おせっちゃんの今日2

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ATMで

2021-02-27 14:02:35 | 日記

昨日夕方、買い物ついでに銀行のATMに立ち寄りました。週末なので次週1週間分の軍資金を下ろしておこうと思ったのです。私は主婦劣等生で家計簿は付けず、1週間これだけと決めてその中で暮らすようにしているのです。

ちょっとした事件(?)がありました。皆さん、こんな場面ではどうなさいますか。

ATMに行くと軒下にワンちゃんが一匹繋いであります。そしてそのすぐ横に若い女性が立っています。あれ?と思って中をのぞくと週末の夕方は、私と同じように立ち寄る人が多いのか少し行列ができています。でもソーシャルディスタンスを知らせる足形は尻尾の方がまだ空いています。
ああこの方はワンちゃんとお連れの方を待っていらっしゃるのだな、とそのまま中に入りました。

「ちょっと!!。並んでいるんですけど!!順番です!」

私にはかなりきつく聞こえる口調でエチケット違反と言わんばかりの声が響きました。

(え?並んでいるの??)。ここで問答を始めることでもありません。慌てて外に出て、

「あら、並んでいらっしゃったのですか、ごめんなさい。どうぞお入りください」。いともまともに返事をし、手で、どうぞの動作をしました。

お入りにならないのです。中の人を確めるように見て、動かれないのです。
(ははん、分った。コロナだ。立ち位置の足型が残っているということは、銀行はこれで密とは考えないのでしょう。私もそのまま並ぶつもりでした。でもこの方には危険な密状態と思われたのでしょう)。先客が次々終えられ出て行かれても、外に立ったままです。昨日は寒かった。夕方は一層冷え込みました。その方が入られないとその後のものは入れません。とうとうATMの前ががら空きになってやっと歩を勧められました。私に鋭い、厳しい声をかけられたにしては、何の挨拶も、お断りもないままでした。

せめて「密が怖いので、ごめんなさい」らしき言葉があればこちらもイラっとはしませんが。まあ、大したことではありませんが。


父の命日の花

2021-02-26 15:16:05 | 思い出

冬に逆戻りした気温に、日差しのない曇天です。それでも春は確実にやってきてくれるようです。先駆けの梅は満開です。我が家の庭では、狭いアプローチの塀にへばりつくように枝を伸ばした木瓜が華やかな赤い花びらを開きました。

もう一つ、白木蓮が蕾を大きく膨らませて、もうじき咲きそうです。白木蓮は父の花と私は独り決めしています。父は明治24年生まれで、10歳年下の母を妻に迎え、8人の子どもを設けました。私は7番目の子どもです。
当時はエリート職業だったのでしょう、陸軍軍人でした。あの戦争を戦後どのように思ったかは、ほとんど語りませんでしたから、そして私自身幼くて、理解しておりません。
ただ、農地改革で今までやったことのない農業を、残された田圃を耕して生きていかなくてはならなくなったこと、追放の身で現金収入はほとんどない生活、急にすべてを失った人は、それまで持っていたプライドも保つことが難しく、不満も持ったことと思います。
90歳目前で、其れこそ生と死の世界の境界線をただ一歩で跨ぐように、あの世に逝ってしまったのです。
通夜の仏事を執り行って、夜外に出て見ますと、白木蓮の大木に、白い、大型の花が満開でした。遺体はまだ座敷に安置してあります。父の魂がこの白木蓮の白の中に止まっているような気がしました。それから、私はこの花を父の花と決めたのです。今住んでいる東京の家を建てた時、庭に、白木蓮を植えました。それが咲くと、「ああおとーちゃんの命日。お供え料を送らなくっちゃ」と思うのです。
考えてみると、昨年は、東京で初めて非常事態宣言が出され、なんだか落ち着きなく過ごして、5兄に送るのを忘れていたような気がします。今年は間違いなく送りますからね。甘いものに目がなかったおとーちゃんに牡丹餅(おはぎ)でも供えてあげてください。

先ごろ、森委員長の発言が女性蔑視の発言だと大騒ぎになりましたが、父の言動はそれどころではなかったと思います。昔の父親は、家族に威厳をもって望むというのでしょうか、皆が和やかにかるた遊びなどしていても、決してその輪に加わるということはありませんでした。難しい顔をして、文句の一つも言いたげににらんで隣の部屋に行ったものでした。
父の納骨を済ませて母と、兄弟姉妹集まって話している時も、なんだか隣の部屋に父がいるような気がして、あ、静かにしなくっちゃ、ご機嫌を損ねるぞ、というおそれにも似た気持ちを持ってしまっていたものです。

