goo blog サービス終了のお知らせ 

おせっちゃんの今日2

こちらでお仲間入りいたします。
よろしくお願いいたします

リフォーム業者選び

2024-06-03 13:32:03 | わが家の話

築40年ほどの自宅をリフォームしたことはすでに書いたことがあります。その時書きましたように、間取りなどを変えたりするリフォームではなく、年月で、老化した家屋の部分部分の修理をしたのでした。
それも、弱ってきている夫に気を使いつつ、作業場になる部屋部屋から、他の部屋に逃げておいてという方式でやりましたので、なかなか、疲れる作業でした。

わが家にとっては大きな事件でしたから、メモにして、残しておきたいと思いました。

築30年くらいから、家族で、頻繁に歩く場所の床が、歩くたびにぺこぺこ抜けたような感覚がするようになってきました。建ててくれた業者に相談すると、床に張った、合板の接着剤が老化して、合板が合板ではなくなっているとのことでした。10年ほど前に一部だけ修理したのでしたが・・・。床が抜け落ちる心配はないとのことで、ついつい一日延ばしにしておりましたが。あまりにその箇所が多くなり、不安感があるということで、思い切って、私ども古い所帯が使っている所だけ、家の半分をまずやろうということに、なったのです。床をやればそこの壁紙も・・という計画も。

それ迄の40年、あちらこちら、小さな不具合は出てきておりましたし、外装のメンテナンスや、白アリ予防の消毒など、出発点で建ててくれた業者に頼んでおりました。まあ、名の知れた建築会社でしたが、一番信頼できるだろうと思って他業者に当たることはしませんでした。
でも、この度は、かなり予算もつぎ込まなければならない工事になる、いくつかの業者に見積もりを出させて、検討すべきではないか、との家族みんなの合意でした。。

そこまでは、すらすらと運びましたが、さて、業者がどこにあるか、どんな信用があるか、さっぱり知識が無いのです。

夫も、息子のKも、人脈もなく、私はそれよりもなお狭い主婦のおば(あ)さんです。頭を抱えました。

無い知恵を絞っているうちに、一人の友人が浮かびました。同じ町内で、町会の役員を長らくご一緒していた奥様のお顔でした。ご家族で建築資材の卸販売の会社を経営していらっしゃると聞いたことを思い出したのです。「そうだ彼女にお聞きしよう、建築関係で、お知り合いの業者を紹介してくれるかもしれない」と思ったのです。
早速電話。「これこれしかじか、どなたかご存じない?」の後半まで言わないうちに、「うちの会社、リフォーム部もあるよ」。

ああ、それなら何一つ迷うことなく決められるわ。よろしくお願いとなったのでした。

もう一つの見積もりは、多分参考のためになるに違いないけれど、始めの建築会社のリフォーム部に出してもらおう。やっと動き出せたのです。


まま、ずるいよ。当然だよ。

2024-05-29 13:28:54 | わが家の話

年をとると身の丈が縮むとはだれにもある現象のようですね。私の場合は脊柱がつぶれてのだから、当然平均より多く縮んでいると思われます。数値できちんと測らなくても、届いていたものに手が届かなくなってしまって、不便この上なしです。
それでなくても、親からもらった身長は平均以下です。それから縮んでしまっているのです。ご想像ください。
子供二人も、現代っ子にしては小さい方です。でも兎に角、大した病も得ず育ってくれましたから、いいのですが・・・。このちびっこ二人が子どものころ、食べない子でした。いったい何で生きているのだろうと思うほど食べる量の少ない子でした。娘のMaが、一年生の時、家庭訪問にいらした先生が開口一番「食べませんねえ、何で生きているのかしら?」と嘆かれたことを今でも鮮やかに覚えています。

その夕食時
「先生、困っていらっしゃるようだったよ。給食は完食が目標なんだって」
「お腹いっぱいになるんだもん。食べられないよ」
「特にトマト一口も食べないんだって?!」
「あれは無理!。ママだって食べないんじゃあないの!!」
「お腹いっぱいなのに食べろったって。食べろ食べろと言われるとますます食欲なくなるよ」
「ママだって!」
「ママはトマトだけだよ、食べないのは。他は残さないでしょ」

「まま、ずるいよ!!お料理するのはママでしょう。自分の食べたくないものは作らないんじゃないの!!好きな物だけならたべられるよ~だ」

参ったな!!

それ迄長い間、食事時間が楽しい時間でなく、食べろ食べろの小言時間だったことを反省させられました。
食べる量など個性だよね。夕食だ食べなければ、食べたくないのに押し込むことないよね。明日の朝にはお中、空くでしょう。そしたら食べられるよね。そうだよね、無理はしないでおきましょう。そのうち食べたくなるよね」

子供から教えられました。食べる量など決まりがあるわけではないだろう。楽しんでいればいいんだよね。

5年生、そろそろ食べ盛りという年齢になってきました。
「ただいま~。今日のおやつ何~?ああ腹減った!!」。
チビはチビなりに成長していきました。

子育ては自分育てでもあります。親も学ばなくてはですね。


夕食後の遊び

2024-05-11 13:33:09 | わが家の話

金曜日、ブログを書いていて思い出しました。私とらい太がまだ小学校の低学年の頃のことです。夕食が済むと、5兄が「さて始めるか」と言いだします。時には3兄、4兄までが身を乗り出します。
わが家のゲームの開始です。

