おせっちゃんの今日2

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アメリカ大寒波

2021-02-22 13:53:32 | ニュースから

皆さんは、ウミガメ2000匹が凍死から助けられて、広いホールに並べられている映像をご覧になりましたか。
私は映像だけは見ておりましたが、その詳しい事情は知りませんでした。
今日のお昼、「大下容子・ワイドスクランブル」で、詳しく取り上げておりました。

アメリカ、テキサス州の事件のようです。大寒波に襲われたのです。まず、その大寒波がなぜ襲ったのかの話。

南極上空では冷たい寒気が渦を巻いています。その渦の南側には偏西風が吹きまわっているのが通常です。その偏西風の帯で、寒気は遮られ、南には張り出さないのが普通なのだそうです。ところが地球温暖化の影響で、大気の流れが狂って、偏西風が大きく蛇行。南に下がってしまったところには南極の冷たい空気が下がってくるのです。この度はテキサス辺りに蛇行したのだそうです。

でもこの気象状況だけではこれほどの被害は起こらなかったと思われるのだそうです。「人災」面もあると伝えていました。10年前にも大寒波は襲っていたのだそうです。本当はその時からこういう非常事態に対しる備えをするべきだったのですがしていなかったことが大きな原因の一つ。

また、凍死者が出る事態になったことの原因の大きなことは、テキサス州全体の大停電が起こったためとのこと。テキサス州は、天然ガスなどが豊富なため、電力を自州だけで賄っていたのだそうです。他の州は東西二つのグループでいざというときはお互い助け合うことになっていましたが、テキサスは他との協力の体制ができていなかったのです。10年前には、政府に関与されることは煩わしいと、他州と同盟するよりは、手っ取り早くメキシコから電力を都合付けてもらったのだそうです。豊富な天然ガスを過信し、日頃の経費の節約の方を取っていたのだそうです。これが裏目に出てしまったのだということです。

東京に住み始めて町会の委員に引っ張り出されました。まだ若かったし、知り合いもできるかと引き受け、一昨年度まで25年を超えるほど長く委員を続けました。いろいろお世話していますと、現代人のなんと人付き合いを嫌う事かと思い知るのです。東京人になるとき、「都会暮らしは良いわよ。煩わしくなくて」といろんな人から言われました。隣近所でも、打ち解けておしゃべりするということはほとんどありません。家内に上がってもらうということなど皆無です。町会の当番をするのが嫌だから脱退します。特にメリットはないようですから入会しません。町会の行事など嫌です。こんな言葉の方が多いのです。

こうした地域全体の空気に加えて、プライバシー重視が叫ばれます。いざ災害があった時、お助けできるように弱者の方の名簿を作ろうとした会長さんがありましたが、そのお助けすべきお年寄りから、プライバシー侵害です、と言われてしまいました。

ごく小さなことですが、目先のわずらわしさを避けるため、いざという時、助けの手が差しのべてもらえないということにならなければいいのですが。「人を助けるのは人なんや」「人は知ってる相手は助けたいんや」という言葉をどこかで読んだことがあります。

 

 


老後の幸福度

2021-02-20 15:05:22 | 言葉

先日,冬薔薇 - おせっちゃんの今日2で『老後の幸せ度」は「おひとりさま」が最も高く、最低は、「おふたりさま」世帯。』という上野千鶴子氏の言葉を紹介しました。今日はこの言葉をもう一度取り上げます。

木曜日、パソコン教室での雑談会です。Kさんが最近新聞の書籍宣伝で、老後の生き方、子どもの学ぶべきことなどが箇条書きされているのが目につきました。パソコンのビラ製作の練習も兼ねて作ってみました、とビラをお見せになりました。その同じ新聞に坂東氏の言葉もあったと思い、皆さんに披露しました。

「う~ん、おひとりさまが幸福度が高く、おふたりさまは苦労するというのですか。そうかしら?」
「名言だと思うわ」
「そうかなあ?ひとりはさびしくない。? やはり揃って長生きが幸福ではないかしら」
いろいろな環境の人がいろいろ感想を漏らします。「名言だ」と言った私はなんだか愛情稀薄の人間のような気配になりました。

Kさんが一言。「言う人の年齢に由るんじゃあない」。連れ合いがいなくては寂しいと今言った方は、おせっちゃんより干支一回りお若いよねえ。12年後に同じ言葉に対する感想が同じとは限らないわよ」

