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先日陶磁器を主に保管している屋根裏に作品を入れようと長持ちの蓋を開けて閉めようしたら、ネジが緩んでいたのか蓋が崩壊・・・。慌てて自分で修理しました。
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100年以上前に作られた杉や桐で作られた長持ちが4棹あるのですが、下部に車輪を付け、鉄板で補強し、ストッパーを付けて収納用の箱につかっています。どうも満杯になったところに無理くり蓋を閉めようとしたのが、壊れた原因らしい。
修理したついでに木目がきれいに出るように磨いておきました。
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このような木目の美しいものはリサイクルでないともうないでしょうね。実家が材木を扱う商売であったせいでしょうか、あらためてみてみると木目のあるものが身の回りには多いですね。
展示用の棚の天板や扉は屋久杉や秋田杉・・・。
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厨子も基本的には木目調・・。
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さて本日の作品紹介ですが、「梅月想思図(羅浮仙)」という作品の紹介です。
前の記事で紹介したように、平福穂庵の作品と同構図の作品の寺崎廣業の作品を2点所蔵しており、仮題として同じ題名としております。なお箱書には「梅花唐美人図」となっています。
梅月想思図(羅浮仙) 平福穂庵筆 明治21年(1888年)
その46(第4期の5作品目)
紙本水墨着色軸装 軸先象牙 鳥谷幡山鑑定箱(昭和12年)
全体サイズ:横663*縦2170 画サイズ:横517*縦1285
*分類第4期:さらなる飛躍の時(明治18年~23年)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/90/95360308673c3e819e224c55700b5c92.jpg)
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落款には「戌子(1988年 明治21年)冬日於□雪楼上 穂庵寫 押印(朱文白方印「穂菴之印」)と記されている。亡くなる2年前の46歳の作となります。この時期は当方で参考にしている資料では平福穂庵の制作時期の第4期にあたり、当方ではその時期の5作品目の作品となります。
画題としては「羅浮仙」を題材にした作品であろうと推定しており、前述のように、当方では本作品の題名は同じような構図の寺崎廣業の作品に倣ったものとしています。平福穂庵の門を叩いたことのある寺崎廣業は、この作品に倣って下記の作品を描いた可能性もあります。
梅月想思図 その1 寺崎廣業筆(下写真右)
水墨着色絹本軸装 軸先象牙 二重箱共箱
全体サイズ:横558*縦2030 画サイズ:横420*縦1210
梅月想思図 その2 寺崎廣業筆 大正4年(1915年)頃(下写真左)
水墨着色絹本軸装 軸先象牙 二重箱共箱
全体サイズ:横547*縦2030 画サイズ:横414*縦1200
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寺崎廣業は1888年(明治21年)春、23歳の時に、画家への志やまず、東京小石川で薬屋を営んでいた異父弟の信庸のすすめで上京しており、その際に平福穂庵、ついで菅原白龍の門をたたいています。寺崎廣業は4か月でまた放浪の旅に出ますが、穂庵のくれた三つの印形を懐中にしていたそうです。
その後に足尾銅山に赴いて阿仁鉱山で知りあった守田兵蔵と再会し、紹介されて日光大野屋旅館に寄寓し寺崎廣業はまもなく美人画で名を挙げます。
さらに1年半で帰郷し、「平福穂庵」の世話で東陽堂の「絵画叢誌」で挿絵の仕事をし、ここで諸派名画を模写し広業の総合的画法の基礎を築いたとされます。つまりこの時期の寺崎廣業は平福穂庵と大きく関わっているのです。この頃にこの作品を寺崎廣業が見ていた可能性もありますね。
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「梅に唐美人」というと「羅浮(羅浮山)」を思い浮かべますね。
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羅浮(羅浮山):中国、広東省広州市の東、増城・博羅の県界にある山の名。東海からただよってきた浮山が、羅山と合体してできたと伝えられています。山麓は梅の名所で、隋の趙師雄がここで、夢に梅の精である美人に会ったという、柳宗元の『龍城録』「趙師雄酔憩梅花下」に見える故事で知られています。
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古来より多くの画家が描いてきた画題であり、菱田春草、小林古径、横山大観、そして寺崎廣業もまた同題の別な作品があります。
*本ブログの寺崎廣業の「梅月想思図」のブログを参考にしてください。
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表具には素晴らしい刺繡の表具材を用いています。また本作品には鳥谷幡山が鑑定箱書きしていますが、これは珍しいことではありません。
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作品の落款と鑑定箱書の共に年季が記されている貴重な作品ですね。さらにこの作品に押印されている朱文白方印「穂菴之印」は今まで見たことのない印章です。寺崎廣業との関連や、印章の新発見を含めて貴重な作品かもしれません。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/20/66069e1534d46672c4f03cf77e000602.jpg)
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表具も上等、時代のわりに状態のよい作品です。