八島湿原の奥に鎮座する旧御射山神社(もとみさやまじんじゃ)は諏訪大社下社の祭祀場だ
平安から元禄にかけてここで7月の5日間狩猟や弓の競技が行われたということで
階段状に削平された場所には寝泊りするためにススキで屋根を葺いた穂屋が作られたそうだ
さながらコロシアムのようだと形容されているが
こんな所で寝泊りしたら蚊やブヨに食われて大変だったろう
特に鎌倉時代は盛大だったようで
これは諏訪氏の武士化が着々と進み承久の乱で抜群の戦功をあげ
政治の中枢に関わるようになり諏訪明神が手厚く保護され
軍神としてのブランド力が高まったことに起因するようだ
ここで弓矢のテクニックが認められた者は
給料アップとか他家からのヘッドハンティングとかあったのだろうか?
時代が平和な元禄あたりになると武術の需要も低下して
弓術コンペも衰退してきたのだろ
しかしビーナスラインも無い時代に全国各地からここまで来るのは結構大変だったろう
平安から元禄にかけてここで7月の5日間狩猟や弓の競技が行われたということで
階段状に削平された場所には寝泊りするためにススキで屋根を葺いた穂屋が作られたそうだ
さながらコロシアムのようだと形容されているが
こんな所で寝泊りしたら蚊やブヨに食われて大変だったろう
特に鎌倉時代は盛大だったようで
これは諏訪氏の武士化が着々と進み承久の乱で抜群の戦功をあげ
政治の中枢に関わるようになり諏訪明神が手厚く保護され
軍神としてのブランド力が高まったことに起因するようだ
ここで弓矢のテクニックが認められた者は
給料アップとか他家からのヘッドハンティングとかあったのだろうか?
時代が平和な元禄あたりになると武術の需要も低下して
弓術コンペも衰退してきたのだろ
しかしビーナスラインも無い時代に全国各地からここまで来るのは結構大変だったろう