織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

南ア・鳳凰三山紀行(13) 「鳳凰山私説」

2012年05月23日 | 南ア・鳳凰三山紀行





南ア・鳳凰三山紀行(13) 「鳳凰山私説」 .








奈良法皇(孝謙天皇)は甲斐の国の奈良田に、八年間在位されたという伝承もあり、病を癒された上皇は甲斐の国を巡視しながらも仏教に力をいれ、神仏習合の制度を更に進めることになる。 

ある時、韮崎の西にこんもりした山が聳えていたので、お登りになり周囲の山々の展望を楽しんだ。
この山地は古くから人々が生活していた痕跡もあり、頂上には社宮があって、前衛の峰越に「おおとり」(大鳥、鳳鳥)のような高嶺が望めた。
上皇は大空にすっくと立つかなりの高さの大岩塔を見てびっくり、自然の偉大さに驚き、神々しささえ感じた。
垣間見る大岩塔は仏像にも思え、地蔵仏そのもので、この山域の奥の院そのものであった。
何時の日かあの尊佛を拝謁しようと心に決めた。


そして充分に体力を整えた後、天平宝字5年(761年)、上皇は身内の随員と地元の山案内人を立たせて奈良田を出発した。
奈良田の里宮を出発した一行は、ドノコヤ峠を越えて桃の木の豊富な桃源のような里に達した。 
遷宮の地・奈良田から桃の木までは僅かな距離であった。
アルプスの大自然に囲まれた温泉も豊富に湧き出る地でお休みになり、この時、渓谷の中の平地に山桃の群生をご覧になった、この地を桃の木平とし温泉を桃の木温泉としたという。
この後、夜叉神峠峠を経て鳳凰山の山塊に取りつき、辻山から薬師ヶ岳辺りで御休所とし当地で併せて修験を積んだとされ、この辺り一帯を「御室の地」と称してた。
更に、上皇は険しい峰々をお登りになって、遂に心に念じていた地蔵仏である大岩塔に自ら身を捧げ、病気の完全治癒と国家安泰を祈願拝謁した。
上皇はこの山岳の名を地蔵岳にせよ、更にこの高嶺全体を「おおとり」と御身に倣って「鳳凰山(法皇山)とし、それぞれの山頂部を観音、薬師の名を付せよと命じたと言う。
この後、燕頭山、旭岳に至り麓の地でお休みになった。 この御休み所を後に御座石と命名したと伝えられる。 この時、霊泉が湧くのを発見し、更に、この山郷で薬草などをお見受けしたとされる。
帰路は、鳥居峠から進んで韮崎の里へ、更に、先刻伺った苗敷山の近くを通り再び桃の木へ至って、その後、奈良田へ下りたという。


奈良田で八年間の第2の人生を過ごされた上皇は、第一の故里奈良の平城にお戻りになって、再び、第48代の天皇の位置に帰り咲いた。
天皇の名を「称徳天皇」と称した。
政権の中枢に戻った称徳天皇であるが、在位中は必ずしも順風ではなかった。
六年間の在位中で最大の出来事は、「道鏡事件」であった。
「宇佐八幡宮神託事件」とも呼ばれるが、道鏡が皇位を窺った前代未聞の出来事でえあったがが、和気清麻呂の活躍によって、皇統の断続は免れるという象徴する出来事と言えよう。
称徳天皇の治世は、幾つかの仏教保護政策を除くとめぼしい政策はほとんど見られないという。
その仏教保護の中でも次々と大寺に行幸し、東大寺と並ぶとされる西大寺(奈良市にある寺院で、真言律宗総本山であり南都七大寺の1つ)の拡張や西隆寺(西大寺そばの右京一条に建立)の造営、百万塔の製作を行うなど仏教重視の政策を推し進めた。一方で神社に対する保護政策も厚く、伊勢神宮や宇佐八幡宮内に神宮寺を建立するなど神仏習合がさらに進んだとされる。



次回、 「鳳凰山の名称





【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉

東北紀行2010内陸部    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」






南ア・鳳凰三山紀行(12) 「孝謙天皇の父」

2012年05月22日 | 南ア・鳳凰三山紀行
.




 南ア・鳳凰三山紀行(12) 「孝謙天皇の父」  .



