おせっちゃんの今日2

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コロナ禍の中で・・・小柳ルミ子

2020-09-29 13:55:57 | コロナウイルス

昨日お昼「徹子の部屋」を見ていました。お家籠り生活ではそれでなくても狭い生活範囲がますます狭まって、これでは本当に「テレビ婆さんになるぞ」と怖れを抱いたりします。
でも、どんな番組にせよ、考えながら見るとそれなりに考えさせられます。昨日もそうでした。ゲストは小柳ルミ子さんでした。

崩れていない節制した姿態で、自分の行っているストレッチや、コロナに負けない徹底した除菌の仕方などを、明るく話していた彼女が、StayHomeの生活を訊かれた時、ふいに顔を覆って、声が出なくなってしまいました。しばらく話そうとしては口を覆い、涙を拭いて言葉になりませんでした。なに?と思っていると、やっと絞り出すように発した言葉は「引退を決意していました」という言葉でした。「どうしてそこまで?」との徹子さんの問いに、こう答えていました。

歌手・女優など芸能人として生きていて、この年になってもお仕事に呼んでもらっていました。自分でも体力を保って、それなりのプライドを持って生きていました。それがコロナ時世になったのです。芸能界全体がそうだったのでしょうが、仕事は全くなくなって、およびの声もありません。日にちが経つにつれて、ああ私にはもう価値が無いのだ、声はかからないのだ、このままではみじめな姿をさらすばかりだ、思い切って引退しよう、明日にでも発表しよう、という追い詰められた状態になってしまいました。一人で、言葉を交わす人もなく悪い方に悪い方にと沈んでいったのです。

もう明日には引退をと思い定めた時、桑田佳祐さんが雑誌に「小柳ルミ子は捨てがたい、いい歌手であり役者だ」と書いていらっしゃるのを見つけました。それが今までのマイナス思考を逆転してくれました。桑田さんの文を見るのが一日遅かったら、私はもうここにはいません。桑田さんは生涯の恩人です。と。
辞めてその後どう生きるかなどまったく考えず、ただ声のかからない自分から逃げ出すことだけを考えていました。もしやめていたらどうなっていたやら。

同じ日の朝いちばんのニュースは竹内結子さんの自死でした。このところ芸能界の中堅・ベテランともいうべき人の死が伝えられますし、一般人の自殺も増えているようです。
やはりコロナ自粛生活が影響しているのでしょうか。小柳さんが吐露したような孤独感・自信喪失に感染の不安感が加わり、生活の基盤の収入も不安定、先が見えない焦り、一人では抱えきれない重圧かもしれません。
小柳さんが、桑田さんの言葉に救われたように、孤独の者同士会うことは出来なくても、じかに顔を見合うことは出来なくても、励まし合うことが大事なのかもしれませんね。


コロナが完全に絶滅することは期待できないと言います。共に生きていくには人が手洗い・マスク・他との距離・を保って行くより仕方ないのかもしれません。コロナ終息と経済の回復と相反することを上手くバランスを取り生活していくことはひとりひとりの生き方が物を言うのでしょう。
そしてコロナとともに生きていく上でもっと大事なことは距離を保ちながらもあたたかいつながりを持たなければならないことです。一人で深く考えることと、お互いが温かくつながることと、これを大事にしなければならないと思います。

小柳さんは、志村けんさんとは古くからの友人だったとのこと。この不安感の時世に、彼の笑いこそが必要だったのに、一番に亡くなってしまわれるなんてと、また涙ぐんでいらっしゃいました。だから、私はコロナは徹底的に憎いのです。絶対に負けたくないのです。徹底消毒に力を注ぐのも、彼のかたき討ちのつもりがあります。徹子さんもやってください。一日も早い収束を迎えたいですよね。

みんな頑張りましょう!!


届かないの、お願い

2020-09-28 16:07:10 | 日記

何日ぶりでしょう、さわやかな秋空です。湿度も低くて快適です。
人の身体というものは、なんと自然に左右されるのでしょうか、昨日まで苦しんでいたしびれ・痛み・血圧の上昇・頭重・頭痛・みんな拭ったように消えました。土曜日は愚痴を書きましたら、お見舞いのコメントをいただいたり、ありがとうございました。

先日(19日)、「ほっこOGPイメーりした風景」と題して素敵なお年寄り同士の風景を描きましたが、まぎれもなく年寄りの私は、スーパーでイケメン男子に助けられました。私はチビ婆さんです。もともと低い背丈が、脊柱圧迫骨折をやってから、またまた縮んでしまいました。

乾物売り場で高野豆腐を買おうと思いました。これがまあ、一番高い棚、どころではなく、その上の上に並べられているのです。到底届きません。スーパーですから店員さんも見当たりません。困った!!ぐるりと見まわすと、近くに背の高いイケメン男子がいたのです。ばあさんの頼み、うるさがられるかなあ、と思いましたが思い切って頼んでみました。「あ、どれですか。はいお安い御用。これでいいですか」爽やかに、優しく取ってくれました。その夜のお菜はことさら美味しかったです。

娘のMaも遺伝の法則はきちんと当てはまり、チビです。ユ〇〇ロに行った時、Sサイズが一番上の棚に並べてあったのだそうです。レジには「ご意見をお聞かせください」の目安箱が置いてあったので、「Sが一番上とはどういう気なの?Sはチビ用で低いところにすべきですよ。よりによって一番上とは、これはいじめですよ」と書いて入れたのだそうです。

