おせっちゃんの今日2

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「いろはがるた」の思い出

2021-02-18 15:46:36 | 思い出

昨日、三人寄れば文殊の知恵ということわざを取り上げていて、連想はいろはがるたに移り、またその連想で三兄に飛びました。

子どもの玩具もない物不足の時代でしたが、我が家には「いろはがるた」と、立派な「百人一首」がありました。近所の子どもたちもやってきて、よく遊んだものでした。
ある時、「犬も歩けば棒に当たる」はどういう意味を含んでいるのだろうと一人が言い出しました。おなじみの取り札の絵(今の方にはおなじみではないかもしれませんが)大体の人が「ウロウロ用事もなく出歩いていると、痛い目に合うよ、という教えではないの」との意見でした。別の一人が言いました。「もう一通りの考えもあるって聞いたよ。この棒は幸運の棒で、せっせと出歩いていると、思いがけない幸運に行きあたるという意味らしいよ」と。

三兄が隣の部屋で聞いていました。この兄は、非常に、几帳面すぎるほど几帳面で、真面目な人でした。間違いを認めるわけにはいかないと、口をはさみました。幸運説を言った子が「でもそういう説があると聞いたもん。もう一つこんなのも聞いたよ」。

「情けは人の為ならず」。これは、困っている人がいたら、情け(優しい心)で助けてあげるのが人間だよ。その情けは回り回って自分のところに帰って来るんだよ。他人のためではないんだよ、という意味だというのが普通だけれど、近頃はこんな解釈もあるんだって。
困っている人がいても、情けをかけて助けてはいけないんだよ。その人のためにならないんだからね。困難に打ち勝つ強い気持ちを失くすからね。

その時の兄の顔、今でもはっきり覚えています。なんとも情けない、びっくり仰天の顔、エ~っ、そんな解釈??。反対したくても急には反論できないもどかしさ。日本人の情はどこに行った?・・・なんとも複雑な顔でした。

今から考えると、戦争に負けて、アメリカ文化がどっと入り込み、と同時に日本人が自信を失って、日本の良さを見失って、世の中がひっくり返っていた時代だったのかもしれません。今まで抑圧されて子供の意見など主張できにくかった世の中が、理屈をこねてもいい時代に変わってきていたのでしょう。目上の人から教えられたことを、几帳面に固く守っていた三兄にはついていけない社会の変わりようだったのかもしれません。

話はもう一つ飛んで、世の中変ったよね。「真面目」が必ずしもいいことではないと思うんだもの。「あいつ真面目~」というと、褒め言葉でなく、貶していることになるんだよ。

兄の顔がますます固くこわばりました。