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織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

上高地(Ⅵ) (上高地・穂高連峰・槍ヶ岳)

2009年05月26日 | 上高地

上高地(6) (上高地・穂高連峰・槍ヶ岳) 

【釜トン・・は、心霊トンネル・・?】
この様な釜トンネルは、断崖絶壁の深く切れ込んだV字峡谷の梓川に沿って、昭和の初期に長期間を要して手掘りで堀すすめられたという・・。
なんでもトンネルの建設は、某半島の人達の強制労働で掘り進められ、工事は昭和8年に貫通したという。
この時、事故死した作業員の人達が大勢埋まってるという噂もある。 

又、昭和初期までは、冬期間に遭難、凍死した登山者の死体を収容した際、春から夏の間に松本市側に移送する時まで、トンネル内に一時保管することもあったという。
こんな理由によるのどうか、釜トンネルは「幽霊の出るトンネル」、「釜小僧が出るトンネル」などと「筋金入りの心霊スポット」などと言われる。

トンネル内で、いるはずのないアルピニストが後をついてきたとか・・、 
トンネルの中ですれ違いざま幽霊が体の中をつき抜けていったとか・・、 
グループの人数を確認すると必ず1人増えているとか・・、
目撃例は枚挙にいとまがなかったという。

或る松本電鉄バスの上高地線を受け持つ運転手は、「このカーブの壁にライトに照らされて、遭難者の顔が浮かび上がんだぞ-・・」とか・・、
「特に、上高地からの最終バスは薄暗くなって車内は私ひとりになるわけですよ、・・。上高地側で信号待ちをしていると、ときたま、トンネルの入口のコンクリートが赤く光って見えるときがあるんです。 たぶん、信号機の赤の色だとは思いますけどねぇ、でも不気味ですよ、本当に。 釜トンネルの中では絶対にルームミラーは見ません。もし、乗せてもいない誰かが乗っていたら、と思うと恐くて後を見ることはできません」などと話している・・。

実際、登山・ハイキングの専門雑誌の紀行文の中にも、体験談などが載ったりしたこともあった・・。 そのため地元関係者は上高地の観光客動員に影響が出ることを憂慮し、遭難者を供養することを理由として御祓いなどもしたようである。

こんなわけで、釜トンネルが特異なことは古くからいろいろな噂がすでに知れ渡っていて、全国的に有名だったのである。
尤も、昨今では釜トンネルの特質ともいえる当時の素掘りの露岩壁は、わずか数メートルの幅を残して掘り返され、殆どコンクリートで埋まり無くなっているというが・・。


この大型車がやっと通れる、一方通行を余儀なくされる狭い「釜トンネル」は、一方で上高地に殺到する観光客の数をある程度制限し、上高地の自然を保護するための人工の「安全弁」となって一役かっているとも言われる。

釜トンネルについて元信濃毎日新聞記者の菊地俊朗氏は著書『釜トンネル 上高地の昭和史』(信濃毎日新聞発行)の中で、「釜トンネルは『上高地の衛兵』である。 あの狭い、急勾配の一方通行トンネルが、押し寄せる人と車の大軍に立ちはだかり、80年近く上高地を俗塵から守ってきた。 もし、釜トンネルがあの形、厳しさでなかったら、今の上高地の姿は保障されていただろうか」と記している。


登山者を乗せたバスは、こんな難所の釜トンを抜けると目の前に釜ヶ淵の滝(堰堤)が顔を出す。 槍・穂高から流れ始めた梓川は、ここ釜ヶ淵でその幅を一気に狭め堰堤を落下し渓谷となっていくのである。

さらに進むと徐々に噴煙をあげる焼岳が見え出し、いよいよ上高地の入り口である。
やがて小さな張り出しを右に曲がると、一気に眼前が開けあの大正池と穂高が突然顔お出す。
この瞬間は、バスに乗っている人達は悲鳴とも思える驚きと歓声で車内が騒然となる。
それほどの感激を上高地は我々に与えてくれるのである。
小生自身も何度か上高地へは足を運んでおり判っているが、やはり、興奮を押さえることは出来ない。
その後バスは、大正池、田代池を通りバスターミナルの終点につく。
 

次回は「新釜トン・・、」について・・、


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上高地(Ⅴ) (上高地・穂高連峰・槍ヶ岳)

2009年05月25日 | 上高地
上高地(Ⅴ) (上高地・穂高連峰・槍ヶ岳) 