そうなんです。夫婦ですから、長年の戦友として大事な人ではあります。でもこのところ切実に感じるのです。自分の体力、気力、知力、その他もろもろが日を追うごとに弱ってきているのです。サボりにさぼっても主婦仕事が苦になります。おふたりさまの片一方・夫は私より5歳年上です。昭和一桁です。家事その他は何もできないしない年代です。それでも定年後、風呂磨き、ゴミ出しは自分の仕事とやってくれていました。それがこのところ怪しくなってきました。もともとやらないで生きてきた年代です。もうできないと投げ出します。食べるものは固くて噛めないという、洗面所、トイレは汚し勝ち、置忘れのものはどこだどこだと探させる、一事が万事すべてを女房に投げ出します。生活全般を夫のことまで間違いがないように気にしなければなりません。

こちらも歳はとるばかりです。特に病を得てからは無理をすれば痛みが出てきます。独り生きることもだんだん苦労するようになってきます。最小限で済ませたいところが、かえって責任が多くなってくるのです。つくづく「一人だったら、今夜はお茶漬けで済ませるのに」と思うことが度々です。

Kさんのおっしゃることが身に沁み見ます。

 

 

 

 

 


打つか打たざるか・・・ワクチン

2021-02-19 14:57:24 | コロナウイルス

新型コロナウイルスへの決め手と期待されるワクチンの接種がいよいよ日本でも始まりました。まず、医療従事者からと言う順番は至極当然のことと思って、ニュースを見ています。
実際に接種を行う医者、看護婦、会場などの手配、場所の確保、その中での人の流れなどなど、問題点は数々のようです。中でも、肝心のワクチンの製造が間に合わず、世界各国が取り合いになりかねない状態にもなり、入ってくる数等がはっきりしないことも伝えられています。せっかく異例の速さで開発したワクチンです。公平に、スムーズに整然と進められればと期待しております。

先日、区民センター¥コミュニティー委員会が行われました。その会議が終わって一寸おしゃべりをしました。私たちの活動場所である区民センターが、世田谷区の接種場所に使用されるのだということです。「ああ、思ったより身近なところで行われるのだな」と安心の思いがしました。
その知らせを切っ掛けに自分のところに順番が回ってきたらあなたは打ちますか、ということがおしゃべりの話題となりました。

「さあ、いつ頃になるのでしょうかね。まだかなり後になりそうね」
「おせっちゃん、あなたは順番が来たらどうする?」
「はい、打ってもらえるものなら有難くしていただきますよ」
「そおお。私はちょっと不安、少し様子を見てからにするわ。ある時点まで先延ばし」
「うん、そういう考えの人が多いようだけれども、先行している国の統計からも、危険な副反応はごく少数のようですよ。それにワクチンが効果を発揮するのは、少なくとも全人口の60%・70%ほどの人が抗体を持つ集団免疫が成立しないといけないそうですよ。ごく少数おこる酷いアレルギーも、きちんと対処できるように準備すると言っているし、私はやります」
「う~ん、思い切りがいいね」
「極端に言うと、全て初めてのこと、多かれ少なかれ、言葉は悪いけれど、人体実験をしているようなところはあるでしょう。でも私はいいの。万万が一アナフラキシーで命を失っても、もう十分生きたのだし、最期に治験員の一人としてお役に立ててなら十分と考える」
「う~ん?」
「本当にもう十分生かしてもらいました。少々過激な言い方ですが、ここまで生きた私には、いかにうまく死んでいくかが残りの人生の大課題なのだから、こんなに安全と言っていて、おまけに難敵コロナに立ち向かえるワクチンをしない手はないと思います」

「あ、少々かっこよすぎる言い方かなあ。皆さんに決して無理強いするわけではありませんよ。一人一人が冷静に考えることでしょうから」


「いろはがるた」の思い出

2021-02-18 15:46:36 | 思い出

昨日、三人寄れば文殊の知恵ということわざを取り上げていて、連想はいろはがるたに移り、またその連想で三兄に飛びました。

子どもの玩具もない物不足の時代でしたが、我が家には「いろはがるた」と、立派な「百人一首」がありました。近所の子どもたちもやってきて、よく遊んだものでした。
ある時、「犬も歩けば棒に当たる」はどういう意味を含んでいるのだろうと一人が言い出しました。おなじみの取り札の絵(今の方にはおなじみではないかもしれませんが)大体の人が「ウロウロ用事もなく出歩いていると、痛い目に合うよ、という教えではないの」との意見でした。別の一人が言いました。「もう一通りの考えもあるって聞いたよ。この棒は幸運の棒で、せっせと出歩いていると、思いがけない幸運に行きあたるという意味らしいよ」と。