遊び道具とてない時代です。ゲームというよりはお勉強でした。

兄がその頃貴重品だった用紙を出します。勿論使ったものの裏を使うのです。
「今日は、サンズイの漢字にしよう!」と決めて「ナガレルと言いながら流れる」とかきます。ハイ次、おせっちゃん」「ウミ・・海」と書きます。よし、次、らい太」「オヨグ・・泳ぐ」。延々と続くと言いたいけれど小学低学年には難しい。毎晩のことだから、本棚にある古くて厚さ10センチもある辞書で予習はしてみるものの、兄にはかなわない。すぐ行き詰ってしまう。

知識の豊富な兄は難しい字もマスターしているけれど、それは表に出さない。妹二人が書こうとしている字から書いてしまう。妹二人の半べそで、今夜はこれまでとなるのでした。

木篇になったり、ブログのような魚篇になったり、シンニュウになったり、面白くもあり悔しくもありのわが家の夕飯後の娯楽だした。


冷蔵庫ご危篤

2024-04-26 14:19:05 | わが家の話

今朝の目覚めは、さていつ電話しようか、と思う所から始まりました。
今日は連休前の金曜日。早くかけると眠りの邪魔と嫌がるだろうし、出勤支度中は、一秒を争っているに違いない。ああやっぱりラインにしとこう。

「冷蔵庫冷えない。明日電機店立ち会ってくれない?」

「立ち会えるけれど、ネットで買えるよ。」
「調べたら、お買い得が見つかったよ。来月新しい型が出るらしく、大割引。色も白しかないけれど」
「それでいい、いい、」

頼んでくれることになった。
今日は夫がリハビリに行く日。帰りを迎えなくっちゃならないし、Kに任せてらくちん。値段も割り引かれるし・・・良かった良かった。

電化製品などは、壊れる時は一斉に壊れるよね、ということはよく聞きますね。わが家がそう。たしか20年ばかり前だったか、Kが冷蔵庫を買い替えた、と思ったらわが家のがダメになった。おたくどこのメーカーにした?使いがってはどう? お嫁さんのMiちゃんが、いいようですよ。同じになさればと言ってくれて買ったのでした。この度K家がダメになり、そしてわが家。Kがいうには、不具合の様子もも全く同じだね。壊れる時期があるんだね。とのこと。

昨日まで気に留めなかった自分を貶すのですが。そう言えば少し前から、冷凍庫のものが、なんだか柔らかいような気がしていました。冷蔵室は冷えているようだからとか、生協から配達されたものをそのまま冷凍していて、なんとも思わず食べていたんだから、と平気でいたのが怖い。良く食中毒を起こさなかったものだ。

そう言えば、高校同級生に、ご主人が一流だと言われている電機メーカーに勤めている人がいました。製品の寿命などを話し合っている時、大体メーカー内で、電化製品は、15年が寿命だと言われていると言ったことがありました。15年に一度買い替えるという前提で、費用計算などもされているのだろうか。

同じような経緯で、K家と前後して洗濯機を買ったことがありました。これもお嫁さんに問い合わせて、同じ機種にしたのでした。そう言えば、今年のお正月、遊びに来た時洗濯機も買い替えたのですよ~。大出費でした、といっていたようなきがする。え?!我が家も・・・、かんべんよ~。  

 


半分眉毛と父の思い出

2024-03-25 13:31:03 | わが家の話

今朝、朝仕事を終えて遅い化粧をしていて気がつきました。先日のリフォームで洗面台を取り換えましたので家じゅうで一番きれいな場所です。ピカピカの鏡に映ったのは、リフォーム不可能のしわシミ婆さんですが。
つくづく見ていて気がつきました。
私独特の半分眉毛です。姉・妹と3人姉妹、(兄が5人いますが)揃って母から貰った半分眉毛です。それぞれが独特の形をしていますが、とにかく化粧の私は黛で書き加えるのですが、左右うまく描けた例がありません。

ああ、今日は眉毛の形を書くつもりではありませんでした。不揃いの眉毛の中に、左右一本づつ、それもデザインしたように右は白髪、左は黒い毛がピロンと長く生えて(育って)るのを見つけたのです。

オヤオヤ、お父ちゃんの長生きの印の眉毛だよ~。もうかなり長生きしていると思うけど・・・
鏡に向かって無言の減らず口をたたいたことでした。

父は、明治25年生まれでした。8人兄弟姉妹の下から2番目の私が知っている父は、もうかなりの年でした。健康第一が口癖で、元気に生きることが大事、と病気を恐れる人でした。
その父が、いったいどこからこの知識を得たのか知りませんが、「人間はのう、気をつければ128歳までは生きることのできる動物だというんじゃ。これは本当でよ」というのでした。幼い私にも、まさか…と思わせる長生き伝説です。つづいて言います。「この眉毛の長い毛がその印なんじゃ、これは大事にせんとな」と真面目に言っておりました。

姉は私とは干支一回り違っていました。今の若い人にはお分かりにならないと思いますが、当時は、親の言うことに反対を唱えることは許されていませんでした。姉は、こうした時、反対するのではないが、一寸反対意見を含めて、シレットいうことができる人でした。

「128歳ね、まだ当分生きておられるね。ところで、親より早く死ぬ子供ほど、親不孝なことは無いというよね。お父ちゃんが128歳まで生きてということは、私は何歳まで生きんといけんかいね。こりゃあ、頑張らんといけんねえ」

この時の父のなんとも言えない困った顔、今でもはっきり思い浮かべることができます。
自分の128歳は想像できても、娘のその時は、・・・想像もできなかったのでしょう。

お父ちゃん、おせっちゃんも長い眉毛が2本もあるけれど、128歳は勘弁よ。