夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

双鯉図 伝土方稲嶺筆

2017-07-25 00:01:00 | 掛け軸
家内が「そういえば茶室に花が欲しいと言っていたわね?」と植木鋏を片手に庭にでてきました。庭に咲いたヤマユリ、以前に生けた百合はテッポウユリ・・。



美人画を前に生けて、茶室の前の縁側で洗濯物を干しながら「わたしにそっくりね」だと・・・。息子と二人で「どっち? 誰だって?」



もとから置いていた永楽和全の花入をこちらの黒高麗に変えてしまったようです。どうもこちらのほうがお気に入りのようで、女性の好みは相変わらず良く解らない



さて小生が永年欲しくても入手できない画家の作品が幾つかあります。著名な画家ではないのですが、なかなか市場には出回らず、インターネットオークションでもアラートしていますが、いざ出品されると手の出ない高値になります。たとえば片山楊谷、不染鉄、白井烟嵓ら・・、普段は馴染みのない画家なのですが、不染鉄は先日の日曜美術館で紹介されていましたのでご存知の方がいるかもしれませんね。東京駅ステーションギャラリーで展覧会を催しているようです。

そして本日紹介する「土方稲嶺」の画家もその一人です。

双鯉図 伝土方稲嶺筆
紙本水墨軸装 軸先 合箱入
全体サイズ:縦1240*横335 画サイズ:縦430*横545



こちらの展示室にヤマユリを移動、「こちらがそっくり・・」と一人で納得・・

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土方稲嶺:(ひじかた とうれい)享保20年(1735年)または寛保元年(1741年) ~文化4年3月24日(1807年5月1日))。江戸時代中期から後期の絵師。因幡出身。名は廣邦、のち廣輔。字は子直。号は臥虎軒、虎睡軒。稲嶺の号は、地元の名所稲葉山に因んだと言う。



鳥取藩で、代々首席家老を務める倉吉荒尾家の家臣・土方弥右衛門の次男として生まれる。一時、後藤家に養子に入ったという。

稲嶺も先祖同様、荒尾小八郎に仕えていたが、故あって職を辞した。江戸で南蘋派の宋紫石に学び、その画風に心酔する。その後、天明初年には京都に移り、栗田宮家に仕えて画道に精進した。



寛政7年(1795年)には、宋紫石の竹画碑がある北野天満宮境内に、自身も同様の竹画碑を建立しており、紫石への敬愛の深さを見て取れる。円山応挙や谷文晁と親交があった。当時京都画壇の中心にあった円山応挙に入門を申し入れた所、その腕前に驚いた応挙が入門を拒んだという逸話も残っている。ただし、根拠は不明だが『古画備考』土方稲嶺の項目では、「応挙門人」と記されている。



寛政10年(1798年)57歳のときに、鳥取藩主池田斉邦の御用絵師として召し抱えられて、再び故郷に戻る。その際、藩主と同じ字を使うのを憚って、廣輔と名を改めた。

寛政12年(1800年)には江戸詰めを命じられたという。文化4年3月24日死去。没年齢は67歳、73歳の二説ある。人物、山水、花鳥、虫魚いずれも優れ、鯉画が特に巧みであった。



南蘋派の絵師の中には、京都に出ると蠣崎波響のように円山・四条派へ転向する者もあったが、稲嶺は基本的に南蘋画風を守りつつも、円山・四条派の大画面構成法を学び取っていった。そのためか、宋紫石門下では珍しく障壁画や屏風絵の大作を多く残しており、雑華院(妙心寺塔頭)の襖絵「柳鴛図」「竹林七賢図」「波図」「孔雀図」14面、春光院(妙心寺塔頭)の襖絵「波図」「松図」8面、大法院(妙心寺塔頭)襖絵「叭々鳥図」8面、兵庫県養父市の祐徳寺「虎渓三笑図」襖4面[2]、和歌山県由良町の興国寺襖絵38面などが挙げられる。



反面、細密描写は紫石や波響らに比べると一歩劣り、むしろ奔放でやや荒っぽい筆致に持ち味がある。稲嶺の門人は大変多く、因幡画壇の祖と呼ばれている。生前はそれなりに画名が高かったようであるが、今日稲嶺のことを知るには『因伯紀要』『鳥取県郷土史』などの地方史に拠らねばならず、彼の画名が中央より鳥取の地で残されていることを物語る。

土方稲琳は稲嶺の子。高弟に黒田稲皐がいる。

黒田稲皐:特に鯉の絵にすぐれ、「鯉の稲皐」と呼ばれた。本作品で納得できない方のために写りは悪いですが下記の作品を紹介します。



稲嶺は病の床で稲皐を枕元に呼び寄せ、「我が門流中、相当の技量ある者のみ、画号に稲字を冠せしめよ」と語ったとされ(『鳥取藩史』)、師の信頼が厚かったのを見て取れる。

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印影が明確ではありませんが、「廣輔」と思われることから 58歳以降の晩年の作と思われます。



下側にある他の印は判読できません。所蔵印?
 


土方稲嶺の作品については2012年11月14日放映の「なんでも鑑定団」に下記の作品が出品されています。

  

前述のように江戸期において小生の蒐集目標としている画家に黒田稲皐、片山楊谷がいますが、これらの画家の作品は滅多にお目にかかれず、入手の機会があってもとても根強い人気があり値段が高く、今だにこの二人の作品については入手できていません。



風鎮には魚の鋼器の作品をぶら下げてみました。エアコンを入れる時期には掛け軸の振れ止めに風鎮は必需品ですが、普段は基本的に用いないほうがよいものです。



ヤマユリの花を展示してある花瓶に生けてみました。



結局は美人画の前の元の鞘に、もとい元の花瓶に生けておきました。

*「土方稲嶺」については当方の資料不足から本作品をまだ詳しく調べていませんので「伝」としております。







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