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織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

上高地―槍―穂高縦走(1)

2009年06月07日 | 上高地

梓川と穂高連峰(右より明神、前穂、奥穂、西穂)



【上高地―槍―穂高縦走】


槍-穂高連峰は、槍ケ岳から南に延びる岩稜続きの山塊で、大キレットの大きな窪みを隔てて穂高連峰に続いており、今も変わらず厳然と屹立している。 
槍はその南端にあって、名前の如く天に槍をつく形が特徴的な高山であり、その形から「日本のマッターホルン」とも言われる。 尾根は東西南北に派生し、東鎌・西鎌・槍穂高・北鎌の各四稜が抱えており、又、沢も四方に伸ばしていて東南に槍沢、南西に飛騨沢(槍平)、北西に千丈沢、北東に天丈沢の四沢が流れ落ちる。

因みに、「安曇節」に唄われる・・、
『槍で分かれた 梓と高瀬 巡り合うのが 押野崎』
・・と、槍沢は「梓川」、千丈、天丈沢が「高瀬川」となって流れ、行末は「信濃川」となって日本海へ注ぐ。

穂高連峰は北穂高岳から涸沢岳、主峰奥穂高岳と続き、ここから南東に前穂高岳から明神岳が連峰をなし、上高地・涸沢や岳沢に落ち込んでいる。 
南西には西穂高岳やジャンダルンなど急峻な岩峰が連なり、北アルプス唯一の活火山・焼岳へと続く。
又、岩と雪の殿堂とも云われる穂高連峰は、屏風岩や北穂滝谷、前穂東壁など日本有数の岩壁をも有する。 

槍沢や涸沢カールを代表する氷河遺跡は残雪も豊富でお花畑も素晴らしく、槍・穂高への登山道はよく整備されていて、真にアルプス随一の魅力的な山岳地であろう・・!!。


【山名】 北アルプス、槍―穂高縦走
【期日】 昭和43年(1968年)8月14日~18日  (28歳)
【山行形態】 軽キスリング・夏山装備、山小屋泊。
【メンバー】 二人(職場同僚)
【行程】
第1日  自宅(東京大田区)⇒新宿・中央本線⇒車中泊
第2日  松本(松本電鉄)⇒新島々(バス)⇒上高地-明神-徳沢-横尾-
      槍ヶ岳山荘(泊)
第3日  槍が岳-大喰岳-中岳-南岳-南岳小屋-大キレット-北穂高岳-
      涸沢岳-穂高岳山荘(泊)
第4日  穂高岳山荘-奥穂高岳-前穂高岳-岳沢ロッジ-上高地(泊・西糸屋)
第5日  上高地⇒新島々(バス)⇒松本(松本電鉄)⇒新宿・中央本線⇒自宅

道中記録は次回から・・。


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上高地(続編・2)「明神へ」

2009年06月01日 | 上高地
上高地(続編・2)「明神へ・・、」 

上条嘉門次について・・、
目的の「明神」は、ほぼ梓川の畔にあった、時間にして1時間少々・・・。
山小屋の「嘉門次小屋」や「山のひだや」、正面奥・菊の紋の入った木製の鳥居
を潜った先に穂高神社そして明神池が座している。      
嘉門次小屋の道向かいに嘉門次の石碑が立つ。
この石碑は一般客には馴染みが薄いが、上高地・穂高を愛する山屋にとってウェストンや上条嘉門次は心に留めおきたい人物である。

上条嘉門次は「上高地」を世に知らしめた人物の一人でもある。
優れた山岳ガイドとして知られ、多くの人々を北アルプスへと案内した。 特に、日本アルプスを世界に広めた英国人ウェストンを北アルプスの山に案内したことで、彼の名は世界に知られた。
上高地を我が庭のように愛した彼は、猟師としての腕前も確かであったという。
明神池の畔の嘉門次小屋が彼が住んでいた場所で、この地で生涯を全うしたという。 現在も山小屋として営業している。
昭和33年(1958)に彼のレリーフを付した記念碑が小屋のすぐ近くに建てられた。