奈良法皇(当時の孝謙天皇)は甲府盆地郊外の韮崎の西にこんもりとした神聖な山・苗敷山の評判を伺って登拝することにした。
山頂に立って優れた周囲の山々に驚嘆し、特に鳳凰山(当時は、大鳥の峰)を眺めて、その山様の輝けるような特異さに感銘を受け、何時かはアノ山に登って観ようと感じたのであろうか・・?。


因みに、孝謙天皇の父とは、かの仏教に教化された聖武天皇である。
奈良期における古代は、政治と宗教が分けることのできない、密接な関係にあった時代であった。
聖武天皇が737年頃から、天変地異、飢饉、流行性の病などのその対策として、奈良の都に巨大な大仏(盧舎那仏)を建立した。

それは、鎮護国家(国の災いをしずめ、平和にすること)のための大仏を造り、人々の不満のエネルギーを大仏づくりという大規模な事業に向けさせることで、人々の心を一つにしたいという願望もあった。
更に、全国の国府(国衙)において、国ごとに国分寺や仏像を建てさせた。
このことは、当時の天皇が政治を行ううえで、宗教のもつ超自然的な力を必要としていたことを示している。


さて、平安時代の甲斐の国の国府は、現在のところ確かな場所は確定されていないようだが、八代郡の御坂町国衙地区(こくが 現、笛吹市)ともされている。 
そして、甲斐国分寺はこの地の至近にあったとされていて、発掘調査の結果いくつかの礎石が発見されている。
甲斐国分寺は、東西220m、南北225mの寺域を持ち、中門から廻らした回廊の内部に塔を置くなど、大官大寺式伽藍配置(官寺とは天皇が建立し朝廷によって経営される国立の寺院のこと、大寺とは文字通り大きな寺、重要な寺という意味である)であることがわかっていて、国分寺の在りし日の姿を語っている。
現地には、史跡甲斐国分寺址の碑や聖武天皇勅建古道場といった碑が立ち、大正11年(1922)に国の史跡指定を受けている。

又、この地には甲斐の国・一宮(浅間神社)や甲斐国の総社である甲斐奈神社(一宮町)が鎮座している。
このあたりは桃の花の美しい所であり、南アルプスと満開の桃は、まさに甲斐の国の最も美しい好処といわれる。
浅間神社といえば甲斐の国には、本社である富士山も聳える。


聖武天皇が病に倒れて重態に陥った後、皇女・皇太子であった孝謙天皇(第46代)に位を譲った。 
しかし、病弱だった孝謙天皇は僅か9年で次代の淳仁天皇(第47代)に譲っている。

聖武天皇同様、仏教に帰依(神・仏などすぐれた者に服従し、すがること)していた孝謙天皇(この時点では上皇、法皇)は、病を癒すとして東海道から富士を眺め、甲斐の国に入って甲斐の国府(国衙)や国分寺を巡視され、その後、奈良田の湯治場に向かったと想像するのである。



次回、 「鳳凰山私説




【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉

東北紀行2010内陸部    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」






南ア・鳳凰三山紀行(11) 「苗敷山」

2012年05月18日 | 南ア・鳳凰三山紀行
,




南ア・鳳凰三山紀行(11) 「苗敷山」 .





穂見神社奥宮(韮崎市)




韮崎市郊外の苗敷山は、信仰に関わる遺構が残る文化財の宝庫といわれる。


「苗敷山」(なえしきさん)は、標高1,035mの鳳凰三山前衛の山で、古くは平安時代より続く修験道と仏教が融合した山岳信仰の山であったとされる。
山頂部には、穂見神社奥宮の本殿や宝生寺の跡など、古くから平安時代より続く神道と仏教が融合した山岳信仰の山とされてきた。
しかし、明治時代の廃仏稀釈により神社としての道を歩み、現在は穂見神社の社が残るのみとなっている。
又、苗敷山は、豊穣を祈願する信仰の対象であり、麓の集落である山寺には穂見神社の里宮が所在し、奥宮までの登拝ルートには、登り口からの道程を示す指導丁石が立てられているという。


この苗敷山、穂見神社は南アルプスの鳳凰山を拝するための山岳信仰の場として造営されたともいわれ、更には稲作の神としてかつては広く信仰を集めていた。
現存する社殿は元文元年(1736年)に再建されたもので、本殿・渡殿・拝殿が一体となった権現造りで、数少ない山岳信仰の神社としてたいへん貴重なため、韮崎市指定の文化財に指定されている。


苗敷山(旭山)の信仰は鳳凰三山と一体のものであったとされる。
県道12号線沿いの上條南割竹ノ内地区に鎮座する穂見神社は里宮で、その奥社は苗敷山頂に有る。 
その苗敷山の穂見神社の社伝には・・、
『苗敷山には古来より鳳凰山を拝する斎場があったそうで、西暦724年、六度仙人と山城王子が、長く続いていた水害から住民を救い、稲作を教えたと伝えられる。上古(じょうこ;日本史、特に日本文学史の時代区分で、文献を有する限りで最も古い時代。7世紀以前)、甲斐の国が洪水により湖水と化した時、鳳凰山に住む「六度仙人」が、蹴裂(ケサキ)明神と力を合わせ、南山を決削して、水を治め平野とし、里に住む山城王子がこの地を耕し、稲苗を敷き、民に米作りの道を教えた。これを以って国中の人々は、六度仙人を国立大明神、山代王子を山代王子権現として両神を山頂に祀り苗敷山と呼んだ。聖武天皇の御代神亀元年(724)に延喜式内社、穂見神社を建立したが、中世になり山岳信仰の仏教、修験道との習合が行われた。』

