伊賀上野城は藤堂高虎によって5層の天守閣が作られたが
落成と同時に取り壊されたということである
もともと豊臣家の大名だっただけに家康か秀忠の当てこすりがあったのだろう
以上は司馬遼太郎の街道をゆくの一節
暴風で倒壊したとの説もあるがどっちだろう?
現在のは昭和の再建だけれどちゃんと木造だ
高さ日本一(堀の水面下から)と言われる石垣の端まで来ると身がすくむ
芭蕉の生家、高くて買えない伊賀焼きを売っている店をみて
伊賀街道をブラブラポタ
鍵の手の辻には東海道へ、京大阪への標柱が
旅先ではこんなさりげない風景がいい
落成と同時に取り壊されたということである
もともと豊臣家の大名だっただけに家康か秀忠の当てこすりがあったのだろう
以上は司馬遼太郎の街道をゆくの一節
暴風で倒壊したとの説もあるがどっちだろう?
現在のは昭和の再建だけれどちゃんと木造だ
高さ日本一(堀の水面下から)と言われる石垣の端まで来ると身がすくむ
芭蕉の生家、高くて買えない伊賀焼きを売っている店をみて
伊賀街道をブラブラポタ
鍵の手の辻には東海道へ、京大阪への標柱が
旅先ではこんなさりげない風景がいい