明神池・・、
河童橋からおよそ4km上流の梓川の右岸に瓢箪型(ひょうたんがた)をした明神池がある。
奥宮の横に受付社務所があって、神域である明神池へは拝観料として300円を払うのである。 池を見るのに金払う・・?チョット奇妙な気持ちではあるが・・。
手前を明神一之池、奥を明神二之池と呼ぶ。 かつては三の池もあったが「明神岳」の土砂崩れえ梓川支流の沢がふさがれて消えてしまったとか・・。


明神・一の池


明神・二の池


1600坪(52,800m2)にも及ぶこの池は、秀麗な自然美を形作り、マガモや岩魚も優雅に泳いでいて、不思議なことに岩魚は人間慣れしているのか全く逃げない。


神域の岩魚


神域のお猿さん


明神池は、「かがみ池」とも言われ、パンフレットにも『明神池 神降地』、『人々の心を映す、神の池』と記されている。
神秘的で時間が止まっているようであり、明神池拝観の300円はそれ以上の価値があった・・!!。
退路時、受付で思案している客に向かって「明神池は必見ですよ・・!」などと余計なことまで言う始末であった。


嘉門次小屋・休憩舎


小屋前の休憩舎で冷たいビールと名物岩魚の塩焼きを戴いて帰途に着いた。
梓川の明神橋を渡ると、背後に峻険な「明神岳:2264m」が望める、そして、槍・穂方面の第1の休憩ポイント「明神館」があった。
帰路は左岸を一直線、上高地バスターミナルまで凡そ1時間の道程である。

『終』


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上高地(続編・1)「明神へ・・、」

2009年06月01日 | 上高地
上高地(続編・1)「明神へ・・、」 


明神周辺概念図

上高地とは・・?
「かみこうち」の名称は本来「神降地」、「神垣内」という漢字表記で、後に現在の「上高地」と表記するのが一般的となった。
「神降地」とは正に神が降臨した地で、穂高神社の祭神、穂高見命(ホタカミノミコト)が穂高岳に降臨し、この地(穂高神社奥宮と明神池:神域)で祀られていることに由来している。


穂高神社奥宮 

尚、穂高神社の嶺神は北アルプス・穂高連峰の主峰「奥穂高」の山頂に祭られ、本宮(里宮)は穂高の山麓、安曇野市穂高に神社がある。


明神へのルート:ハイキングコース・・、
今年(2008年)のゴールデン連休の始め、上(妻)さんと上高地を訪れた。
バスターミナルから5分程歩くと上高地の中心でビジターセンターやホテル土産物店が並ぶ。 この中に例の構図である梓川の河童橋と穂高の美形が一望できる。
薄いエメラルドに近い色をした水面は意外と流れは急であるが、もちろん透き通って、しかも水温17~18度と冷たい。。
澄んだ青空の下、梓川を挟んで視界に入るは、あの岳沢上部に聳える穂高である・・!。

明神へのルート、ハイキングコースは通常2通りあり、徳沢から横尾、槍を目指す直行ルート(左岸)と岳沢から穂高を目指す通常・右岸ルートがある。
ハイキングのみであったら往路は右岸、帰路は左岸ルートがお勧めであろう・・、
河童橋を渡ると西糸屋や白樺荘があり、そこを右手方向に足を向ける、標識も岳沢方面とあるはず・・。
五月の連休の頃は里では新緑に覆われるであろうが、1500mの標高、山奥の上高地の樹木は未だ褐色の世界である。 そして穂高方面はまだ白に覆われている。


