オレッちブログ

オレッちのブログです。

コネはあるうちに使わないとね。

2015-04-14 20:21:00 | オレッちの日々
毎日、健康のことしか考えてません。
常にお腹と相談しています。
胃と腸と話し合いながら、献立を考えるのです。
SNSよりもブログよりもパンクよりも恋愛よりも仕事よりも健康第一ですよ。
ということで、今回はこんなこと書いてます。


初めて行ったロックのコンサートは、忌野清志郎でした。中学1年の時だったかな?お父さんの仕事の関係でチケットもらえたからアンタ行っておいで~と言われて友達と行ったんです。(1991年)
当時ジュンスカイウォーカーズが好きだった2つ上の兄ではなく、なぜ僕にくれたのかは覚えてないですが、忌野清志郎をイマワノと読むことすら出来なかったのは覚えてます。
なのでCMで使われていた昼間のパパって曲と、うっすらと雨上がりの夜空にを知ってるぐらいでしたが、中一の坊主に清志郎は相当パンチがあったのだろう、強烈な印象が残ってます。
しかしながら、そこからロックに目覚めてというような活発な子供じゃなかったんで、ソレをキッカケにその後、RCサクセションとか聴いて清志郎を好きになって良かったなと思う素朴な僕です。

そんな僕はついこないだ宝塚に忌野清志郎展を観に行ったんです。
そこで一番印象に残ったのは、派手な衣装やライブ写真ではなく、素朴な僕はオサムシに伝えてと言う本に書かれていたこんな文章でした。

忌野清志郎さんは子供の頃手塚治虫に憧れて漫画を描いては、学級新聞として廊下に貼ったりしていたそうです。そんなある日、手塚治虫の漫画の描き方と言う本を手に入れ、読むと、漫画を墨とペンで描いていることを知り、マネしてやってみると、鉛筆とは違い、墨が二ジムし間違うと白ペンで修正したりして用紙がグチャグチャになり、コレは自分は漫画家には向いてないなと思い、漫画家を諦めて油絵を描くことにしたそうです。
でも大人になってから手塚治虫記念館を訪れて、当時の手塚治虫の原稿を見ると小学生の自分以上に修正だらけで、グチャグチャの原稿だったので、あの手塚治虫ですら・・・と、もし子供の時にそのことを知っていれば、漫画家清志郎になっていたかも?

と言う文章だったんです。そして、素朴に何事も諦めずに・・・イヤイヤそうではなく、ココは大胆にもコレはまさしく僕(オレッち)だと思ったんです。
マンガと文章は違うけど、ソレ以上に清志郎とオレッちは違うけど、僕も新聞を作っては配ったり、毎度書く度に間違えて原稿はいつも修正だらけなので自分と照らし合わせて読んだんです。

勝手に清志郎と一緒にするな!と言われそうですが、ロックスターにしろ芸能人にしろ映画や音楽にしろ、何でも自分でええと思うモノとは、自分と照らし合わせてることが出来るモノで、またはそうすべきなんです。
ソレで自分で何か出来たり、何かを見付ければ、好きで良かったと思えるんじゃないでしょうか?
てことで、いろんなことがスタートする4月に、何かと照らし合わせて新しく何かを始めてみてはどうでしょうか?

今回のタワープラスには、コレとほぼほぼ同じ内容のことを書いてます。

で最後にno music no life のシナロケのポスターが欲しいです。って書いたら直ぐに送って来てくれました。

どうや!VIP待遇やろ?