【 釜トンネル・・ 】
昨今の釜トンネルでは当たり前のように通過してしまって新たな記憶は無いが、当初・昭和40年代の釜トンネルは些かなりとも印象に残っている。

松本電鉄・終着駅の「新島々」からヨウヨウにして上ってきた乗り合いバスは、「中の湯」を過ぎ上高地公園線に入ると、これから最後の”アガキ”が待っているのである、それは釜トンネルへの突入であった・・。
大型自動車がやっと通れるくらいの単車線の細い道で、しかも、バスのギヤーがガクンガクンとおろされる。
中の湯まで4段ギアーを3段ぐらいにして上ってきたところを、ここへ来て更に2段、或いは1段にシフトダウンするのである。
トンネル内はそれ程の急勾配なのである。

隧道内は真っ暗、前照灯の灯りも頼りなげで、しかも未舗装のためバスは大揺れに揺れて照点が定まらないのである。
更に驚いたことにトンネル面は、岩石、岩肌がそのまま露出していて、それがランダムな凹凸を現し、いたる所で水滴を垂らしている。 
これらが揺れ動くバスの窓ガラス面に、今にも接触しそうなのである。

トンネルは大曲がりに曲がっているようでもあり、当然出口は見えない、従って、この露出した岩石が照灯に不規則に照らされて、不気味な陰影を形作るのである。
バスの運転手も、「この先揺れますからご注意ください。窓からは手や顔を出さないでください・・。」と注意を促すほどである。

全長520m、最大勾配15度、照明もなく、おまけにトンネルは中頃で、くの字の如く曲がっているため、真っ暗闇で危険極まりない。
こんな地獄の様な「釜トンネル」なのである。
 

次回も「上高地の釜トンネル」は続きます・・、




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上高地(Ⅳ) (上高地・穂高連峰・槍ヶ岳)

2009年05月24日 | 上高地
p11 裏明神の遊歩道と景観


上高地(4) (上高地・穂高連峰・槍ヶ岳) 

【 上高地の自然保護 】 
40年前の東京、京浜地区は水も空も汚れていた、従って、首都圏の世間ではそろそろ自然への回帰、回復を叫びはじめた頃であり、そしてその頃、尾瀬の道路建設に対して自然保護運動などが活発化した時期でもあった。
しかし、上高地に関しては、既に昭和27年(1952年)国の特別名勝特別天然記念物に指定されてはいたが、自然保護や環境保全といった特別な活動、具体的な行動は未だ活発ではなかったように思う。


上高地が自然や環境を考え、マイカー規制が開始されたのは小生が始めて入山した7年後の昭和50年(1975年)頃で、しかも7~8月の夏季のみであった。
そして更に20年後の平成8年(1996年)に通年のマイカー規制が開始されたのであった。
この制度は1975年に上高地で始まったのを機に、その後、全国各地へと広まっていったようである。

尾瀬が、尾瀬沼を通過しようとする道路工事を止めた、所謂、人工物の建造差止めの自然保護活動の原点とするならば・・、
上高地は、さしずめ排ガスなどを規制する環境保全の原点といえるのではないか・・。

国道から(158号線)上高地へ向かう途中に「釜トンネル」がある。 
上高地に入る際は必ずこの「釜トンネル」を抜けなくてはならない。
小生、昭和40年の初期から登山や観光で何度となく上高地へ入り、その度にバスやタクシーで通過しているのであるが・・。

尤も、上高地に行くには、この釜トンネルを抜ける他に、徳本峠(とくごうとうげ)などの山越えをしなければならない。
昭和初期以前までの上高地・黎明期の頃の人々は、上高地・明神の南に位置するこの徳本峠を越えて入山するのが常道であった。
島々から徳本峠(2135m)まで標高差約1400m、15k余りの道程を、四苦八苦しながら上り下りしなければならない。 
山屋さんは、さらにそこから槍や穂高をめざしたのである。 
それだけで日程的にも1日や2日多く、労苦を重ね、強いられたのであった。
 

続きは、上高地の釜トンネルについて・・、」


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上高地(Ⅲ) (上高地・穂高連峰・槍ヶ岳)

2009年05月23日 | 上高地

上高地(Ⅲ)(上高地・穂高連峰・槍ヶ岳) 

【 上高地の風景 】


「上高地と穂高の初冬」
これが上高地だ・・!!、素晴らしい写真です。  (提供者に感謝)

又、上高地拠点周辺には大正池や田代池といった清涼な自然の園地が広がっていて、一服の景観が楽しめる。

大正池は、大正4年(1915)の焼岳の噴火で泥流が梓川を堰き止められてできた池で、「梓川」の本流でもある。
克っては、浸水して出来上がった唐松林の立ち枯れの様子が、所謂、林立していて一種異様な風景を呈していたが、今では数本のみになってしまったらしい。 
おまけに、大正池は流れ込む土砂によって徐々に面積が縮小しており、下流の発電所の調整池としての役割もあることから、現在でも懸命に浚渫(しゅんせつ:水底の土砂や岩石をさらうこと)工事が行われているが、近い将来、もしかしたら消滅する可能性もあるといわれる。