六度仙人とは、鳳凰山の神在丘に止住していて、大いなる神通力を発揮したとされている。
又、蹴裂明神とは治水の神だともいわれる。

太古の甲府盆地は湖であったともいう伝説があり、そこで蹴裂明神が鰍沢の南の山を足で蹴って切り開き、湖水を富士川に落して、広大な平地を得て国造りをしたという。
韮崎市旭町の穂見神社の伝説では、大洪水で甲府盆地が湖水と化したとき、鳳凰山に住む仙人が、蹴裂明神と力をあはせて山を切り開いたとされ、更に、この里の王子が新しい土地を開墾して米作りの道を教へたという。
甲府盆地には蹴裂明神など、水の神をまつる神社も多い。


苗敷山(旭山)の奥宮からはツツジで有名な甘利山が、その上に千頭星山から御所山につながる尾根があり、更に、その上には鳳凰山が連なる。 
その頂上付近はもう既にかなり早くから冠雪し、そして遅くまでの残雪が輝き、白く青空に映えている。 その右には、甲斐駒が聳えるが・・。

鳳凰三山の山並みは天を覆うが如く雄大に広がり、その最奥部にたたずむ地蔵が岳・オベリスクは自然の造形にしては余りに神仏に喩えたくなる程の神々しさで屹立している。
この岩の峰を昔の人は大日如来として崇敬した。 
そしていつしか法王の山、鳳凰山の名が生じたとされる。


次回・ 「孝謙天皇の父





【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉

東北紀行2010内陸部    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」







南ア・鳳凰三山紀行(10) 「早川町奈良田」

2012年05月17日 | 南ア・鳳凰三山紀行
.



  南ア・鳳凰三山紀行(10) 「早川町奈良田」  .



古代奈良期の甲斐の国は、孝謙天皇(奈良法皇)に纏わる数多くの伝説・伝承を残していると言われる。

山梨県早川町に奈良田という山深い一画がある。
武田信玄から商売諸役免許(賦役税の義務を免除したもの)をうけて以来明治まで、甲斐の国800有余カ村のうち、ただ一村だけ無石、無高であったという地域である。

奈良田というのは現在でも不思議な曰く(いわく)のある土地らしく、その一つにこの地域に孝謙天皇がご遷居したという伝説があり、居宅跡には簡素ではあるが「奈良法皇神社」というのが建立鎮座している。
そして、それにまつわる七不思議などもあり・・・・、





事情で詳細は下記、「新・日本紀行」へ
 http://orimasa2009.blog22.fc2.com/





【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉

東北紀行2010内陸部    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」






南ア・鳳凰三山紀行(9) 「歴代女性天皇」

2012年05月16日 | 南ア・鳳凰三山紀行
.



南ア・鳳凰三山紀行(9) 「歴代女性天皇」 .



序ながら、現在の今上天皇(平成の天皇)は、初代の神武天皇(紀元前660年)から万世一系を貫いて第125代の天皇に当たる。
この間、歴代の女性天皇は過去に8人、10代の天皇が存在した。



【歴代女性天皇】 .

推古天皇(第33代)、在位592年~628年)
皇極天皇(第35代、在位642年~645年)
斉明天皇(第37代、在位655年~661年;皇極天皇の重祚※)
持統天皇(第41代、在位686年~697年)
元明天皇(第43代)、在位707年~715年)
元正天皇(第44代)、在位715年~724年) 
孝謙天皇(第46代)、在位749年~758年) 
称徳天皇(第48代、在位764年~770年;孝謙天皇の重祚)
明正天皇(第109代、在位1629年~1643年) 
後桜町天皇(第117代、在位1762年~1770年)

以上のように、古代の飛鳥期(4人)、奈良期(4人)と江戸期(2人)のみで、平安時代から鎌倉、室町、安土・桃山時代(戦国期)の凡そ860年間は、女性天皇は存在しなかった。 

※ 重祚(じゅうそ・ちょうそ)とは、 「祚」は位の意見で、いったん位を退いた天皇が、再び位に即くこと。 同一人物の天皇。




【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉

東北紀行2010内陸部    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」