おせっちゃんの今日2

こちらでお仲間入りいたします。
よろしくお願いいたします

マスク顔で笑顔

2021-02-16 13:51:47 | コロナウイルス

コロナ感染予防のためのマスクが外せない。
昨日の日経新聞「あすへの話題」にこんなことが書かれていました。(伊藤忠商事会長 岡藤正広)

女性社員が取引先のアパレル店の様子を見に行った。お店の女性店員がもぞもぞ何かやっている。どうすればマスクをつけていても笑顔が伝わるかを研究しているという。感激した女性社員は自らもその場にとどまって、一緒に行動した。

きっと、その場でじかに会った客と店員は、マスク越しでも心が通じたことでしょう。顔半分を隠しても、真心を込めた感情は目を通じて感じ合ったに違いありません。
やはり直に会うことが大事なのでしょう。心は通じるのでしょう。

公園をウオーキングすること以外はほとんど出かけるということのない私も、最近公園での出会いに元気づけられています。小さなお友だちとの出会いです。
一人は金髪の男の子。まだ1歳半ほどかな。パパは日本語ペラペラのアイルランド人。ママはカナダ人だとのこと。ウイークデーは昼間はパパが育児で、ママは日中お勤め。夕方交代。パパはお勤めに。
この男の子がかわいい!初めはおはよう!!の声掛けに照れたような睨むような不安な顔をしていましたが、最近顔を覚えてくれたようです。にっこり笑ってくれるようになりました。
あと一組(?)。男女の双子さんです。こちらも同じくらいの年齢でしょうか。ウイークデーはママをじいじかばあばかが手伝っています。週末はパパママ。こちらも最近笑ってくれるようになりました。女の子の方がおしゃまさんかな。まだ言葉にならないおしゃべりで語りかけてもくれます。

コロナでふさがっている気持の硬さが、三人の笑顔で一挙にほどけます。考えてみれば、私は顔半分はマスクで覆っています。それでも、慣れて来るうちに真心は通じるのですね。にっこりと半分隠れたにっこりで、元気を取り戻します。

子どもってかわいい!! マスク無しの笑顔で対せる日の一日も早からんことを。


昭和という時代

2021-02-15 16:06:15 | 言葉

先日来、森会長の進退・後任人事がかまびすしい。失言の事後処理がまずくて、後任の人事の人選、その透明さを求める声が大きくなって、目前に迫ってきているオリンピック・パラリンピックはどうなるものやらと、コロナ問題もあるし、お祭り気分にはなれない混乱です。
私の考え?何か一声纏めたいけれど、わが力では何もできない。
ただ私は、女性蔑視から始まったことだから、次は女性をという短絡的な決め方には抵抗感を覚えます。本当にこの場にふさわしい、世界に通用する人を、男女のことはちょっと置いて決めていくべきだと思います。

ニュースショウを見ていると「ショウワだねえ」「ショウワの匂いがする」という言葉が聞こえてきました。私にはえ??なぜここに昭和がでてくるの?と理解できませんでした。しばらく聞いていると、要するに、「古いよねえ」「化石時代だ」「老害だ」というような、時代に乗り遅れている年寄りの、どうしようもなさをこれらの言葉で言っているのだとわかりました。

少々憤慨もしましたが、自らを省みて、確かに急速に世の中は動き、進化し(必ずしもいい方向にばかりではないと嘯いてもみますが)、いろいろなことの価値観がどんどん変わってきていることは事実です。自分がもはや過去の人間だと思い知ること多多であることあるある。

それにしても「昭和」がそんなに古い時代に、過去になっているのですね。

つい先ごろ、母のことを記事の一部にしました。それを書く時母の生まれたのは確かに明治34年だったよね、と確かめたくなりました。手帳の最後の方に、年齢早見表があることは知っていましたからそれでみようと思いました。ページを開けてみてびっくりしました。大正10年からしかないのです。年齢で言えば今年100歳までです。
確かにいくら長寿時代になっているとはいえ100歳まで生きる人は少数派でしょう。これで用は足りるのですね。
飛ぶように過ぎていく年月、もういらないよと削られるのも間もなくなのだ、「昭和」は若者にとってはそんな時代もあったのね、という歴史上の時代なのかな。

 


冬薔薇

2021-02-12 14:56:34 | 日記

今朝の日経新聞の広告欄に、上野千鶴子著 「在宅ひとり死のススメ」がありました。
昨日に続いて、買いもせずに言葉だけを使わせていただきますが、
「老後の幸せ度」は「おひとりさま」が最も高く、最低は、「おふたりさま」世帯。とありました。

それが頭にあったからでしょうか、いつものようにウオーキングに出かける道筋に、冬バラが咲いているのに目が止まりました。春立つとはいえまだ寒さ厳しい冴えかえった空気の中に、見事に咲いておりました。カメラに収めて、ウオーキングをしていると、ふっと句が浮かびました。