ところで、梓川が信濃川の支流であることは余り知られていないようだ・・、
槍ヶ岳南面を水源としながら、上高地から松本平野、安曇野の押野で高瀬川と合流し「犀川」となり、長野・善光寺平で小諸方面からの「千曲川」と合流し、そのまま千曲川となって北上し県境・信濃地方へ入って「信濃川」となり、新潟より日本海へ注いでいる。
因みに、槍ヶ岳北面を水源としているのが「高瀬川」である。

「安曇節」 長野県民謡
「槍」でわかれた「梓」と「高瀬」
めぐりあうのが
めぐりあうのが「押野崎」


標高にして1500mの上高地・・、 幅1kmにも及ぶ田代池周辺の自然園地から10km山奥の横尾あたりまでは、ほぼ水平の谷道が続く。



上高地の奥まった処、明神の「明神池」風景


この高度でこれほどの広さ、長さの平坦地は、日本では他に例がなく、そして、これらを取り巻く山域は3000m級の山並である。
これが上高地の特性であり全国的、世界的に観ても、これほど優れた自然と景観が観られる場所は稀であろう・・。

気候的にも山地と平地の中間帯に当たるため、落葉広葉樹林帯と高山帯針葉樹林が混在し、両者の森林の要素が豊かに植生することで知られている。
唐松林の美林もさることながら、中でも、梓川の河川地形である谷底、河辺の「ケショウヤナギ」の群落の植生は特筆すべきものであるといわれる。

上高地へのアクセスは関東地区・東京方面からは、公共機関では中央本線・松本駅、松本電鉄・新島々駅でバスによって上高地へ入山する。
マイカーでは、長野県松本市や岐阜県高山市を拠点とする国道158号を利用する。
特に、1997年(平成9年)に安房峠道路(安房トンネル)が完成して高山側からのアクセスが楽になった。 
ただ、上高地は環境保全のため通年マイカーの乗り入れは禁止されている。
従って、信州側は沢渡(サワンド)まで、飛騨側からは平湯で、其々バス又はタクシーに乗り換えて上高地入りすることになる。

小生が初めて上高地・穂高へ入山したのは昭和43年(1968年)8月であり、上京して(福島県いわき市)2年後の29歳の頃であった。
山の味を覚えて間もなくであり、昔風の木綿製黄土色のキスリング(登山用リュックサック)を肩に着けて上高地へ到って、そのまま山へ向かっていった、そして、槍-穂高の全山縦走を無事やってのけ下山もここ上高地へ下ったのであった。

従って、上高地の稀なる自然に感嘆しながらも、残念ながら当初の上高地の具体的状況の記憶は薄弱である・・40年も前のことである。

当時の登山者は青壮年層が主流であった。 
現在のような中高年者の姿は殆どなく、せいぜい上高地での観光が主であったように思う。
 

次回は、上高地の自然保護




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上高地(Ⅱ) (上高地・穂高連峰・槍ヶ岳)

2009年05月20日 | 上高地
上高地(2) (上高地・穂高連峰・槍ヶ岳) 
 
【 上高地へ・・、】
アルプスの名峰・穂高や槍は、日本全国の山屋さん、山愛好家、登山者、アルピニストと山好きな人なら誰でも憧れの山であり、北海道や九州の果てからも、おら我の地の山をある程度歩いた後には必ずここへやってくるのである。
北海道の稚内の人が屋久島の「宮之浦岳」へ行くのも、又、沖縄の山屋さんが道北の「利尻山」へ登るのも距離的には大変である。
尤も、日本100名山をやろうという人は、こんなことは言っていられないが・・。
そこへゆくと、この槍-穂高は、ほぼ日本の中心に位置していて、どなたもエコヒイキなく近寄れるところである。
特に、関東圏の大東京からは非常に便利な地域に存在しているので、嬉しい限りなのである。

槍-穂高へ入るのには多種なルートがあるが、最も一般的で凡そ九割の人はご存知あの「上高地」から入山することになる。
上高地は、梓川を跨ぐ河童橋の上に聳える穂高連峰のところで、誰でも一度は目にしている有名な構図の一つである。 
上高地は、観光名所としてこの河童橋の周辺だけを指す場合もあるが、これは狭義の上高地で、実際は北アルプスの谷間にあって、大正池から横尾までの前後約10km、幅最大約1kmの堆積平地を指している。

観光バスで来る団体ツアーの観光客は梓川の清流と河童橋だけを観てお帰りになるようだが、上高地の本当の良さは実は、これより奥まったところの明神(明神池・天然の岩魚が泳いでいるよ・・、片道1時間)、徳沢園(新緑と紅葉の名所・・、片道2時間)、そして更に奥の横尾(山峡の地、涸沢の分岐・・、片道3時間)あたりの山懐を深く入った静観の地を指しているのである。 

更に続きます。



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