怖いおばさんがが入れたのだろうな、と思われたんじゃあない?!と言いますと、2・3日後にどうなっているか見に行ったら、ちゃんと並べ替えてあった。だから、もう一度目安箱に入れたよ。「希望をかなえてくださってありがとう」と書いてね。

うん、それなら、お店の人も「助かった」と思っただろうね。

19日の記事に飛べるようにするつもりでしたが、なんだかうまくいきません。御面倒でも読んでやろうと思われる方は、カレンダーを使って19日に飛んでください。

 

 

 


真夏から一気に

2020-09-26 18:35:19 | 日記

大人しく去って行った台風は冬の斥候を連れていたのでしょうか、季節が一気に夏から冬へと進みました。お会いするご近所での挨拶は「寒いですね~」が飛び交います。
慌てて羽織物を引っ張り出すやら、冬布団を風に当てて、ベッドにセットするやら。
エアコンを一晩中稼働していたのがウソのようです。
コロナ禍の真っただ中です。紛らわしい風邪をひかないようにしなくっちゃ。

台風一過、真っ青に晴れ上がった爽やかな秋、とはいきません。しとしとまでも行かない、霧雨がひねもす降り続きます。狭窄の背骨の中をやっと通っている神経はまともには働けないのか、病以後下半身がやけに冷えます。ソファーに座っている時、毛布を巻き付けています。「おこた出そうか」。いくらなんでもまだ9月だよ~。でも冷えるなあ。

子どもの頃、父がよく言っていたことが、本当だったんだ、と思い知ります。気温の激しい変化、気圧の不安定、これが身体の調子を狂わせます。天気図に合わせて確実に痛みしびれが出ます。最近はこれに加えて、血圧が急上昇したりします。

昨日今日は頭はフラフラ眩暈がしています。

今日はこれまででお仕舞です。


台風は低気圧に変わる

2020-09-25 14:42:57 | 言葉

関東を伺っていた台風は低気圧になり、去って行きました。雨戸を閉め、外周りのものを片付け準備していたことは無駄になったけれど、被害がなかったことは幸いなことでした。二百二十日もことなく済んで・・・これで今年の台風はお仕舞でしょうか。

その朝、パソコンを立ち上げてみると台風見舞いのメールが入っていました。じいじフレンドからです。

「心配で」、のタイトルで「台風がそばにいるらしいが、ご無事か?」
「無風・慈雨。まことに大人しく通り過ぎていきました。お気を使ってくださってありがとう」
「涼しさをありがとう!!と言いたい台風さんでした」
「静かな台風よ、ありがとうだね」

こんなたわいのない話のほかに次のようなやり取りもありました。この台風前に、九州方面直撃か、最大級・50年に一度の・・・などというのが襲うようで、山口の娘のこと、兄たち、そしてじいじフレンド心配して見舞いメールを出したのでした。その時どうしたものか、じいじフレンドのところは、虫眼鏡を使わなくては到底読めない大きさの字で届いtのだそうです。それについての、パソコンのことがさっぱり分からない二人の会話が。

「このメール、虫眼鏡が要らないことを祈ります」
「メール裸眼で読みました。健全でないボクの目でも、ばっちり、大きい文字でよめました」
「読める字でよかった。では先日はどうしたことだったのかな?」
「宇宙人の仕業だったんでしょうよ」
「うん、そう思おう。夢があるね」

お家生活で退屈老人が馬鹿なやりとり。でも気が晴れるから不思議。おしゃべり大事だよね。

孝行な台風が秋を引き連れてきてくれたようですね。真夏から急に冷え込んできました。慌てて冬布団だしました。木々もうっすらと秋色に変わりました。隣のハナミズキの葉がうっすらと色づきました。公園には彼岸花がすっと茎をのばし華麗な花を咲かせています。
モチヅキザクラと札をつけた、桜が花を咲かせています。これは返り咲きなんでしょうあ、狂い咲きなのでしょうか、

 

  

 

 

 


素敵な言葉…三浦知良

2020-09-24 16:31:25 | 言葉

今朝の朝日新聞一面で、大きく三浦知良が躍動していました。見出しは「53歳カズ J1最年長出場」とあります。
23日、等々力陸上競技場での川崎フロンターレ戦に、53歳6か月28日で先発出場したのだそうです。

私は、ワールドカップ予選など、外国チームと対戦するときはにわかファンになってテレビ観戦をするのだけれど、普段はほとんど応援することもない不真面目なファンです。そんな婆さんでも彼の名前は知っており、キング・カズと呼ばれていることも尤もだと思っています。

今日午後パソコン教室に出かける前、ぎりぎりまで見ていたテレビのワイドショーでも、この話題が取り上げられていました。53歳までできる体力気力を保つには並大抵でない自己規制をしているとのこと。遠征先にまで体重計を持ち歩き、グラム単位で体重を管理しているとのこと。体重管理というと、普通ダイエットを言うけれど、彼の場合は試合で走れる体重。理想体重より減っても持久力が保てないのだそうです。

その番組の中で、素敵な言葉を教えてもらいました。キング・カズが常日頃言っている言葉だそうです。

年齢はただの数字

婆さんもそう思うことにしよう。老いたからとあきらめないで、生きてみよう。