土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

占領地を欲しがらない不思議な国日本

2013-06-01 19:34:32 | 誇るべき日本の歴史

土佐のくじらです。

日清戦争は、「とにかく清に、朝鮮半島から出ていって欲しい。」という、
当時の日本の、国防の見解に立って始まったのが原因というのが、もっとも整合性のある説明となります。

清国がそんなこと、受け入れるはずはありませんよね。
利権というのは、一度手にすれば簡単に手放すはずはありません。
それは今も昔も変わりはしません。

だから戦争になったのです。
戦争=ビジネス論の立場なら、戦争にはなりえません。

日清露三国統治ならば、清国は利権が減るでしょうけど、役人に賄賂を渡せば、交渉としては成立していたはずです。
このように戦争=ビジネス論国家なら、戦争のリスクを嫌う判断をします。
ですから、むしろ戦争は軽くなったり、始まらなかったりするのです。

日本人の戦争観がビジネスでなく、国防である証拠は、日清戦争後の朝鮮の扱いを見れば明らかです。

日本は朝鮮を清から切り離しましたが、自国の領土にしませんでした。
清との戦争に勝った結果、朝鮮を独立させたのです。

日本の植民地とか属国という立場でなく、大韓帝国という、独立した帝国に格上げしたのです。
驚きの判断です。

帝と王では、東アジアでは意味は全く違います。
帝は、天から命じられて全地を治める者であり、王は帝から命じられて、地上を収める地域の代表です。

大韓帝国・・・
これは、日・清・韓は同等という概念の、国号の表現形態です。

当時の日本は、朝鮮には独立した国家として独自防衛してもらい、それにより日本本土を守りきりたい・・・
そういう国防理念を有していた、これは明らかな証拠なのですね。

要するに当時の日本は朝鮮国家に対して、明治維新の朝鮮版をやって欲しいと願っていたと思われます。

ビジネス論的に言えば、大韓帝国から日本に朝貢するわけでもなく、税収入が入るわけでもありませんから、
人が良すぎる話で信じられないのです。

またその後三国干渉で、清から割譲された遼東半島を清にあっさり返しますけど、戦争ビジネス論ではありえない話です。
これなども、大韓帝国が承認されれば、今の中国北朝鮮国境あたりで国境が確定するので、同時に防衛ラインも確定します。
防衛戦が日本にとって十分な位置で確定しているので、その時の日本に遼東半島はいらなかったのです。

私は大変残念に思います。
遼東半島があれば、黄海は事実上日本の海になりますので、ビジネス論的に言えば、返還することは全く割に合いません。

私なら、干渉してきた三国の役人に賄賂でも贈って、のらりくらりと統治しましたね。(笑)
これが、ビジネス論的発想なのです。

遼東半島は日本が国防論を重視するが故に、その時にはいらなかった土地なのです。
清と朝鮮との国境が確定さえすれば、その当時は国防上は十分なのですね。
朝鮮の独立だけで、当時の日本の目的は、もう十分に達成されていたのです。

遼東半島を持つことによる利益より、それを巡る新たな戦火が起こる可能性や、国防負担の増加、
またそしてそれによる、日本本土への戦禍の可能性を嫌ったからだと思います。

当時の日本は、国防の負担が増えるのを嫌がった・・・。

これでないと説明できないくらい、この時の朝鮮独立と遼東半島返還は、ビジネス論的には惜しい判断です。
このように、日本の戦争観=国防論で見れば、様々な歴史的事実が、くっきりと鮮明に見えてくるのです。

日本の戦争観=国防でなければ、戦争というリスクを犯して他国を独立・・・。
これに対するつじつまの合う説明が、どうしてもできないのです。

朝鮮半島や台湾、そして南樺太や千島列島など、日本は歴史上、今の外国の領地と言われる土地を統治していた時期があります。
これなどには共通点があります。

それは、いずれの土地も、軍隊を派遣して占領した土地ではないということです。
これなども、かつての日本が占領国家ではない証拠だと思います。


日本=侵略国家観という、左翼的歴史教育では、現実の歴史はつじつまが合いません。
つまり左翼的教育は、つじつまの合わないことを押し付ける、一種のカルト教育だと私は思うのです。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown ()
2013-06-02 09:40:46
>左翼的教育は、つじつまの合わないことを押し付ける
カルト教育

全く同意です。
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カルトですね。 (土佐のくじら)
2013-06-06 11:54:17
英さん、コメントありがとうございます。

学問には整合性がなくてはいけません。
また、反対意見に対しても、聞く耳を持っていなければなりません。

日本の左翼的教育は、一種の擬似宗教です。

正しい宗教には、理証・文証・現証があるそうですね。

筋道が通り、文字として理解できて、実験してみたらその通り。

簡単に言えば、こんな感じでしょうか?
(大雑把ですみません。^^;)

真理はいつ見ても、どこから見ても、誰が見ても正しいものです。

私は日本人が自虐史観を感じる必要はないと思うし、自虐史観を煽っている勢力に、一定の(か・な・りの)疑念を抱いております。

それは彼らの見解が、ある面では正しくないからです。
これでは真理ではないです。
よって今の歴史教育は、教育には値しません。
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