おせっちゃんの今日2

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心に残っている言葉・・私の折々のことば

2022-01-31 13:56:33 | 言葉

朝日新聞の朝刊を読んでいて、一面で目を通す記事に「折々のことば」があります。結構難しくて、鷲田清一氏の解説を読んでも分からないこともありますけれど、お気に入りのコーナーです。

この「折々のことば」にちなんで、中学・高校生に自分の心に響いた言葉を作文にしてくださいと募集をしました。(朝日新聞社主催。朝日中高生新聞共催。Z会。栄光ゼミナール特別協賛)今回は2万9664の作品が集まったとのことです。中学の部では、最優秀賞に選ばれた名古屋の中学1年生の言葉でした。小学4年生の時の担任の先生がかけてくださった言葉だそうです。

「びよびよのごむで大丈夫」

頑張り過ぎて疲れてしまったことがありました。そんな時担任の先生がかけてくださった。
「頑張りすぎなくていいんだよ。びよびよのゴムで大丈夫だよ」。
頑張りすぎるとピーンとはった心の中のゴムがちぎれて一気に苦しくなってしまう。休憩をはさんだり、手を抜いたり、「まあいいかで終わらせることが大事だよ」と。
心の中のゴムがちぎれないようにほどほどでいいんだ。(おせっちゃんが短くまとめました)

頑張ることは大事だけれど、何事も過ぎたるは及ばざるがごとしなんですね。疲れ切らないように、余裕をもってが良いようですね。

 


ワクチン(3度目)の予約

2022-01-29 13:33:58 | コロナウイルス

昨日の郵便でワクチンの接種券が配達されました。
1回・2回目の予約が電話は繋がらない、ネットも受付までたどり着けないでずいぶん苦労した覚えがありましたので、この度も覚悟しておりました。が、接種券を日にち的にバラしたのか、今日朝はだめでしたが、午後昼食後に試みましたら、すぐ電話が繋がりました。ネットではなく電話にしたのは、接種券は夫婦でも別々に来ます。それを一人ずつやっていると、予約日が違う日にち、違う時間になってしまったからなのです。夫がかなり弱ってきましたので、一緒に行ける方が助かるのです。
こういうアナログ的な微調整は電話の方が話せるだけスムーズに行くような気がします。

手続きは、既に、1回2回で名簿的なものができているのか、スムーズにすらすらできました。
ただ、皆待ちに待っていたのでしょうか、もう2月中は空白が無いのだそうです。3月2日にしていただけることにはなりましたが、打ってから抗体ができるのには2週間ほどと以前聞いたような気がします。一安心と息がつけるのは随分先になります。ちょっと待ち遠しいです。

兎に角身を慎んで自分の身体は自分で守ることにします。


〇か、✕か。

2022-01-28 13:35:15 | コロナウイルス

オミクロンの拡大が収まりません。重病になることは少ないとはいうけれど、その感染拡大は不気味です。子どもや、年寄にも段々拡大してきたと言います。

隔離のためのベッドが危機的状態になるのも近いとか。
そこで打ち出されたのが、症状の軽い人たちは、自分で検査キッドを求め感染の有無を確め、保健所に申し出る方法が考えられてきました。ほかに、無料の検査所も設けられているようです。

兎に角かかってしまった人は、他へ感染させないように、自主隔離する方法。最善ではないかもしれないけれど、検査できることは良いことだと思いました。

ところが肝心のキッドの生産が、急激に膨らんだ希望者数に追いつかないと言います。
テレビニュースで、主婦とおぼしき方が、こう話していました。
「今朝から駆け回ったのです。やっとこれだけ手に入りました」。どこか誇らしげな、安心したような口調です。「同居家族もいますから、症状が疑われるときいち早く自宅で検査できるようにしたいと複数買いました」。またある会社の社長さんらしき人。「社員もかなりいますから、これらに蔓延すると働く人の数が足りなくなります。すぐ使えるように、会社用として求めました」

二人とも手に入った、これで安心。家族のため、会社のため、こうした用意をするのは主婦の、経営者の務めだと言わんばかりの満足顔でした。
私。はあ、出遅れているなあ、無能主婦、バツ印主婦かいな?もし、家族の中に患者が出た時、この主婦は感謝されるのだろうな。「さすがママ、手に入れて置いてくれて助かったよ」と株が上がるに違いない。社長さんもしかり。

でもこれって、買い占めではないの。視点を転じれば、不確かな需要のため、必要な人の分まで死蔵するのではないの。予想以上に品不足になったというのは、一見こうした優秀な人たちの買いだめが、物不足の原因ではないの。困ったちゃんではないの。〇か✕か、見方で正反対の行動になるかもしれない。ここで重要なのは、深くじっくり根本を考える力でしょう。

公園で、ワンちゃん散歩をしているままと挨拶の声を掛け合う仲の人がいます。昨日出会ったら、「3度目やったのよ」と。「あら早い。もう、申込用紙が来たの?我が家はまだ来ないわよ」「区の会場でやったのではないの、かかりつけの医者が薦めてくれて、やってもらったの」。へ~え、そんな手があるのだ。きっと医療従事者用を、多めに確保して,上客に勧めているのではないかな。これって違反だよね。と思ったけれど「良かったわね」と言って別れた。