威厳を保つ父は、孤独ではなかったのかしら。


めちゃくちゃ多いぞ、「めちゃくちゃ」

2021-02-25 16:04:44 | 言葉

化石人間、うるさいばあさん、昭和っぽいね、と総スカンを食らいそうなことではありますが、このごろやけに気になる言葉があります。耳について不愉快なのです。

「めっちゃ」「めちゃくちゃ」。
一頃、この嘆きと同じことを「すごい」に感じて、ばあさんは落ち着きませんでした。程度を越えたことをすべて「すご~い」で言い表していましたね。語彙がこれしかなくなったのかと思うほど世の中全てをこの言葉で表現していると思われるほどでした。おまけに「すごい」は連体形ですから「すごい美しい」とは言わないはずです。「すごく美しい」と連用形でなければいけないはずです。まちがったまままかりとおっていましたね。

どういう流れなのか、何が切っ掛けなのか、気が付けば「すごい」が「めっちゃ」「めちゃくちゃ」に変わっていました。
言葉は世の中の動きに連れて、変わっていくものだから、気にしなくてもそのうち流れは変わるよ、落ち着いてくるよと軽く考えてもいいのかもしれません。
でも・・・とばあさんは思うのです。語彙不足はそれを使用する人の考え迄底の浅いものにしてはしまいませんか。一つの言葉で物事を深く考えられるでしょうか。

おまけに今、人と人の会話はスマホで、例えばラインなどというものでスピーディに交わされるようです。ばあさんはメールというもので世の中便利になったなと思っていましたが、子ども孫から「メール?遅れてる~。ラインだよライン」と言われ、オタオタその仲間に加わっていますが、あの文字の打ち込みは婆さんの指先運動には持て余します。やっとひとまとめの文を仕上げて打つ頃には話題は次の次迄進んでいます。

大抵はほんのワンセンテンスでのやり取りです。子ども孫に言わせると、受けたらいち早くすぐに打ち返す、これが基本とのこと。少ない語彙と、速さの会話と、考える暇などないですよね。人と人の繋がりがいとも単純、底の浅いものになってしまいませんか。

 


冴え返る

2021-02-24 13:40:37 | 思い出

2・3日の異常な暖かさから、今日は一転冷え込みました。公園で行き会うお顔見知りと、口々に声を掛け合います。
「寒さが戻りましたねえ」
「初夏から一転急降下、真冬になりました」
「クリーニングして仕舞おうとしていた冬物、着かさねました」
それでもこんな挨拶も。
「でも日差しはやはり春ですよね」
「日も長くなりましたしね」
梅は正に満開。紅白が程よく混ざって咲き競っています。

この、梅が見頃の2月から3月にかけて寒さがぶり返すことを意味する季語に「冴え返る」があるのだそうです。(今朝の日経新聞「春秋」)

子どもの頃、この季節に父が同じことを同じ口調で話しました。
「北の冬の神様と南の春の神様が力比べの綱引きをしよってんじゃ。もうじき、春の神様が勝ってじゃろうけれど、それまで風邪をひかんようにせんと」。
「三寒四温」という言葉を習って覚えたことも、2月の別名は「如月」。暖かいと思っていると再び厳しい寒さになり、「更に着かさねる」ことから「きさらぎ」というのだという説もあるということも教えられました。こちらは女学生時代、文学少女だったという母からでした。

美しい日本語ですよね。

 


ぶら下がる

2021-02-23 14:05:00 | 思い出

昨日一昨日の5月なみの温かさに、梅は一気に満開になりました。例年の「せたがや梅まつり」はコロナ対策で中止になりましたけれど、梅見客は結構集まっています。小池知事は人出を押さえることに躍起となっていますが、止めるのはなかなか難しいようです。感染拡大が逆戻りしないように祈るのみです。

私も日課のウオーキングに出かけてきました。公園の一角に大人のストレッチなど簡単な器具を使っての体操広場があります。その一つに、吊り輪が設けられています。ランニングなどの若者がぶら下がって筋肉を誇示している場合もありますが、よく見るのは、パパが子どもを抱っこして、捧げ上げ、輪を掴ませぶら下げようとしている風景です。子どもは喜んでぶら下がろうとするのですが、多くの子はほとんど自分の重さを支えきれずに手を放してしまいます。パパの方も、それを見越して落ちる子を素早く抱きとめる体勢です。

息子Kの幼稚園時代の思い出に記憶が飛びました。幼稚園で、鉄棒にできるだけぶら下がろう!!という時間があったようでした。お迎えに行った時、先生が一人一人にねぎらいの言葉をかけて、さようならをします。

「K君、頑張ったのよね。とても長~くぶら下がれました。素晴らしかったわよ」
褒められてもニッコリ笑顔を見せるくらいで、お話はできない子でした。お家でも夕食の時、パパにほめられたことを報告しました。大袈裟に褒めてもやりました。
「おいら、まだぶら下がっておれたんだけどね、皆が退屈し始めたと思ったから、いい加減で下りたの」
今の大人言葉で言えば、空気を読んで、忖度したというのでしょう。

4月に入園して、首を振って「うん」と「ううん」の表示をするだけで、先生に自分からは話さない口の重い子でした。この鉄棒で自信が付いたのでしょうか、間もなく連絡帳に「今日、K君、初めて私に話しかけてくれました」と書いてくださっていました。今はマラソン、ウルトラマラソンに力を入れている、走るおじさんです。