県生まれ。本名は秀男。慶應義塾大学文学部史学科卒。美術史学会・美術評論家連盟所属。宇都宮文星短期大学教授、成田山書道美術館副館長。

******************************

さらに中村岳陵の作品の鑑定シールには「宗弘」という記載のものもあります。中村 宗弘は中村渓男の子息で、中村岳陵の孫にあたります。父と同じく慶應義塾大学に入学し、文学部東洋史学科を卒業しています。美術評論家・文化勲章を受章した日本画家であった祖父・中村岳陵に絵を習い、のちに東山魁夷に師事しています。



上記写真は展示室に飾った状況です。


















最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。