おせっちゃんの今日2

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冬薔薇

2021-02-12 14:56:34 | 日記

今朝の日経新聞の広告欄に、上野千鶴子著 「在宅ひとり死のススメ」がありました。
昨日に続いて、買いもせずに言葉だけを使わせていただきますが、
「老後の幸せ度」は「おひとりさま」が最も高く、最低は、「おふたりさま」世帯。とありました。

それが頭にあったからでしょうか、いつものようにウオーキングに出かける道筋に、冬バラが咲いているのに目が止まりました。春立つとはいえまだ寒さ厳しい冴えかえった空気の中に、見事に咲いておりました。カメラに収めて、ウオーキングをしていると、ふっと句が浮かびました。

冬薔薇独り生きると決めた日に

フィクションです。幸か不幸か、私は今のところ「おふたりさま」です。

母の晩年を思いました。明治24年生まれの父、34年生まれの母。森さんの女性蔑視など軽い軽いという男性中心の世界でした。父は、90歳直前で亡くなりました。ということは母は80歳前で「おひとりさま」になったことになります。
「おひとりさま」の母は「今が一番幸せかもしれない。何しろ、私が大将じゃけん。好きなように生きちょるよ」と曲がった背中をそらすように笑っていました。母が亡くなった後には出かけることもほとんどない生活なのに何時着るつもりだったのかしら?と思う高価な大島紬の訪問着が残されていました。戦後の貧しい暮らしの中で、財布は父が握っていましたから、買いたいものも買えない生活だったと思います。この時期が一番自由を満喫したのかもしれません。

先日、私が保管していたその大島の行き先が決まりました。らい太の長男のお嫁さんが引き受けてくれることになったのです。らい太が言いました。「まあ、良かったんじゃあない?お母ちゃんも最後自由な満足な時期を楽しんだんじゃから。一世一代、大盤振る舞いの自分へのご褒美だったんでしょうから」と。

そんな、短い時をを楽しんだ母も、だんだん弱って来ると心細さを感じているようでした。それでも気丈にひとりで暮らし、ある日、一人で旅立ちました。気にしていた父の7回忌を済ませて逝きました。身の回りの始末はきちんとしてあり、すぐ前まで5兄の嫁と電話で話し、苦しみもせず、一瞬で生と死との境を越えたようでした。