ありふれた言い方ですが、時の過ぎ去る速さは驚くばかりです。つい先ごろお節を祝ったと思うのに今日で1月は終わりです。早くも12分の1今年が過ぎ去ったのです。
地球温暖化はどうしたの?と思ってしまう大寒波。恵まれていると有り難く思う東京です。天気予報図に、お日様マークが並んでくれます。日本列島の真ん中を走る山脈が北からの風を防ぎ、雪も北側に降らしてくれます。ありがたいと思いながら、関東平野の分まで引き受けて積雪と戦って下さっている地元の方のご苦労を思い、申し訳なく思うのです。
私は、福島市で5年間暮らしたことがあります。夫となるべき人が(夫ですが)婚約中に福島支店に転勤になったのです。慣れない新婚時を慣れない土地で暮らしました。二人の子供は福島で産み育てました。
息子Kの生まれた年の冬はその地の人も、珍しい寒さという厳しい低温と雪でした。子供たちが大きくなってから「その寒さは尋常ではなかったよ。最低気温がマイナス10度越え、最高でもマイナス5度という日が10日も続いたんよ。その中で、赤ん坊のあんたたちを殺しもしないでお守したんだから・・・」と恩に着せて言うのが、私の寒さ表現でした。
朝目覚めると、まず大きな薬缶をかけて、ガスを付けます。その当時湯沸かし器はまだ普及していませんでした。沸いた薬缶を抱え、玄関へ。金属製のドアの下にその湯をかけて氷を溶かします。やっと密室解除です。朝食中に洗った洗濯物をベランダに干そうとします。これもまず熱湯をガラス戸の下にかけなければ開かないのです。ガラス戸を閉めておむつを干します。洗濯機も旧式で、2本のローラーの間に挟んでしぼるという代物でした。板状のおむつを傘の骨のようなおむつ干しに掛けていると、そのまま板状に凍ってしまうのです。部屋では子供が泣いています。入ろうと思ったら、先ほど溶かした水が再び凍って開かない!!焦りまくって、火事場の馬鹿力で・・・となるのでした。
全く水が出なくなって、2日目の夕方。水道屋さんが火炎放射器を担いでやってきました。大体の位置を確めて、凍り付いた雪の上から炎を吹き付けました。地下に埋まっている水道管の中を溶かしたのです。
私は山口県の瀬戸内海側の市で育ちましたから、驚くばかりでした。
日本海側の雪国でのお暮しを思い、早く春にと思うのです。
門までの狭いアプローチに隣との境の塀にしがみつくように育っているボケが可愛い新芽と蕾を日ごと大きくしています。私が父の花と思うハクモクレンも蕾を大きくしています。公園に行くと、こんなに寒い冬なのに、いつもの年より早く、紅梅白梅開き始めました。今年は3年ぶりで「せたがや梅まつり」が開催されるようです。
春を待ちましょう。