清流と「明神岳」

歩を進めるとすぐに、シダ等の茂る「岳沢湿原」が出てくる。 梓川の分流と岳沢の水量が豊富なところで、清流や湿原地帯が大きく広がり、実に雰囲気の良いところなのである。
見上げれば、穂高連峰がいよいよ迫って来る感じであり、そして、小生には懐かしい奥穂高からの下山に使う岳沢の入り口に達する。      
しばらくの間は、細く長い歩道、所々雰囲気の良い木道を行くことになる。
明神池の下流と辺り、猿の群れも人間を特に恐れることも無く、我等を見送ってくれている。


明神への木道


上高地のお猿

河原の広い梓川の向こうには、急峻な「六百山」や「焼岳」が姿よく遠望できる。
大正4年(1915)、あの焼岳の噴火で泥流が梓川を堰き止め、その名も「大正池」を造りだし、上高地を一層景観豊かな土地柄に造り替えたのである。
因みに、焼岳は現在も飛騨山脈の中では最も活動の激しい活火山である。
北峰、南峰(主峰)の2峰があるが、現在登山可能なのは北峰だけで南峰へは立ち入り禁止となっている。北峰と南峰の間には火山湖がある。
1995年2月11日、焼岳火山群として焼岳に隣接する火山の1つから、長野県側トンネルの工事現場おいて火山性ガスを含む水蒸気爆発が発生、直後に泥流が噴出し、中部縦貫自動車道安房トンネルの工事に従事していた作業員ら4名が死亡している。

次回も「明神」について・・、



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上高地(Ⅷ) (上高地・穂高連峰・槍ヶ岳)

2009年05月28日 | 上高地
「ウェストン・レリーフ」
日本アルプスを世界に知らしめたウェストンは明治~大正時代上高地を訪れた際には清水屋(現ホテル)に滞在した。この宿の隣の大きな岩にレリーフが建てられている。毎年6月に、この前の広場でウェストン祭(上高地開山祭)が開催される。

上高地(8) (上高地・穂高連峰・槍ヶ岳) 

【 ウォルター・ウェストンのこと・・、 】

大正、昭和の初期、芥川龍之介、若山牧水、斎藤茂吉、高村光太郎などの文豪が滞在したこともある。 彼の代表作の一つである小説「河童」に上高地と河童橋を登場させている。
国鉄が後援し東京と大阪の新聞社が主催した「日本八景」の渓谷の部では、上高地が第一に推された。

又、昭和天皇の実弟・秩父宮殿下が上高地から奥穂高岳に登り槍ヶ岳への縦走が行われ、連日新聞の話題となった。
この時期、上高地の河原で日本で初めて「ケショウヤナギ」(ヤナギ科、本州北部の水辺に生ずる落葉高木)が発見された年でもあった。

尤も、上高地を世に知らしめたのは、日本人ではなく外国人であった。
山屋さんで、上高地に1度や2度入ったことのある人はご存知だと思うが、イギリスの探検家(実は宣教師)でウォルター・ウェストン(1861-1940)という人である。

この人が、明治期に「日本アルプスの登山と探検」という本を出して上高地を広く世間に知らしめ、併せてこの時、山が信仰のための登山だったのを、楽しむためのスポーツとしての登山を紹介したのであった。 
それ以降、著名人や文化人が上高地へ入るようになった。
そして、その話題性、必要性にかられて、地内に簡単な施設や交通手段が思考、実行されるに到ったのである。

こんな折に釜トンネルは、半島の労務者を招き入れ、手掘りという手段で急ピッチで完成させたのである・・、昭和8年のことであった。 
併せて、上高地の宿泊施設の開祖ともいえる「上高地ホテル」(現、上高地帝国ホテル)も、ほぼ同じ時期完成を見ている。

ホテル建設当時は未だ道路は未開通で、資材は釜トンネルを抜けると大正池を船で運んで施工したといわれる。
この年以降を境に、上高地は一般大衆にも知れわたり、観光客は大幅に増加したといわれる。

