おせっちゃんの今日2

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米を売る

2023-09-30 16:17:18 | 時の流れ

昨日の夕方、ニュースでこんなことが話題になっていました。

東京都が、物価値上げで困窮が考えられる所帯に、無料で米を配った。私は、非常の場合の備蓄米を放出したのだなと思いました。一日よ食に減らして生きている人もいると聞きますし、助かったと家族で喜んで白いご飯を頂いただろうと思いました。

ところが、予想に反しました。無料配布米がネットで売りに出されているのだそうです。テレビ画面には都知事が出て、「転売禁止と袋には明記しましたし、にもかかわらず転売されたのは残念です」とがっかりした様子で会見打ち切っていました。

私は自分の思い描いたことと、現実は全く違ったことにびっくりしました。
そうか、転売されたコメは、気に入られなかったのだ、「コメはブランド米でなくっちゃ、こんな米食べられないわよと好意を無にし、おまけに自分の気に入らないものを、それでも金に換えようとしたのか」と、残念だと思ったのでした。

私は全くそんな景色とは違った映像を思い出していました。
小学生の私はべそをかき、涙をためたまま、どうしよう、いけないことをしたと固まっていました。
すぐ前に、「明日学校にお金を納めなくてはいけない、用意して」と言ったのでした。母は困った顔をして黙っていました。「ねえ、あしたよ」と念を押したのです。半べそをかきながら。

母は米櫃を開けました。中には、やっと配られた配給米が入っていのです。今から家族が食いつないで行かなくてはならない大切なコメなのです。母はそれを升に入れて図りました。5合だったでしょうか、一升だったでしょか、どなたかに買ってもらおうとしたのです。これを売れば、家族が食べる米は確実に減るのです。それでなくても足りない米です。
私は自分が困ったことをしたことが分かりました、母の手を止めることはできませんでした。ただ固まっていたのです。

ネットで売りに出されている米が、全てが、こんなもの食えない、と売りに出されたものでしょうか。中に何人かでも幼い私と同じ苦しみを感じながら、食べずに金に換えざるを得なかった人がいたのではないか。本当はそういう人にだけ配りたいよね。一袋ではなく、二袋でも、三袋でも。

 


田辺聖子・・・自我定期券説

2023-09-29 14:47:45 | 読書・映画

田辺聖子のエッセイ続き

自分の力は、定期券のように、必要なところで、必要に応じて出せばいいのだ。

結婚することと、仕事をすることは両立しない、と悩んでいる若いお嬢さんが多いが、そのどれ一つだって完全に出来た人は昔から、ほんのわずかな人だけである。

双方どっちつかずでいいのである。完全主義になろうとするから、悩むのである。

十の力を五つずつ分配すれば双方楽しむことができる。
十の力をどっちにも振り分けて二十の力になそうとするから破綻が来るのである。

努力で十にも二十にも、もっともっとと励ますより、どっちつかずで、双方を楽しく・・・と、これ名言。
読んでいて、心和み、なんだか自信が持て、世の中明るくなってきたような気がします。

他のエッセイにこんな言葉もありました。

「とるに足らぬ些事は考えない」。「コンマ以下は切り捨て」
人の世の諸々の下らぬことはもう考えないことにしよう。そうして人生を楽しもう!!と思う。

ばあさん、分配するほどすでに体力知力も無くなっているけれど、聖子さん方式で分配して、残りの人生まあるく、楽しくやっていきますわ。

昨日今日の引用文は、田辺聖子著 「老いてこそ上機嫌」より引用させていただきました。

 


ふるさと納税・これでは役に立たないのでは

2023-09-28 16:44:06 | いろいろ

9月も終わりになります。役所仕事は期末になるのでしょう、ふるさと納税は締め切られるようです。

ふるさと納税って、その目的を全うしているのでしょうか。テレビなどでも取り上げていますが、国民の欲の皮を突っ張らしているようなものではないでしょうか。昨日のブログに書きましたが、田辺聖子さんのおっしゃる、多くを望むさもしい人間の欲望を満たすだけではないのでしょうか。

と言いながら、我が家でも、この制度が始まった時、観光をした九州の市が気にいったと、納めたのでした。思いもかけず、大きな荷物が届きました。その地の酒、名物の食品、などどっさりでした。
深く考えることもなく、良かったねと、食卓に乗せたのでした。
でも・・・と、おせっちゃんは考えました。こんなに返礼品をお返ししてくれて、寄付した金額はその市の収入としてどれだけ残るのだろう。お役人の何人かが、これに付きっ切りでその人件費も計算できているのだろうか。と心配になったものです。夫は、名物の宣伝になって、収支は成り立つのではないか、と言いましたが、私は何か納得いきませんでした。

そもそものこの制度の始まりは、生まれ育った自分のふるさとに、離れてしまったふるさとに、少し応援の手を差しのべるという趣旨だったのだと思います。返礼品など望んでいなかったと思います。
それが、返礼品の格付けをするように、どこの都市に、いくら寄付すれば、こんないいものが返って来る、競ってネットを睨んで、もらうことが目的になってしまったのですよね。
また考えてみれば、本来なら、自分の今住んでいる所へ納めるべき税金です。この制度で、返礼品のいい所へと流れてしまう税金のせいで、肝心の自分の住んでいるところの収入が減ってしまって、困っているということも聞きます。