手元にいくつか用意する、このことが善なるか、悪なるか、自分でよ~く考えるほかありませんね。私は決して正義の人ではありませんが、昔あったトイレットペーパーの買いだめからいろいろな機会に買い占めはあったけれど、私にはさもしいこととしか思えないのでしたことがない。馬鹿正直よと馬鹿にされたこともあったけれど。自分の価値観は崩せない。

話は飛びますが、今日新聞の広告欄で、茨木のり子さんの「倚りかからず」が紹介されていました。自分の立ち位置の大事さ。とにかく自分で考えることの大切さ、心を打たれましたのでメモりました。

倚りかからず

もはや
出来合いの思想には倚りかかりたくない
もはや
出来合いの宗教には倚りかかりたくない
もはや
出来合いの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれくらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ


オンライン授業

2022-01-27 16:29:10 | パソコン教室

毎週木曜日はパソコン教室の日です。それでなくても歳とって生きる世界が狭くなっているのにコロナお家籠り生活で狭められた世界の、わずかに残った殻の外の生活です。
ところがところが、オミクロンはひたひたと攻め寄せてきます。感染拡大を防ぐために、今日はオンライン授業にしましょう、と決まりました。

コロナ禍ももう2年になります。その初めの頃にNORI先生がその授業を始められました。初めはこんなに長引くとは思わず、半分やってみるの面白い、という感覚でしたが、次第に無くてはならないものになってきました。教室に行くことなく、家の画面で教えを受けることになりました。初めは物珍しさで、面白がっていましたが、ずっと続くとおしゃべりの出来ない寂しさが不満の種にもなるのでした。

コロナグラフの谷の時期は教室はオンラインでも、対面型でもどちらでも対応します、というNORI先生の方針でしたが、ほとんどの方が通学を取りました。大雨の日、酷暑の日、体調がすぐれない日、お家を空けられない日、希望すればオンラインでできる心強さも与えられました。

今日、久しぶりです。うまく先生の招待に応えられるかしら、講座に入れるかしら、と不安もありましたが、できました!!

今日は先生と生徒3人という授業でした。久しぶりにマスクのない顔でごタイメ~ン。2時間授業の終わりの30分は自由質問などの時間にしてくださいました。私は、後ろを通る爺様が写らないように、バーチャル背景にする方法を質問して習いました。以前一度習ったのをすっかり忘れていました。これでお邪魔虫が撃退できました。

次回はコロナ次第、収まるといいけれど。


配偶者の呼び方

2022-01-26 13:32:41 | いろいろ

朝日新聞の「声」の欄の下方に時々目をひかれます。自分の主張したいことに沿った個々の意見ではなく、一つのテーマに絞って意見を募ったものの中から選ばれたものが五つぐらい並ぶのです。
今日取り上げたのは「配偶者の呼び方」というテーマでの男性の意見です。実はこの前に女性の意見を集めたこともあったようなのですが、見逃してしまったのです。

女性の地位が向上したというのか、働き改革などで、私達の時代とは打って変って、女性も男性に負けずに社会的な地位を確保している時代というのか、呼び方ひとつとってみても、女性を目下にみるような呼び方は厳しく拒否されるようです。
中で面白くまとめた投稿がありました。おせっちゃんが勝手に箇条書きの様にまとめました。

★ 妻が・・・私は刺身の妻ではありません。
★ 家内が・・私はずっと外で働いていました。家外です。
★ 連れ合いが・・私は連れられてなんかいません。自分で歩きます。
★ かみさんが・・私が上なら下は?
★ 細君が・・私は細くなんかありません。太っています。
★ 配偶者が・・私は割り当てられてなんかいません。誰にも縛られていません。
★ おかあさんが・・あなたのお母さんではありません。子どもたちのお母さんです。
どうも結論としては★「私は京子。京子と呼んで」らしい。
他にも

★ 「ウチのが」「ワイフが」と仕方なく言うこともある。関西人が「ウチの嫁さん」とさらりと言っているのは便利な言い回しと思うが、老妻をいまさら「ヨメとは言えない」

★ 主人・・・夫婦に上下関係はないはずだ。いろいろ考えた結果、「パートナーがいいとの結論に達した」。

私は
ほとんど、無言、息遣いで分かる。今更呼び方などでカチンとくるほど気を使って生きていない、というのが私の本音。どうでもいいや。

私の母は、「チトセ」と言いました。一度も会う事もなく、親の勧めるままに10歳年上の父と結婚して8人の子をなした夫婦でした。
父は「チトセ」に「や」を付けて、「チトセやあ」と呼びかけていました。この場合の「や」は何だったのでしょう。呼びかけの助詞というのでしょうか。古い時代の小説などでは小女、や女中を呼ぶのに使っているような気もしますが。
私が嫁いだ夫の母親(姑)が、ある時言いました。おせっちゃんのお母様は、お父様に可愛がられていらしたのね~。だって、チトセや・チトセやと呼んでいらっしゃったでしょう。うらやましいと思っていましたと。

はあ、そういう考えもあるんだ。とビックリしました。それほど仲のいい、そして、夫に無条件で仕えるという母ではなく、子供の前で大声で口げんかも度々の二人でしたが。