平成の時期、新釜トンネルが完成するに及んで、旧来に数倍した観光客が訪れ、あの麗しき上高地は東京の繁華街にも負けない雑踏が繰り広げられるかも知れない・?。

現に昨今では、年に200万(冬期間は除く、通行止めで施設は休業)もの人々が殺到しているといわれる・・。
上高地自体は、天然記念物や国立公園に指定されている。

地元、上高地の住民達は昭和40年頃から「上高地を美しくする会」を発足させ、ゴミのない美しい上高地を目指して日々道路や周辺のゴミ拾いなど活動を行っているらしい。

主唱者は、この上高地の自然は日本の守るべき宝物で未来永劫に残すべきものであり、上高地を未来の子供たちに受け継いでいきましょうと・・。
 


「そうだ・・、上高地へゆこう・・、」

 【完】


次回は、上高地(続編・1)、明神へ・・、



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上高地(Ⅶ) (上高地・穂高連峰・槍ヶ岳)

2009年05月27日 | 上高地
上高地(Ⅶ) (上高地・穂高連峰・槍ヶ岳) 

【新釜トン・・、 】
いずれにしても上高地と言えば釜トンネル、というほど半ば条件反射的に思い浮かぶほど、上高地とは切っても切れないトンネルなのである・・。
この釜トンネルが、2005年7月に閉鎖になるという・・!!。

近くの山側に新たな釜トンネルが開通するためで、この狭くて危険なトンネルは完全に閉鎖されることになっていると・・。
2車線の新トンネルは大型観光バスもすれ違いができ、両側に歩道もある。
岩盤がむき出しだった旧トンネル、冬季、しみ出した水が氷柱となって垂れ下がり、路面はツルツルに凍って歩行者の通行も拒んできた旧トンネル・・。
それが今は乾いた歩道を何の支障もなく歩くことができ、長さ1310メートル、20分程で上高地側に出られるようになったという・・。

思うに、旧釜トンネルは一時代の役目を充分に果たしたのであり、その価値は充分に認識されてしかるべきである。 

新釜トンネルが開通した後の旧トンネルの扱いについては、歩行者の為の専用道路、或いは古い素掘りの釜トンネルを、ゆっくりと一方通行でタクシーやマイクロバスで、その壁面を見物させるとかで、観光資源として活用するなどの考慮がなされなかったのか・・。
又、文化財として温存することはできなかったのであろうか・・?。

同じような事例が伊豆の天城に有る。
新天城トンネルが開通するに及んで、川端康成の「伊豆の踊り子」の舞台となり、今では国の重要文化財ともなって保存されている旧天城トンネルのことである・・、こちらも心霊スポットの名所であったのだが・・。
新トンネルの有り難さを思い、楽に通れるようになったことで感謝されて然るべきと思われるが、この新釜トンネルの必要性の重度を考えるとき、疑問を感ずる向きもあるようである。

新釜トンネルの完成以前に、国道158号線の「安房トンネル」が完成している。
東西往来、飛騨と信州を結ぶ動脈として大衆の人々の生活、利便性に大いに発揮しているのである。
しからば、新釜トンネルはどうであろうか・・?、このトンネルは上高地だけの行き止まりであり、大衆の人々の生活、利便性においては全く無関係であって、ただ、観光目的以外には考えられないというのである。
そもそも何のための一般車両通行全面乗り入れ禁止なのだろうかと・・?。

新トンネルは、事実、観光バス・タクシーの専用道路であり、その背景には観光客の大集団を招き入れ、当地で営業を営む業者の生活の利便を一層豊かにする事が本来の目的に見えてくると・・。 つまり、新トンネルは上高地景観保護には無縁で、観光業・観光客保護のためではあるまいかと・・。

近年は上高地の風物や原風景を保存する事よりも、観光業者に便宜をはかりその観光客を手厚く保護して誘致するという・・、真の目的が見隠れしているとする見方である。
 

更に続きます・・。


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