恩返しのために寄付としてする納税が、もらうのが当たり前、もらわなければ損、いいものをくれるところにと変わってきてしまったのですよね。
おかしくありませんか。強欲ではありませんか。さもしくありませんか。
わが家では納税者の夫が病んで、事務処理が出来なくなり、おせっちゃんやりなよと事務仕事を押し付けようとしましたが、私は断りました。頑固だねえ、と不満顔の夫ですが。

 


多きを求めない・・・田辺聖子

2023-09-27 13:45:50 | 読書・映画

この夏の暑さの中で、下肢の不調にぐったりしていました。ブログもお休みにしてひっくり返って読書を決めこみました。と言っても目は疲れる、頭は老化するで、大作に取り掛かる状態ではありませんでした。
田辺聖子さんの、エッセイ集を図書館から借りてきました。同感できる主張もあり、少しずつ読んでいきました。中に「多きを求めない」がありました。

このごろの人間は、人に多きを求めすぎるのではあるまいか。
人と人が心を通わせ、仲良くするというのは、相手の好意をむさぼることではないし、相手の欲しないものを、好意と思って押し付けることでもない。(多少引き写しに間違いがあるかもしれない。お許しを)

確かに、好意を持ってくださるとうれしい気持ちになります。こちらからもお返しして仲良く、などと思います。でも過ぎたるは及ばざるがごとし。行為のやり取りが何か汚さを含むようになることもあるように思います。

世界中をコロナ禍が覆いつくしました。その環境の中で、国の舵取りをする方々は、助成金というもので民のこころを励まし、経済的にも救おうとしました。コロナ真っ盛りの時は勿論、少しおさまって経済的に沈み込んだ社会を立て直そうとした時、まあ、特別会計というものがこれほどあるものなんですね、美味しいものを食べればいくら、旅行をすればクーポン割引、甚だしくは上手く使えば、お財布が逆に太る方法までがワイドショーを賑わせました。
景気の立て直し、これが大きな契機になるのですね。でも私にはその額が実感できるだけの力がありませんでした。

そうしたお祭り騒ぎにも似たわさわさ感の中、人間は欲深になって行ったような気がします。何事も助成してくれ、これは割り引かないのか、乗り遅れてうまみにあり着き損ねたら大変、大損だ、とみんなが浮き足だったような気がします。

人の心の潔さが傷つき、意地汚さが表に現れ、まだまだ必要かと思われる感染防止の用心などどこか飛んで行ってしまったようでした。


オンラインの効用

2023-09-26 13:49:37 | いろいろ

義姉を失ったことはお話いたしましたね。まだ、受け入れることに戸惑うことがあります。

今日は、こうした連絡を密にしたいとき、オンラインがいかに便利か思い知ったことを書きます。
息子が自分のマラソンをつぶして、最後の女子会を成立させてくれたことは書きました。
今度はお別れの葬儀です。課題は、「病人を長く一人で置いておくわけにはいかない」ということです。私は胸に湧き上がる行きたいの気持ちを押しつぶさなくてはならないだろうと観念していました。
だが、子どもたちは「それは出列席しなければ」と考えてくれたのです。
有難いという気持ちと、その温かい心に感激していました。
ラインが飛び交います

ウイークデイです。おまけに会社を休むには突然です。息子は困っていました。

「いいよ、いよいよとなったら私が上京しよう。朝一番に乗ればお昼前にはじいじの所に行けるから、昼ご飯はできるよ。夕方おせっちゃんが帰ってきたら、最終の新幹線で山口へ帰ろう。パート先に迷惑もかけないし・・・」
「そこまでするのも・・・」私は躊躇します。Kが思いつきます」
「ああそうだ、その日は午前中はお客さん訪問をしなければならないけれど、午後はオンラインでの仕事だった。じいじの家でやればいいよ。弁当買って持って行ってじいじに食べさせ、おいらも食べる」
「そうだね。山口から駆け付けるよりいいね。おせっちゃん、大丈夫、葬儀でられるよ、火葬場にも行けばいいよ」

「う~ん、オンラインで仕事ができるんだったね」

私は私で、介護保険のリハビリに行く夫の送り迎えを、係の人に頼む交渉をしていました。話を端折りますが、お安い御用と引き受けてくださいました。私の火葬場まで行くことはできませんが、子どもたちに無理をさせることは無くなります。結局この方法で切り抜けることにしました。

みんなの気持ちで、義姉を送ることが出来ました。

大変時は、重なる時には重なります。実家で暮らしている兄が、転んで脊柱圧迫骨折で入院したのです。義姉が早くに亡くなり、子どもたちが独立して出て行ってからは一人暮らしなのです。もう一人兄が、Uターンして同じところに暮らしていますが、何しろ歳です。自分のことが精いっぱい、手伝うことなどできません。
三人の息子の末っ子が帰省して父親の面倒は見ているとのことでした。「そんなに長く、会社休めないだろう」と心配していたら、そこもオンラインが活躍してくれているようです。

Tくんが、オンラインで仕事ができるんだって。パソコンで仕事をして、連絡付けて、それでまにあうんだって。とらい太から報せが入りました。ほっとしました。

いろいろ問題はあるにしても、便利なものですねえ。