おせっちゃんの今日2

こちらでお仲間入りいたします。
よろしくお願いいたします

年末年始、休暇を取ります

2021-12-25 13:55:48 | いろいろ

今夜から、日本海側は猛吹雪、深い積雪に襲われるかもしれないとのこと、いよいよ冬将軍のお出ましですね。その地方の方はくれぐれもご注意くださいませ。
豪雪地帯の話を聞きますと、関東平野に住む私は、なんだか申し訳ないような思いに駆られます。雪下ろしなど、ご注意の上にもご注意をお願いいたします。

今日いつもの公園をウオーキングしておりましたら、早々と梅が咲いておりました。
「中国野梅」と札がぶら下がっておりました。梅の原種に近いもののようです。
白梅は、やはり、「凛とした」という言葉が似あいますね。

通常の2月には「せたがや梅まつり」が開催されて、遠くからも見物の方がお見えになり、にぎやかなのですが、今年の春は緊急事態宣言が出され、急遽途中でで取りやめになってしまいました。来年もすでに取りやめの予定がたってしまっています。オミクロンとやらも勢力を伸ばすようですし、もう一年我慢でしょうか。

兎に角静かに、用心深く、ウイルスをやり過ごしましょう。
晴れて収束の暁を迎えるまで、みんなで力を合わせましょう!!

では皆さんよいお年をお迎えくださいませ。


睡眠薬

2021-12-24 15:13:40 | いろいろ

今朝の朝日新聞を読んでいて、広告欄に「医者は今日も睡眠薬を出したい放題」という本を見つけました。これはきっと睡眠薬が使い方によっては害になるという、否定的な意見なのだろうなと思ったことでした。
私は医学の知識があるわけではなく、薬についても意見が言える立場ではないけれど、今までの人生で睡眠薬なるものを飲んだことはあるなと、振り返ってみたことでした。

所謂女性の身体の変わり目というのでしょうか、更年期の最後頃でした。とにかく体がだるい。すべての器官が不具合、食欲はない、心臓は不整脈、夜は眠れない、半分死んだような状態になりました。かかりつけの内科医に訴えたら、血液検査などして、「健康体です。何処も悪くありません」と投げられてしまいました。苦しんだあげく、友人が「そんな時は神経内科に一度行ってみたら」と勧めてくれ、すがる思いで駆け込んだのでした。
「ああ、自律神経失調症ですね。薬を出しますから・・・弱い薬ですけれど・・・飲んでみてください。別に眠れるように薬を出しますから、とにかくよく寝て、元気を取り戻しましょう」と処方してくれたのでした。
1錠飲んで寝ました。落ち込むように眠りの国へ。あとは記憶がありません。夫の「どうしたの、まだ寝てるの、お昼だよ」の声で目覚めました。これを二晩ほど続けたら、元気が返ってきました。この時ほど睡眠薬をありがたいと思ったことはありません。
症状は収まりましたが、精神科医はこの軽い薬(睡眠薬ではないもの)はおまじないと思って少し続けましょう。と言い、私も飲んでいると不快でなく、かなり長く服用しておりました。いよいよやめようという時、その医者は「自律神経と言いましたが、鬱病でしたね。それを言うとショックが大きい人が多いので、自律神経と言っておりましたが」と言い、卒業させてくれたのでした。

故郷は山口県です。同じ年齢の頃、田舎の舅姑が老齢になってきておりました。ひと月一回、帰省して世話をし、話し相手になり、を繰り返しました。まだ子どもが中学生でしたから、自分の家も長くは空けられず、両親の所もなるべく長くいてやれるように、夜行バスで行き、夜行バスで帰るという強行軍をしておりました。
兎に角睡眠さえとればと、大いに助かった睡眠薬をいただけないか精神科の医者に相談しました。「やたらに続けるのは勧められませんが、バスで寝る時だけならいいでしょう」ということで出してくれました。遠距離介護はこれで乗り越えました。

今、83歳になりました。寝ても寝ても眠いという眠りはどこに行ったのでしょう。寝入り端、2~3時間はかなり深く寝ているようですが、その後はごくごく浅く、ウトウトウトウト転々と朝を待つようになってしまいました。少し早めにベッドに入るとその日のうちに目が覚めてしまうということもあります。日中それほど眠いとも思わないのですが、心理的な不満足があります。眠れない、困った、という不満が常にあるのです。

かかりつけの内科医に(どこも悪くない、と言った内科医とは違います)眠れないと訴えました。医者曰く
「どうしても欲しければ眠れる薬は出しますよ。でも、細切れでも足せば結構寝ているんじゃあないですか。寝不足で死んだ人はいません。どうしても欲しい時は言ってください。その時考えましょう」と。
年寄りの身体の波長に慣れてきました。3時頃目覚めると、もう寝ようとしないで、本を読むことにしています。
年寄りの特権、昼間眠くなればちょいと一休みもできます。細切れ睡眠を足し算しましょう。薬を飲むよりいいかもね。


我慢は美徳?

