本日紹介するのは、置き式の昭和の頃の色紙額が面白いので入手した作品です。額に収められている作品の真偽は正直なところ解りません。
氏素性の解らぬ作品
鏡(娘12か月のうち11月) 色紙 伝中原淳一画 その2
紙本着色 色紙 タトウ
置式額サイズ:縦350*横320 画サイズ:縦270*横240
色紙の作品は「娘12か月」というシリーズの作品のひとつ(下記写真)のようです。昭和14年~15年にかけて制作された中原淳一の木版画の代表作のひとつで、1月から12月まで毎月1枚ずつ中原が描いた絵を限定判として版画にした作品が知られています。
この絵を題材とした肉筆の作品ですが、本人が描いたものかどうかなどは不明です。
この全シリーズの作品には下記の写真のような作品があったようです。
肉筆は相違ないのですが、模写の可能性が高いかもしれません。竹久夢二の作品もそうですが、この頃の人気シリーズ作品には多くの模写が存在しています。
中原淳一の来歴は下記のとおりです。
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中原淳一:(なかはら じゅんいち)1913年(大正2年)2月16日 ~ 1983年(昭和58年)4月19日)。画家、ファッションデザイナー、編集者、イラストレーター、人形作家。妻は宝塚歌劇団元男役トップスターの葦原邦子。長男は画家の中原洲一。姪はシャンソン歌手の中原美紗緒。孫は俳優・声優の加古臨王。
先祖は物部姓中原氏といわれています。 中原淳一は幼少の時より絵や造形に才能を示し、18歳の時、趣味で作ったフランス人形が認められて東京の百貨店で個展を開催。それがきっかけで雑誌『少女の友』の挿絵、口絵、表紙絵、付録等を手掛けるようになり、一世を風靡する人気画家となります。 竹久夢二に強い影響を受け、若い頃は神田神保町で夢二の本を買い集めたようです。
太平洋戦争後は、女性に夢と希望を与え、賢く美しい女性になってほしいとの理想に燃え、自分の雑誌『それいゆ』(1946年)や『ひまわり』(1947年)や『ジュニアそれいゆ』(1954年)、『女の部屋』(1970年)を相次いで創刊しています。
編集長として女性誌の基礎を作っただけでなく画家、ファッションデザイナー、スタイリスト、インテリアデザイナー、人形作家など多彩な才能を発揮し、その全ての分野において現代につながる先駆的な存在となっています。
しかしながら1958年(昭和33年)半ばより、中原自身が病に蝕まれるようになり、1983年に70歳にて逝去するまで療養と闘病を繰り返しながらの芸術家活動でした。
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*いずれにしても本作品は描き方がちょっと雑ですね。
2000年(平成12年)に山梨県河口湖に中原淳一美術館が開館していますが、残念ながら2005年に閉館となっています。
前述のように竹下夢二のシリーズものには摸写がやたら多いのですが、本作品が摸写なのか、本人の直筆なのかは不明ですね。
本作品の右下に押印されている印章は版画にはないもののようで、詳細は不明です。
以前に本ブログにて紹介した下記の作品も「娘12か月」からの作品のようです。
浮世絵やの娘 中原淳一画 その1
紙本着色軸装 軸先骨 誂箱
全体サイズ:縦1250*横320 画サイズ:縦358*横249
浮世絵やの娘」と名付けられた「娘12か月」のうち10月の作品ですね。本日紹介している「鏡」と同じシリーズです。
上記写真のようにこの作品の軸の裏面には共シールが張り付けられています。
当方では掛け軸や色紙の作品は調べた資料らを同封して保管しています。
収納に際しては画家別に整理するのが理想でしょうが、それではかなりスペースが必要となります。
当方では掛け軸では基本的に長さ別に保管場所を設け、そこでそれぞれ画家別に整理されています。
色紙類は色紙専用の保管箱に収納し、額は単体でタトウに入れて保管されています。色紙を入れる額は多種多様なものを用意するようにしています。
作品を探すのに便利なように工夫していますが、それでも探すのにひと苦労することがありますね。駄作ばかり集め過ぎたようでもはや数千点の作品数ですので・・。
本日は作品というよりも、色紙立ての紹介のつもり・・・。