おせっちゃんの今日2

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父の命日の花

2021-02-26 15:16:05 | 思い出

冬に逆戻りした気温に、日差しのない曇天です。それでも春は確実にやってきてくれるようです。先駆けの梅は満開です。我が家の庭では、狭いアプローチの塀にへばりつくように枝を伸ばした木瓜が華やかな赤い花びらを開きました。

もう一つ、白木蓮が蕾を大きく膨らませて、もうじき咲きそうです。白木蓮は父の花と私は独り決めしています。父は明治24年生まれで、10歳年下の母を妻に迎え、8人の子どもを設けました。私は7番目の子どもです。
当時はエリート職業だったのでしょう、陸軍軍人でした。あの戦争を戦後どのように思ったかは、ほとんど語りませんでしたから、そして私自身幼くて、理解しておりません。
ただ、農地改革で今までやったことのない農業を、残された田圃を耕して生きていかなくてはならなくなったこと、追放の身で現金収入はほとんどない生活、急にすべてを失った人は、それまで持っていたプライドも保つことが難しく、不満も持ったことと思います。
90歳目前で、其れこそ生と死の世界の境界線をただ一歩で跨ぐように、あの世に逝ってしまったのです。
通夜の仏事を執り行って、夜外に出て見ますと、白木蓮の大木に、白い、大型の花が満開でした。遺体はまだ座敷に安置してあります。父の魂がこの白木蓮の白の中に止まっているような気がしました。それから、私はこの花を父の花と決めたのです。今住んでいる東京の家を建てた時、庭に、白木蓮を植えました。それが咲くと、「ああおとーちゃんの命日。お供え料を送らなくっちゃ」と思うのです。
考えてみると、昨年は、東京で初めて非常事態宣言が出され、なんだか落ち着きなく過ごして、5兄に送るのを忘れていたような気がします。今年は間違いなく送りますからね。甘いものに目がなかったおとーちゃんに牡丹餅(おはぎ)でも供えてあげてください。

先ごろ、森委員長の発言が女性蔑視の発言だと大騒ぎになりましたが、父の言動はそれどころではなかったと思います。昔の父親は、家族に威厳をもって望むというのでしょうか、皆が和やかにかるた遊びなどしていても、決してその輪に加わるということはありませんでした。難しい顔をして、文句の一つも言いたげににらんで隣の部屋に行ったものでした。
父の納骨を済ませて母と、兄弟姉妹集まって話している時も、なんだか隣の部屋に父がいるような気がして、あ、静かにしなくっちゃ、ご機嫌を損ねるぞ、というおそれにも似た気持ちを持ってしまっていたものです。

威厳を保つ父は、孤独ではなかったのかしら。