三兄が隣の部屋で聞いていました。この兄は、非常に、几帳面すぎるほど几帳面で、真面目な人でした。間違いを認めるわけにはいかないと、口をはさみました。幸運説を言った子が「でもそういう説があると聞いたもん。もう一つこんなのも聞いたよ」。

「情けは人の為ならず」。これは、困っている人がいたら、情け(優しい心)で助けてあげるのが人間だよ。その情けは回り回って自分のところに帰って来るんだよ。他人のためではないんだよ、という意味だというのが普通だけれど、近頃はこんな解釈もあるんだって。
困っている人がいても、情けをかけて助けてはいけないんだよ。その人のためにならないんだからね。困難に打ち勝つ強い気持ちを失くすからね。

その時の兄の顔、今でもはっきり覚えています。なんとも情けない、びっくり仰天の顔、エ~っ、そんな解釈??。反対したくても急には反論できないもどかしさ。日本人の情はどこに行った?・・・なんとも複雑な顔でした。

今から考えると、戦争に負けて、アメリカ文化がどっと入り込み、と同時に日本人が自信を失って、日本の良さを見失って、世の中がひっくり返っていた時代だったのかもしれません。今まで抑圧されて子供の意見など主張できにくかった世の中が、理屈をこねてもいい時代に変わってきていたのでしょう。目上の人から教えられたことを、几帳面に固く守っていた三兄にはついていけない社会の変わりようだったのかもしれません。

話はもう一つ飛んで、世の中変ったよね。「真面目」が必ずしもいいことではないと思うんだもの。「あいつ真面目~」というと、褒め言葉でなく、貶していることになるんだよ。

兄の顔がますます固くこわばりました。

 

 


仕事を邪魔すること

2021-02-17 14:38:52 | 言葉

今、お休みになっているけれども、朝日新聞の「折々のことば」のファンの一人です。1月31日にはこんな言葉が出ていました。多和田葉子氏(挿絵画家でいらっしゃるようです)の言葉。
「仕事にとって重要なのは、仕事を邪魔してくれる要素だと言う事」

解説を読んで見ると、氏は仕事をコンピューターでやるようになってから疲れやすくなった。筆を洗ったり、鉛筆を削ったりすることがないので、一息つく時間が取れない。友人の電話で中断されると嬉しくなるほど。隙の時間がないと仕事自体が酸欠になる、と。

また、少し古くなったけれども、8月12日には「三人寄れば文殊の知恵(ことわざ)」が取り上げられていました。
遠隔会議は効率的である。対面の会議より速やかに進行する。余談や、脱線がしにくいし、隣の人とここだけの話もできないから、時間は倹約できる。
でも、話がずれていく中にこそ発見がある。思いがけない連想や、隣の人の脚のゆすりや深呼吸から読み取れることが多いのだ。

こうした無駄と思われることが、人間の生活には重要なのですね。無駄な時が多すぎるのも困りものですが。

最近、老人二人のお家生活に、危険を感じています。私は午前中に公園でウオーキングをする以外はお家閉じこもり、夫はお昼は自分でと散歩を兼ねて一時間ほど出かけます。それ以外は無口に二人が炬燵に座っている生活です。
夫はコロナ以前は、好きなコーラスの会に毎日のように出かけていました。そのほか世田谷区の市民大学などにも出ていたようです。
それがすべて中止になりました。子どもたちから「」売れっ子タレントほど、カレンダーが詰まっているね」と冷やかされていたのが、全く何にもなくなりました。炬燵でテレビを見ていますが、88も間近の爺さんは、じきに居眠りです。「赤ん坊並みだよ、一日20時間は寝ているかなあ」などと笑っていましたが、ボケたとまでは言いませんが、曜日が分からない、日にちが分からない、出掛けると時に道が分からなくなる、あちこち怪しくなってきています。緊張が少しもない生活も困ったことです。
こうした時、私も同じ生活をしているのですが、女は(蔑視かな?)飯炊きという仕事があります。献立を考え、買い出しをして、台所作業、これで正常が保てているのかな?