冬薔薇独り生きると決めた日に

フィクションです。幸か不幸か、私は今のところ「おふたりさま」です。

母の晩年を思いました。明治24年生まれの父、34年生まれの母。森さんの女性蔑視など軽い軽いという男性中心の世界でした。父は、90歳直前で亡くなりました。ということは母は80歳前で「おひとりさま」になったことになります。
「おひとりさま」の母は「今が一番幸せかもしれない。何しろ、私が大将じゃけん。好きなように生きちょるよ」と曲がった背中をそらすように笑っていました。母が亡くなった後には出かけることもほとんどない生活なのに何時着るつもりだったのかしら?と思う高価な大島紬の訪問着が残されていました。戦後の貧しい暮らしの中で、財布は父が握っていましたから、買いたいものも買えない生活だったと思います。この時期が一番自由を満喫したのかもしれません。

先日、私が保管していたその大島の行き先が決まりました。らい太の長男のお嫁さんが引き受けてくれることになったのです。らい太が言いました。「まあ、良かったんじゃあない?お母ちゃんも最後自由な満足な時期を楽しんだんじゃから。一世一代、大盤振る舞いの自分へのご褒美だったんでしょうから」と。

そんな、短い時をを楽しんだ母も、だんだん弱って来ると心細さを感じているようでした。それでも気丈にひとりで暮らし、ある日、一人で旅立ちました。気にしていた父の7回忌を済ませて逝きました。身の回りの始末はきちんとしてあり、すぐ前まで5兄の嫁と電話で話し、苦しみもせず、一瞬で生と死との境を越えたようでした。


長嶋・王・星野からの言葉

2021-02-11 15:28:21 | 言葉

今日は全く手抜きの、ずるい記事です。新聞の書籍の宣伝から引いた言葉です。その本を求めて読んだわけではありません。広告から言葉を取って書いているのです。

「はるかな人たち・一流の証明 川手洋一 著」です。川手洋一氏は元バンキシャで、その後家庭用品商社を立てあげ今は取締会長になっている人のようです。
文面からの私の類推では会社を立てあげた時、資金繰りの苦しい時代もあったのでは。成果が上がらないこともあったかもしれない。そんな時、バンキシャ時代に知り合っていた野球人に相談を持ちかけたり、弱音を吹いたり、愚痴をこぼしたりしたことがあったのでしょう。

そんな時、人生を支えた言葉や、教訓になった言葉や、励ましの伝言ももらったのではないか。
どうもそれをまとめたものらしい。

● 長嶋茂雄氏の言葉 
   「悩んでいるのか。それがいいんじゃないか。いい仕事をしている証拠だ」

● 王貞治氏の言葉
   「成果が出ない?それじゃあ、まだ、努力と呼べるようなことしてないんだよ」

● 星野仙一氏の言葉
   「商売は大変だろ。倒れそうか、そうか、倒れるんなら前むいて倒れろよ」

歳とったことに甘えて、ぐうたらぐうたら努力など少しもしないで、全てをコロナの所為にして生きている近頃の私には、カツを入れられたような言葉です。今の自分にできる範囲で、せいぜい毎日を明るく生きよう!!


折々のことばコンテスト

2021-02-10 16:26:04 | 言葉

いよいよネタに詰まった時に助けていただくのが朝日新聞「折々のことば」でした。今、筆者がしばらくの休養を取って、また新たに続けると、この欄はない日が続いています。その空白を埋めるように6日には「天声人語」が全国の中高生から寄せられた2万9千の言葉からいくつかを紹介してくれていました。

● 札幌市の中学生は宮城県に住む祖母の言葉を大切にしている。
「食う分さげあればいィ」「(コロナなんて)津波に比べだら屁でもないよ。」「濡れでないし、寒ぐないもの。どうなっかわがんないごとに人はビビるんだっちゃ。起ぎて食って寝る。あどなんにもいらんべし」

日常の大切さを学んだ。

● 大阪市の中学生
テストで書き間違いをした。「肥満」を「脂満」と書いた。
兄「その方が正解っぽいやん」
父「お父さんのお腹は脂で満たされているぞ」
家族の笑いに救われた。

● 小田原市の中学生
「靴の脱ぎ方であなたが分かる」という母の言葉。
2年前、「学校を少しやすんだら」と母から声をかけられた。雑な靴の脱ぎ方で、なにか辛い目にあっていると見ぬかれた。

● おせっちゃんの母からの教え
「落ちている紙は拾いなさい」
高校入試の2日目、面接があった。その前日の夜、「ある人から聞いたんじゃけれど、面接会場に白い用紙が落ちていたんじゃと。知らない顔で無視して面接員の前に行く人が多かったけれど、拾ってきちんと畳んで机の上に置いた子は全員合格だったと聞いたよ」と。

そんな仕掛けはなかったけれど、母のこの教えは心に残った。我が家では娘、息子に同じことを言い伝えた。娘息子が孫に言い伝えたかは知らないけれど。

● 学生時代家庭教師をした中学生のお母様の言葉。
「皆勤賞は立派なのよ」
この子に、勉強ができないと非難はできません。私も決して優等生ではありませんでした。でも頑張って小学校から高校まで皆勤賞を連続いただきました。就職試験の面接で、”自慢できることはありますか”と聞かれた。特になくてもじもじしていると、”皆勤賞を連続でもらっているではないの。素晴らしいことよ。自慢していいのよ”と言われ、そのおかげか合格しました。