2021-12-23 16:25:22 | 新聞記事から

昨日に続いて、今日も「声」の欄から。18歳 高校生の意見です。
「改めませんか、”我慢は美徳”」。

おせっちゃんが勝手に要約しました。
年配の人が荷物を持って階段を上っている。「お持ちしましょうか」。声をかけたらことわられた。
迷惑をかけたくないというお気持ちは分かる。でも断わることが当たり前という世の中にはなって欲しくない。必要な時は助けを求めてほしい。
自殺という行為を選んでしまう人も多い。悲しい選択をする前に誰かに相談してほしい。
「我慢は美徳」という固定観念にとらわれ過ぎてはいないか。なぜこんなに、助けを求めづらい世の中なのか。我慢が美徳ではない時も多い。

そうですよねえ、と83歳のおせっちゃんはうなずきます。あなたと同じ若い頃、一大決心でお年寄りに声をかけて、断られた時のバツの悪さ。同じ車両から逃げましたよ。
でも明らかな婆さんになって、ご親切に感謝しますよ。その優しさに一日心が明るくなりますよ。

難しいことですが、邪険に断ってしまった年寄りに、まだ元気なのだと喜んであげてください。「ああ、失礼しました。お元気で何よりですね」とか何とか褒めてあげてください。難しいですけれどね。

何かで読んだことがあります。それぞれの人、それぞれの国のモットーと言ったようなものがあります。日本では「人に迷惑をかけない」ということが大事なこととされています。確かインドだったと思いますが、「人は迷惑をかけて生きていくんだよ。人間てそんなものだから、迷惑をかけられたら許してやってよ。お互い許し合って生きていくものだよ」という思想なんだそうです。

急に国民性が変わるものではないと思いますが、お付き合いで暖かな空気が流れるような世の中であってほしいですね。


土下座

2021-12-22 13:36:43 | 言葉

12月19日の朝日新聞「声」に使い方を誤ったこんな日本語についての意見が載っていました。40歳の会社員の女性の意見です。タレントの方たちが、結婚前女性の親御さんにお願いに行ったとき、「土下座した」「ああ俺も」と土下座を真面目に間違って使っていることを、私も可笑しいと思っていました。声を投書なさった女性が、キチンと解説してくださっているので、引き写しですが使わせていただきます。正しい、日本文化に沿った言葉として使われるといいと思います。

投書女性の説明

土下座・・・地面など、主に靴で歩くような場所にひざまづき手や額を地面に擦り付けて、最大限の謝意や敬意を表すもの。江戸時代の庶民が大名行列にさせられたのが土下座です。

座礼・・・室内、特に和室で、正座から畳に手をつき、上体を前にかがめて礼することを座礼と言います。土下座とは意味合いが違います。日本の美しい礼儀の姿勢です。

私が常々、これは間違っていると気にしている言葉がありますので、続きの場所をお借りして書いておきます。
「号泣」という言葉です。最近少し下火になりましたか、一頃、テレビで番組を予告するとき、「これは号泣物・・」とか「タレントの〇〇さん、号泣」とか盛んに使われたものです。そのタレントさん、わずかに目を潤ませただけですのに。

<号泣>は「大声をあげて泣くこと。泣き叫ぶこと」。「遺体にとりすがって―する」と言った泣き方です。
ついでに書きますと、よく似た泣き方に「慟哭」があります。慟哭の「慟」の字は身体を上下に動かして悲しむという意味があり、「哭」の字は大声で泣く の意味です。

 


グランマ・モーゼス(モーゼスおばあさん)

2021-12-21 13:31:53 | 区民センター

昨日、絵はお目にかけることが出しませんでしたが、モーゼスおばあさんの生涯をたどりました。今日はまた、美術館で絵を見て頂く時の予備知識としての講演を私なりにまとめました。会場の絵は、章によってまとめられているようです。

<第1章> アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼスの生涯を作品でたどる。
<第2章> 仕事と幸せと・・・モーゼスは国民的画家として知られているが、彼女自身はどこまでも無名の農婦だと思い、暮らしたようです。農婦というユニークなキャリアで一躍人気作家になったが、生涯一農婦としての暮らしを守った人でした。彼女の作品は生きた日々の生活でした。
「干し草づくり」の絵では、馬車の荷物車に刈り取った草を山のように盛り上げる村人も描かれる。草の山の上には子供。子どもの役目は草を踏んで固めること。
「石鹸づくりと羊洗い」身体の脂肪で汚れた羊を石鹸で洗う。たっぷり塗った石鹸と洗い上げた真っ白な羊。
「村の結婚式」。
村中が協力的なコミュニティーで結ばれていてほのぼの。モーゼスがいかにこの生活を愛していたかを思わせる。
モーゼスは、他の人の作品の中から、例えば馬車の絵などを切り抜いていて、自分の絵の中に巧みに取り込む画法を使っています。盗むのとは違ってそれが無理なく彼女のものとなっている。また、絵に自分の家を登場させている。そしてその家の前に椅子に座った老女を描く。さりげなく。ああこれがモーゼスおばあちゃんねと想像できる。

作品を見る時の一つの要点かも。

<第3章>季節ごとのお祝い
農家の仕事は季節に左右される。仕事は忙しいが、また村中が一つとなるお祝でもある。
2月・シュガリング・オフ(メイプル・シュガーの採集)(昨日のブログ)
晩夏・アップル・バターづくり
10月・ハロウイーン
11月・サンクス・ギビング・デイ(感謝祭)
12月・クリスマス
こうした季節ごとの行事を楽しく描いています。毎日を気に入って楽しんでいたのでしょう。

中で面白い手法としては、家を中心に外の風景を描いているのだが、家の中も紹介したくなったのか、一部壁を取り払って、室内を見せるという奇抜な方法もやっている。
クリスマスの絵は、作品がグリーティングカードになって、人気だった。
また、絵本の挿絵として使われたこともある(サンタクロースがやってきた)
<第4章>美しき世界
モーゼスは、自然が美しいばかりでないことも知っていた。こんな言葉を残している。
「自然は平和だけではない。非常な脅威もある(竜巻や雷雨)。森の火事、深雪など。でもこうした脅威の後、再生の時期が必ず訪れる」と。

こうした人生観で101歳まで生き抜いた。絶筆(虹)の絵も、どこか明るい

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